今日は、ご興味がない人には全く面白くない感じになりますので、ごめんなさい。


芝居好きの友達が、急に行けなくなったチケットをくれました。
新橋演舞場七月公演 七夕喜劇まつり、昨日行ってきました。







私はこれを、200%、「松竹新喜劇」と勘違いして観にいきました。

宝塚 vs 松竹歌劇団

吉本新喜劇 vs 松竹新喜劇

という組み合わせて頭に持ち歩いているそのままに、勘違いしたのでした。


藤山直美さんのお父さんが、松竹新喜劇の看板スターだったので、
直美さんがその後を継ぎ、座長として松竹新喜劇の公演を打っているのだと思ったのです。



子供の頃から街角や銭湯の壁に貼ってあったのは、
松竹新喜劇のこのようなポスターでした。




昨日私が観てきたのは、松竹新喜劇ではなかったのです。


11:00〜11:40am が第一部「唐木(とうぼく)の看板」。

その後、40分の休憩を挟んでいよいよ藤山直美さんの出演する、
「はなのお六」
これが、2時までですから約1時間40分の長丁場ですね。

第一部が始まってすぐ、これは松竹新喜劇ではない、
これは、松竹とタイアップして、全てを歌舞伎仕立てにしたオリジナルなお芝居なのである
ということに気づきました。

まず背景の景色も歌舞伎の舞台に近いですし、両側に少しだけ、黒御簾(くろみす)が見えます。
これは、下座音楽と言って、三味線と鳴り物を中心に、
擬音・効果音用の全てのものが演奏者と一緒に収まっている、歌舞伎の世界のオケピですね。


そこからクドキ(演者の語る独り言部分)となれば、チン・トン・・・と、いつもの物悲しい三味の音(ね)。

歌舞伎の馬も出ますし、船を漕ぐ時には

やっしっし、しし やっしっし・・

という独特の掛け声が出ます。

花道に照明が当たり、期待した観客が振り返ると、
鳥屋(とや)に通じる揚げ幕が、チャリンと、小気味よい音を立てて開きます。



これ、歌舞伎だぁ・・。

久しく遠ざかっていた歌舞伎に、予想もしないところで再開した感じです。


チョーン! と乾いた音を響かせる 柝の音(きのね)

演者の動きに合わせ、あるときはバタバタという足音や、
見えを決めるときに寄り添うように強く打つ バッタリ・バタバタ。

暗闇であるという設定で、
人物たちがスローモーションで動いて見せる「だんまり」。

全て歌舞伎です。

この公演では本家の歌舞伎と違い、女性も出ますし、
歌舞伎役者ではない役者さんたちも大勢出ます。
でも、歌舞伎役者さんたちは、やはり一段違う・・。

直美さんの人を食った演技も、テレビ以外では初めて観ましたが、
がっちりこっちのハートを鷲掴みにする巧みさ。
追っかけ決定しました。

新橋演舞場を出て、3時半からのレッスンに間に合うべく、
急いで東銀座の駅に戻りながら、目の前にある歌舞伎座を目にして、

(ああまた歌舞伎を見ようかな・・)

と思いました。


私が歌舞伎を見始めた大学生のころでも、

助六の傘の内側の糸を張る職人がもうすぐいなくなる、
大向こうの掛け声も下手くそになった、
チャリンを上手にできる人がいなくなりそうだ
このままでは歌舞伎は博物館入りになってしまう

と心配している声がたくさんありました。

そのあと、歌舞伎ブームと言われるものが来て、
コミックが歌舞伎になったりしています。

公演も三部制となり、高いのだが、狂言がどうも薄味。

これ、どうなのかな。
なんとなく、歌舞伎を見なくなってしまいました。

私は、梨園の御曹司だけが脚光を浴び、お弟子さんや三階さん、
国立劇場の研修生さんたちはずっと縁の下・・
というのが、良いとは思っていませんでした。

だから女性が出るのも、子供の時から修行したのではない俳優さんが出るのも賛成です。

伝統のあるものを受け継いでくれる人が少なくなっていくのも、
それはそれで仕方がない、昔あった仕事が存在しなくなるのは、
全ての面で同じだと思っています。

博物館入り扱いにして、できるだけ歌舞伎を保持するのも大事だと思っているわけです。



ただ、ただね!
すいませんが、面白いのをやって!



