時制というと、英語でしごかれました。
過去に起きたことは、動詞は過去に揃えましょう。
時制を一致させなければなりません。

日本語は必ずしもそうではありません。

一つの動詞が現在形、残りが過去形なんてざらです。

日本に行く前に保険に入ってから行った。

このことが起こったのは過去のことです。
行く は現在形ですから、現在形と過去形が混じっていて、
英語ではおそらく間違いの文になっています。


生徒たちはよく、

日本に行った前に保険に入ってから行った。

と言います。
英語に忠実に「時制の一致」ということを行うのでした。

日本語では、時制の一致のさせかたが独特ですし、
そのほかの時間に関する表現も、非常に難しいです。


東京に来るときは必ず連絡してね⭕️

これはまだ起こっていないことで、辞書形で全く問題なしの例です。

東京に来たときは、いつもうちに寄ってくれた⭕️
東京に来るときは、いつもうちに寄ってくれた⭕️

→どっちがしっくりするか改めて考えるとわからなくなる例です。
二つ目が自然に感じる人が多いでしょう。


駅に着いたらメールしてね⭕️
駅に着くときメールしてね❌

→この「たら」は、近い将来(数分後も含む)そのことがほぼ必ず起こる場合です。


ゴーシュが窓を開けると カッコウが入ってきた⭕️
ゴーシュが窓を開けたら  カッコウが入ってきた⭕️
ゴーシュが窓を開けたとき カッコウが入ってきた⭕️

教え分けることができますか?

「開けると・・」
は、ある事項に、踵を踏むようにして次のことがすぐに起こるときに使いましょう。

例)彼女に別れを告げると、その目に見る見るうちに涙が盛り上がり、頬を伝って流れた。


「開けたら・・」というと、動作の主体にとり、予想外の出来事であった場合(が多い)
He opened the window to find a cuckoo flew  in.というふうに訳せます。

例)お試しと思って医学部を受けたら、まさかの合格だった。


「開けたとき 」は 事実だけを言っていまして、
あまりニュアンスがありません。
ただ、英語を直訳して使うと、不自然になる場合もあります。
普通は大丈夫です。

例)電話をしたときは元気な声だったのに。


他に時間関係だと

辞書➕前に
た形➕あとに

その他ちょこちょこいろいろあるので、教えるネタは尽きません。
生徒にとっては災難で、一山越えてまた一山。
いや一難去ってまた一難か。

でも権現様家康公も言っておられます。

「日本語学習は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」

ね?

ソユコトで、頑張れみなさん!



では、「たそがれマイ・ラブ」、早速見て行きましょう。


たそがれマイ・ラブ

一番
今は夏 そばにあなたの匂い
しあわせな夢に おぼれていたけれど
夕立ちが 白い稲妻つれて
悲しみ色の 日暮れにして行った
しびれた指 すべり落ちたコーヒーカップ 砕け散って
私はただ あなたの目を言葉もなく 見つめるだけ
さだめといういたずらにひきさかれそうな この愛

→今は夏、なので、現在進行形と思いきや、
溺れていたけれど・日暮れにしていった・滑り落ちた・・
と過去形で話が進みますね。
そして最後の一行で「引き裂かれそうなこの愛」と来るために、
日頃時制の一致に過敏である私はたちまち、

え?ひきかされそうなの?
てことはまだひきさかれていないのですか?
で、この愛なの?あの(当時のあの)愛じゃなくて?
「ひきさかれそう・だった・あの愛」じゃないの?
今まさに引き裂かれそうなの?

と、思ってしまうのですね。


二番
今は冬 そばにあなたはいない
石だたみ白く 粉雪が舞い踊る
ひきさかれ 愛はかけらになって
それでも胸で 熱さをなくさない
凍える手で ひろげて読む手紙の文字が 赤く燃えて
私はもう あなたの背にもたれかかる 夢を見てる
さだめといういたずらにひきさかれそうな この愛


二番の歌詞はよさそうです。
今は冬、と言われても、落ち着いていようと思えます。
内容は全て現在形、むしろ現在進行形ですね。
でも、やっぱり最後で「ひきさかれそうなこの愛」なので、
・・てことは、まだ進行中のこの愛なのですか?
まだひきさかれていないのですか?
と思ってしまうわけです。


順当に考えれば、最後の一行がなければ、歌の前半では、

いい感じに交際していたのだけれど、なにかとんでもないことが起きて、
それはコーヒーカップを取り落とすぐらいのことであって、
それで二人の愛は引き裂かれてしまった。

と訴え、

後半に来て、
現在は、引き裂かれかけらになってしまった愛だが、
熱さをなくしていない、困ったものだ(どころではないが)


と、やはり、

①こういうことが起きて愛が引き裂かれた
②けれども今現在も終わった愛を私は嘆いている

という歌っていうことで、いいのですよね。

そうやはり、「引き裂かれそうな」という言葉遣いが、

まだ引き裂かれていませ〜ん

と言っているように感じてしまうため、
私の中の、時制を正しく使いながら生きて行きたい部分に触れ、
頭の中が痒い、ような心地にさせるのでした。


でも、長引く咳が収まってきて、
来週は3つ向こうの駅のそばに住んでいる生徒と飲みとカラオケに行きますから、
やっぱりこの歌は歌うでしょう。
キーも合っていますし、なんなら2回歌うかもしれません。


それにしても、あの最後の一行は、
どうにかして座りの良いふうに変えられないでしょうか。

さだめといういたずらに 引き裂かれていたこの愛 は?
・・だめだ、現在進行形にする意味がない

引き裂かれたのねこの愛 は?

すごく変だ。

だれか助けてください。