私は昔はすごいテレビ・ヴューアーでした。・・と書いてみて改めて、
テレビを視聴する、テレビが好き、というふうに書くことが、
今はなんだか古めかしいのに気づきました。なぜに?
🤔🤔🤔
わかりました。今や、テレビを持たない人も多いですね、これが一つか。
若い方を中心に、スマホかPCかタブレットでドラマその他を視聴をする。
そしてかつてのように、
・一生懸命に、「見たいテレビ」に間に合うように学校や会社から急いで帰宅とか、
・野球や相撲のシーズンでは、お父さんと家族との間に
「テレビのチャンネル争い」が勃発する
(そもそも、チャンネルを「回す」とか、
🎵ダイヤル「回して」、手を止め、たはぁ〜🎵
のように回すものが、激減している・・ラジオのダイヤルを回すとか・・)・・・とか、
・新聞のテレビ欄の、「見たいテレビ番組を赤ペンで囲む」とか、
・せっかく録ったビデオに、弟が他の番組を録画してしまって、
姉弟でつかみ合いの大喧嘩をする・・・
などということが、どんどん過去のものになっているのです。
というか、もう絶滅危惧行動だと思います。
確かめたわけではないが、そうだと言ったらそうなのです。
「テレビばっかり見ててお前は〜」とか、一括りにするのは もはや、雑。
映像を見るのは、お金を払うオン・デマンド、あるいは無料のTverという人が多くなり、
うちのテレビは古すぎてできないのですが、ある一定期間だったら、
頼まなくてもテレビそのものが、どんどん録画? でいいのかな?
録っておいて、くれるそうですね?
好きな人なんかを入れておくと、勝手に録ってくれるのもあるらしい。
また、私はTikTokをよく見ている、Youtubeをみている、
というように,年代や趣味嗜好により、棲み分けが可能になりました。
私たちはこんな過渡期にいる・・・それをつぶさに経験できて幸せです。
私はかつて、「 NHKから国民を守る党(旧名称)」にそそのかされて、
また、テレビというものを30年ぐらい全く観なかったこともあり、
一瞬 NHK受信料不払い運動に参加しそうになったことがあります。
でも、ある酷暑の日のこと、一軒一軒ピンポンして訪問される、
高齢の受信料徴収係員の方が我が家をも訪れました。
「今お金がないんですぅ」と(嘘を)言ったら、
「大丈夫でございます!この機械で、この場で、クレジット払いの契約を結んでいただけます!」
と言われ、気圧され、不払い運動に乗りそうになったのと
同じぐらいの軽薄さとスピードで、クレカでNHK受信料を払うことになりました。
あれは確か2018年ぐらいでした。
でも、観ていないNHKにお金払うの嫌だぁ・・と思っていたのも忘れ、
今では、NHKは朝ドラを2回観て、夜ドラを2〜3回観て(同じものをです)、
大河ドラマも2回観て、毎日頬を涙で濡らす日々を送っています。
最近のNHKドラマって(きっと前からそうだったのでしょうけれど)、
すごく良いんですよ。
私も早く、宝くじを当てて(宝くじ買ってないけど)、
某国の先代の将軍様みたいに、自宅に映写室を所有し、
一日10時間ぐらい、ドラマの沼に沈んでいたいです。
初めの方の私の、「30年ぐらいテレビを観なかった」というのを読み、
嘘つくんじゃないと思った方もいらっしゃるかもしれませんが、本当です。
私の夫は大の映画好き。
昔は一回TSUTAYAに行くと、5本借りていました。
5本借りると激安ということもありましたので、
3本は本当に見たいもの、
2本は、「5本一度借り」にするために、適当に選びました。
子供が大きくなり、一人1本借りるようになると、
あと1本は、その日偉い人が好きなものを借りていいことになっていました。
そのときはもちろんテレビが1台。
オンデマンドはありません。
TSUTAYAに延滞料金を払うのが嫌さに、毎晩一生懸命見ましたが、
5本いっぺんに返し忘れ、ということもたびたびあり、
延滞料金の方がレンタル料金よりはるかに高くなり、
返しに行くのが目的か、借りに行くのが目的か、
延滞料金を払いたくて仕方がないのか、定かでない時代も続きました。
当時は平日の夜も、土日も長時間、夫が映画を見ています。
会社では全て日本語で仕事をしていて、
「ときどき、よくわからない」という語学の不利もあって、
どっぷりと英語に浸れる読書と洋画(彼にしたら洋画ではないのか)は、
彼のメンタルヘルスに有効でした。
これは譲らないといかんと私も考えていて、つきあって見ているうちに、
まったく日本のテレビは見なくなったのです。
結婚前は大河ドラマコメンテーター、朝ドラビューワーとして
(ひとりぼっちで)ブイブイ言わせていたのですが。
そこへ、面白い番組を勧めてくれる人が現れ、
お勧めに従っていろいろ見るようになったら、もう大変。
気がつけば、無料の NHKプラスにTverはしょっちゅう見ている。
さらには、Amazonプライム会員であるために、アマプラビデオが見られます。
ディズニー+は次女が入っているので、お裾分けしてもらいます。
Huluはさすがにやめたけれど、Netflixは見ています。
さらに、「これだけ見たら解約ね!」と約束して入会したのに、
いろいろ面白いのがあって、続けてしまっているU-nextがあります。
あと、夫が払っているので良いのですが、
東西のふる〜い映画が見られるアメリカのオンデマンド、
クライテリアンチャンネルというのも見ています。
普通に考えて見過ぎでしょう。
私はもともと、せめて晩御飯のときぐらい何も見ずに話しながら食べましょう、
という望みがありましたが、娘らがいなくなって、
それをいよいよ実行に移すときがやってきました。
そのために、テレビはカウチのところに座っている時だけ見る! と宣言し、
食事はダイニングテーブルか、
拡張した、奥行き50cmもあるキッチンカウンターで食べることになりました。
ところがですよ。
そのキッチンカウンターに食事の用意ができると、
やたらに長いケーブルのついた充電アダプタをiPadに繋ぎ直して二人の間に置き、
さ!
何を観る?!
と言っているのは、私です。
本当にこの辺だけは、改善したいと思っています。
写真は、早世の消しゴム版画作家・テレビ番組評論家のナンシー関さんのエッセイ、
「テレビ消灯時間」です。
私は1巻しか読んでいないので、残りも読んでみるつもりです。
このエッセイの何が良いと言って、皆さんが今、
「おじさんおばさん・おじいさんおばあさん」俳優として知っている人たちの、
若い頃の活躍ぶりや、批判されぶりが、すごく面白いのです。
ナンシー画伯が今も存命なら、すごいレビューをいっぱい書いてくれていたろうと想像します。
良かったらこのエッセイ覗いてみてください。