河竹黙阿弥の白波もの。
極悪人なんだけど、その悪の華の美がすごいし、
悲劇性も、悪を極めたところにあるカタルシスも。

青砥草紙花紅彩錦画 あおとぞうしはなのにしきえ 弁天小僧ですね。

三人吉左巴白波 さんにんきちざともえのしらなみ

とか。

日照りをもたらしている上人を誘惑して落とすためにお上から派遣された美女が、
本気が嘘かわからないあれこれで、見事カタブツの坊さんを誘惑してのけて・・
という「鳴神」(なるかみ)とか。
あれなんか、エロな場面がいっぱいです。


忠臣蔵の長い長いお芝居の中で、ちょこちょこ一部だけ見せてくれる
祇園一力茶屋の場
けなげなお軽に、涙々・・。
とか、

極め付けは、長い長い(昔の歌舞伎は夜明けから暗くなるまで飲食しながら見続けたそうですが)
「義経千本桜」の、親を慕ってついてきた小狐の精の可愛さ、
望みが叶って宙を飛んで帰っていく、有名な宙乗り、とか。

私はこれを、今の猿之助が名古屋御園座改築時の最後の公演で見せてくれたときに、
飛んでいく狐のほぼ真下で見て、散りまくった桜の花びらを拾って家宝にしています。


歌舞伎を知って何十年経っても、
本当に面白かった芝居は繰り返し見たこともあってよく覚えていますし、
書いていても胸がどきどきしてきます。


誰が見ても面白いに決まっているものを、
そんなに仕込みに費用がかかるわけではなかろうに、
なぜにやらないのかしら。


毎月、今月は観に行こうかなと思いつつ、

この狂言ではねぇ・・

と見送っています。
惜しいことです。


新橋演舞場から帰りながら、思いました。

今日のような公演を見る客層って、どう言う人なんだろう。
歌舞伎を知っていたらより面白いけど、渋いと言えば渋い。

歌舞伎を見ることがある人が、
あれを噛み砕いたような、難解すぎない喜劇を、
歌舞伎仕立てで見せるのに対し、面白さを感じて固定ファンになる、
そういうことなら、それはわかります。
でも、歌舞伎の観客そのものが、今はものすごく少ないでしょう。

全く歌舞伎を見ない人は、あれを見てどう思うんだろう。

例えば、白塗りの殿様の市村萬次郎が出てくると、藤山直美さんが、

「あーびっくりした、うずら卵かと思った」

と言って笑いをとるのですが、あのような白塗りや、
様式化された独特の動きや声の張り上げ方、見栄の切り方。

これは、歌舞伎ってこういうものだと思って、慣れていたらなんとも思わないけれど、
いきなり見たら、違和感半端ないのではないでしょうか。

いまだによく歌舞伎を見に行っている友達によると、
歌舞伎座や国立劇場の歌舞伎公演では、
笑うところではないところで笑いが出たりするそうです。

つまり、馴染むまで、ちょっと大変、
お約束ごとに満ちているから・・というのが歌舞伎だと思います。

こういう感じのお芝居を、初めて見にきて、好きになる人はいると思うけれど、
本当にどういう客層なんだろう。

チケット争奪戦もなさそうだし、巷であまり話題にもならない。

そして、観客の年齢層が、結構若い人から年配のかたまで、
まんべんなくいるのです。

どうも不思議。
見続けていればわかってくるかもしれないから、また行くつもりです。


チケットをくれた友達よ、ありがとう!



昨日の続きです。

紙の仲間の中に、「シュレッダーした紙」という伏兵もいます。

シュレッダーした紙は、古紙のように思ってしまいそうですが
(ていうかそのものですが)、ゴミ捨ての世界では、違います。
シュレッダーした紙はゴミ捨て業界では別枠で、
瓶を捨てる日に、透明・または半透明の袋に入れて出します。
出自は古紙ですが、古紙として古紙の日に出せないので、要注意です。

また、一見リサイクル可能な古紙の仲間でありながら、
汚れや匂いがついたものは、古紙ではなくて「燃やせるゴミ」です。
線香、石鹸、洗剤、ピザの箱、クレヨンや炭のついた紙などです。

また防水その他の加工がされていたら、紙ではあるが「古紙」ではなくて、
「燃やせるごみ」と共に捨てなければなりません。

具体的にいうと、

紙カップ・紙皿・ヨーグルトの容器・写真・レシート(感熱紙)。

レシート駄目なんだ・・

じゃあ、ファックス紙もだめね?
感熱紙だからね?
ファックス持ってないけどね?


私など数週間の間、ヨーグルトのカップに「リサイクル紙」を表すアイコンがついていたので、
綺麗に洗って「古紙」として出していましたが、これは間違いでした。

いつタレコミがされて、刑事が飛び込んでくるかと思うと、おちおちしていられませんね。

また、古紙で回収できないのは、

「昇華転写紙」(カバンや靴の詰め物)があります。

すいません、そういうの、今まで古紙で、出していました。
だって、普通の古紙との違いがわからない・・・。

そしてまた、「昇華」というのは今まで、あれかと思っていました。
もやもやしている中学生男子に体育の先生が、

走ってこい!

