私が教えていて気づくのは、学習者の口から「彼」「彼女」が頻繁に出ることです。

日本人も「彼」「彼女」を使わなくはないですが、
その代わりに他の言葉に、置き換えて話すことが多いと思います。


まず、もともとの日本語には「彼」「彼女」はなく、
それは英語が入ってきたときに、急いでみんなで考えて作った翻訳語であるのだそうです。

he は「彼の人(かのひと)」。それが、「彼」となり、
she は「彼の女」。そこの女が、「彼女」となったのですって。

日本人が無意識せずに「彼」「彼女」を避ける傾向があるとしたら、
新しく入ってきた言葉であるということもあるのかもしれません。

ただ、「一人称・二人称」とは異なって、
「その人のことだと、言わずにはすまない場合」
は、日本語でも多くあります。

そこで、「彼」「彼女」を言わないで、名前・肩書き。
そして、それ以降は、そのままその言葉を使い続けるか、
または、

あいつ・あの子・あの人・あのじいさん・・・

ぐらいに置き換えて使い続けることが普通ではないでしょうか。



A:昨日久しぶりに、中学のときの体育の先生にモールであったのよ。
B:え〜、なんて言ったっけ、あ、武田先生?
A:そう、その武田先生が、いいお父さんになっててさ。
B:え〜、ショック。私 結構、武田先生、好きだった。
A:私も〜。あの先生、さわやかすぎになる一歩手前で。
B:そうそう。あの人はそれで女子にすごい人気があった。

彼・・・の入る余地がないように思えます。

ご家庭ではさらなり。

父:今年はあれか、tamadocaは盆には来ないのか。
母:そうですね。二回ワクチンは済んだっていいますけどね。
父:あいつは今は家で仕事してるのか。
母:そうですって。あの子は結構律儀ですからね、
家にこもってるみたいですよ。


彼女・・まず、出ないですね。

一度名前を出すと、そのあとは、誰のことを言っているのかは父母がわかっていますので、もう名前はあまり出さないし、「あいつ」「あの子」のバリエーションで貫いているのがわかります。



さて以下は、日本語能力検定試験(JLPT)の、1番難しいN1のテストの練習問題です。

問まで読んで、答えられない日本人の大人はいないと思います。
まずお読みください。



練習24 問いに対する答えとして最もよいものを一つ選びなさい。

中欧を巡る八日間のテレビの仕事をしたとき、気がついたことがいくつかある。その一つは、テ レビ関係者が極端なまでに「視聴者の声」を気にすることだ。番組のなかに高名な政治評論家が登場して、ハンガリーやチェコがEU(欧州連合)に加わった意 味を語る場面があった。場所はウィーンのシェーンブルン宮殿の前庭。かたわらにインタビュアー 役のアナウンサーがいて質問するかたち。
政治評論家はグレーの三つ揃い、胸にハンカチをのぞかせていた。
アナウンサーは赤いフードつ きの厚手のヤッケ。
さっそく非難が殺到した。
アナウンサーのいで立ちがだらしないというのだ。
① もっときちんとした服装を心がけろ。
この場合、政治評論家が“ヘン” なのだ。 時は厳寒のさなかであって、気温が零下五度。しかも 寒風の吹く屋外である。 そこへカクテルパーティーのような格好で出てくるのがおかしいのだ。 立 ちどまっていたウィーン市民たちは、その異様さに目を丸くしていた。むろん、誰もが厚手のヤッ ケやオーバーを着こんでいた。

(池内紀 『世の中にひとこと』 NTT出版)

① もっときちんとした服装を心がけろとあるが、 これはだれが言った言葉か。

1 筆者
2 視聴者
3 政治評論家
4 アナウンサー



これは、日本語能力や、語彙、文法以上に、

「人称代名詞がいちいちないと、誰のことを言っているかわからない問題」

が上級者の間にもあるため、こういう問題が作られるのでしょう。

私の生徒も、普通に話している分にはとても流暢で自然なのですが、
実際、この問題は正しく答えられませんでした。

書いていない「人」を、どうして見つければいいのですか。

という、よく問われることについては、法則をお教えします。

一つ目の文で初登場した人は、すぐ次の文章の「行為の主体」です。

例)昨日久しぶりにカラオケに行った。
空いているかと思ったら、待っている人が多くて驚いた。

驚いたのは、だれでしょう。
他にまだ、登場人物がいないのだから、「私」です。
ちなみに、文中に「私」とどこにもないのは、「私」についての文だからです。

と、このようにまず教えます。

もっと登場人物が出てきても同じです。

昨日久しぶりにカラオケに行った。
空いているかと思ったら、待っている人が多くて驚いた。
カウンターの人に呼ばれたとき、やっと自分たちの番かと思ったら、
「あと1時間ぐらいお待ちいただきますがいいですか」と言われ、がっかりした。

ここで混乱します。
カウンターの人に「呼ばれた」と受け身ですから、私が、呼ばれたのです。
「カウンターの人の文章」の中の、「行為の主体」が誰かを判明できず、カウンターの人が「どうにかしたのか」と思ってしまうと、上級者でもわからなくなることがあります。
受け身形で、「私は」「私は」といちいち言わないのは、この文もまだ、「主体」が私であるからですね。


先程の問題文です。

(前略)
政治評論家はグレーの三つ揃い、胸にハンカチをのぞかせていた。
アナウンサーは赤いフードつ きの厚手のヤッケ。
さっそく非難が殺到した。
アナウンサーのいで立ちがだらしないというのだ。
① もっときちんとした服装を心がけろ。


「先生、【さっそく「誰から」「誰に」避難が殺到した】のか、
書いていないので、わかるわけがありません」

と言う人が多くいます。

その人には、以下のように説明します。

① 文の最初の方に、
「その一つは、テ レビ関係者が極端なまでに「視聴者の声」を気にすることだ」
とあることに注目してみてください。
非難をしそうなのは誰でしょうか。

②インタビューをする人・受ける人が「番組中にお互いの服装を非難する」ことはあり得ないと気づいてくださいね。

③「殺到する」は、複数の人が、適切でない数で一度に行うことです。
「人」でなくても、クレームとか、そのほかの何かが一度に押し寄せることを理解してください。


素直にじっくり聞いていただければ、類似の問題を数多くこなすうちに、
「誰が」「誰を」・・が書いていなくても、わかってきます。

(残念ですが、「書いてないのにわかるわけないですよ」と怒ってしまう人は、気持ちが閉じていて、なかなか上達しないです)

実際の日本語能力テストは、長く、難しく、時間に追われてパニックになります。
なかなか落ち着いて解いていくのは至難の技で、生徒たちにはいつも同情しています。



テストに受かることだけが日本語学習の目的ではありませんが、
苦手な山は、やはり初心に帰って、一歩一歩登り直すのが近道だと思っています。