私をはじめとする昭和の子供の習い事。


山の手はわかりませんが、たぶん、

珠算塾と習字に行く子が多く、

女の子はそれにピアノ。


バレエに行っていたという子は、覚えがないです。

あったんでしょうけれども。


学習塾はまだ先の時代の話であり、

坊ちゃん刈りで、中学から私立に行くような子が、

まれに英語を習ったりしていましたね。


習い事の種類そのものが少なかったせいか、

他の習い事はわからないのですが、

そろばん塾は週に4日というところが多かったです。


月火と、木金なんですね。


そして大体、3年生か4年生で始めました。

人数が多いので、低学年から早い時間で来て、

45分で次の部にチェンジするのでした。


学校で一緒で、


  ばーか!


とか言い合っている子も、

珠算塾に来ているときは、

3人掛けか4人掛けの狭苦しい席に横並びになり、

神妙に珠をはじくのでした。



算盤の珠は、形状から言って、


そろばん「玉」


とか、


そろばん「球」


と書いてよさそうなのに、珠算の珠は、

なぜか珠玉、の珠・・・なんですね。



うちは、そろばんは非常に大切に扱いました。


トニー谷のまねをして、


  ちゃっちゃっちゃ、ちゃちゃっちゃちゃっちゃ!


  あなたのお名前なんてぇの?


までは良かったですが、ローラースケート替わりにして

滑ろうなんかすると、父親から雷を落とされました。


なぜかというと、その父が、珠算塾を自宅で経営していたためです。


私のときには、もちろんというか、

下が一の珠四つ、上に五珠が一つ、

という作りの算盤でしたが、

父は、俺は五つ珠(下に五つ)も使える、

と言っておりました。


そのうちに習おうと思って、今になってしまいましたが。


さて、広からぬ自宅の、1階部分の一部が、

ちょっと離れのようになって、算盤の教室でした。


次の部の子は、そんなに早く来なくていいのに、

20分ぐらい早くから詰めかけ、

お隣の床屋さんと自宅との間の私道に、

床屋さんにお願いして 並ばせて待たせておりました。


塾が始まると、1階の台所の窓が、外からトントンとたたかれ、

開けると、生徒が


 お水ちょうだい


と言うのです。


母がいないときは私が

コップに汲んだ、ぬるい水を差しだしたりしていました。



みんな近所の子ですので、


  喉が渇いて困った!


というのじゃないんでしょうが、

入れ替わり時には、ひっきりなしに水を所望されました。


父のそろばん塾には、同じ小学校と隣の小学校、

地元中学校の2つぐらいの子たちが来て、

クラスは1部から5部、多い時で6部。


ひとつクラスに55人ぐらいいましたので、

まあ、遅いのと早いクラスは満員ではないにしろ、

常時200人以上の子供がいたわけです。


父にそろばんを習ったことのある子はとても多く、

父は一生の間、一つ場所を動かず暮らしましたが、

いつになっても外で声をかけられるのは、


先生!


でした。



私と姉も通っていましたが、

裏口から出れば数歩で教室であるものの、


 先生んちの子だ


と言われるのが嫌で、

(もちろん、知れ渡ってはいますが、)

早めに表の玄関から出て、

他の子と一緒に、家の脇に並んでいたものです。


  tamado、なんで表から来るの?


とは、よく言われましたね。


暑い盛りは、もちろん冷房もなく、

教室にいくつもの壁かけ扇風機が回っていました。


中で動きが悪いのが1台あったりして、


るんるんるん、るんるんるんるん・・・


みたいな音を立て、難儀そうに回っていましたっけ。



離れの教室に面した裏口は、

夏は開け放して、すだれをかけていましたが、

それを持ちげてのぞき、


 あ、tamadoだ


という男子がいつもいましたね。



トイレも、生徒たちがしょっちゅう借りに来て、


  あ、tamadoがいる


って言うので、慣れっこでしたけど、

うるさかったです。


  いるに決まってるよ、住んでるんだから、


って思ってましたね。




そろばん塾を懐かしく感じられる皆さん、いらっしゃいますか。


一時すたれた珠算ですが、

右脳にいいとか、なんだとか かんだとかで、

この頃また、習いに行く子が増えているそうですよ。

フラッシュなんとか、とかあるそうですね。


でも、今の子は忙しいから、

やはり週に1回がスタンダードだそうです。



さて 塾が始まりますと、まず


  読み上げ算


ですね。



「願いまーしーてはー・・・・」


で溜め、


「515円なーりー、

25円なーりー、

せん、とんで26円なーりー、


ひいては~(これで引き算になる)


641円なーりー、


足しては 1万5千円では!」


という感じですね。

(本当はもっともっと長い)


 はいっ!


  はいっ!


   はいっ!


と手があちこちからあがりまして、父が、


 「はい、大野」



大野君が、


 「15925円デス」


はい、ごめいさーん。



また、


「ご破産で願いましてーはー・・」


ジャッ と算盤を傾け、

五珠の下の桁に人差し指を滑らせ、ジャーーー!

と言わせる音が響きます。


だんだん難易度が上がっていくわけです。


6部ぐらいで、商業高校に行っているお姉さんたちが来るころは、

読み上げ算も、何百億の桁になり、

父が息をもつかず早口で読み上げます、


耳で聞いたそれを盤面に入れて行きますが、

指が間に合わないので、最後の4桁ぐらいは、

耳で聞いたのを覚えている感じで 最後まで諦めずに入れます、


だから、


・・・・円なーりー


と言う声が聞こえている間中も、

その なーりー にかぶさるように、


バチバチバチバチバチバチ!


と、すごい勢いとスピードが続きます。


みんな、算盤にかじりつくようにして、

脇目もふらず・・


私も あのような、血と汗がたぎるというか、

息をもつかない集中力って、

あの子供のとき以来、あんまり経験していません。



うちの塾は、東珠連(たぶん、東京都珠算連盟)

と、全珠連(全国珠算連盟)、

の、どちらかまたは両方入っておりまして、

当時の習い事の花形?でありますから、

後楽園遊園地への バスを使っての遠足や、

たくさんの珠算塾が代表選手を送り込む、

競技会

なんていうのもありました。


もう少し思い出話を続けさせていただきたいと思います。


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