てやつ。

ウィキべディア先生にお尋ねしてみますと、

「精神分析の用語。性的エネルギーが、性目的とは異なる学問・芸術・宗教などの活動に置換されること。」

これしか知りませんでしたが、上記の他にこれも出ていました。

「固体が、液体を経ないで直接気体になること。樟脳 (しょうのう) ・ナフタリン・ドライアイスなどでみられる。→凝華」

とあるので、なんだかこういうことに関係した作り方の紙なのでしょうか。
見たところではわからないですけど〜・・・


あと、通販用緩衝封筒は、「古紙」の仲間には入れてもらえないのですが、
これはプチプチシートがプラスチック、本体は紙。
やっぱり、包装容器プラスチックに出すの?
古紙に出すよりは合っていそう。
そうですこれは、燃やせるゴミに出します。

使用済みマスク・紙おむつも古紙ではありません。
それはまあ、そうだろうなと思いました。

古紙の世界では、名刺より小さいサイズの紙はすべて「古紙」ですが、
夫がきちんと、一つ一つのゴミごとに問い合わせに来るので、
一度配布されたゴミガイドの大事なところを翻訳して渡しました。

でも、毎日ゴミと向き合っている私でも混乱して間違えるので、
夫には少しハードルが高いようです。
良くやってくれています。

古紙回収、毎週水曜日の朝は、(屈んでいると腰が痛いので)、
あぐらかいて床に座り込んでチェックするのも、立派な「見えない家事」です。

君知るや我が苦労を・・


夫はリビングにゴミ箱がなく、
代わりに可愛らしいショッピングバッグに偽装した古紙回収ケースがあることにも慣れて、
それ以外はいちいち台所までゴミを捨てに来ますが、私同様わからなくなることが多く、

これはどこ?

と訊いてきます。

そこ置いといて

ーーーそこって、どこ?

え〜とえ〜と、調理台の上でいいや・・・

というやりとりが今でもよくあります。

あと、ちょっと解せないのが、「燃やせるごみ」の中には、ゴム・皮革製品も入れていいということ。

有害な煙が出そうだけど、いいのですか?



さて長々と今まで、

①燃やせるごみ
②古紙・古布
③包装容器プラスチック(の、匂いや汚れがついていないもの)

のことだけ書きましたが、もちろんそのほかに、

「燃やせないごみ」
「有害ごみ」
「ビン」
「缶」
「ペットボトル」
は、収集日も捨て方も別々で、ルールがあります。

その上で、家電法にのっとった家電は有料で別に申し込み、
家具などの粗大ゴミも、もちろん別に申し込みが必要なのはどこでも同じですね。


説明し忘れましたが、剪定などをして出た枝にも、ルールはもちろんあります。

枝は直径8cm未満に限り、長さは40cm未満に切り揃え、
直径30cmほどの束にして捨てることになっています。
素晴らしいのは、お願いすれば特殊車両が自宅まで来て、枝などをチップ化してくれます。
(でも、直径8cm以上の枝はやってもらえません)

全24ページに亘る収集日カレンダーと、ゴミ分別・出し方ガイドは、
今やめっきり本を読まなくなった私の愛読書。


途中まで読んでいくと、「詳しくは・・ページへ」というのがよく出てくるので、
読んでいても忙しいです。



最後に、日本語教師として是非特記したいことがあります。

名古屋市のゴミ用語は

燃えるごみ・燃えないごみ

と、自動詞であるのに対し、このC市は、

燃やせるごみ・燃やせないごみ

と、他動詞、つまり、燃やす人間がいてこそ、
「このゴミは燃やせるゴミである」「燃やせないゴミである」
という表現をしてあります。

つまり、そこにゴミを燃やすのは人間であるということを、
さりげなく差し込んでいるではありませんか。

すす、素晴らしい。

ごみが、勝手に 燃えたり燃えなかったり、するのではなく、
人の手を経て、燃やせるかどうかをじっくり考えてみましょう、

と啓蒙している、素晴らしい文言なのです。

C市ありがとう、私もより一層精進することをお約束します。

私は生ゴミコンポストをやっているので、コーヒー殻と卵の殻以外の生ゴミは出ません。
なので、週に2回も来てくれる「燃やせるごみ」は、2回に一度、有料のSかMの袋で十分です。
しかし、どんなに気をつけていても、1週間時間がありますから、
うっかりしていると、あれらのものに発生されてしまいます。
あれね。
私の天敵。
それで、少々のコンポストに入れられない料理中の後みは、
ビニールに包んだだけでは足りず、新聞紙で包んだりもします。
本当に少量ですけど。

包装材がおしなべてプラスチックであるわが国では、
リサイクル可能な容器包装プラスチックは、週に一度の回収でも結構大きな袋になります。

プラスチックを減らしていくについて、

プラスチックの包装容器をどうしたらいいか、考えていく必要がありますね。



何も考えずに、ガイドブックを見ずにきちんと捨てられた時、
私も立派な社会の一員になれるでしょう。

(だから大袈裟だってば・・)






この前、「名もなき家事」について書かせていただきました。
そのときに、我が家のごみ事情について漫画にしてみたく、
しばらく描いていなかった漫画を描きかけました。

ところが久しぶりにApple Pencilを握ってみると
タブレットに貼ったツルツルのガラスっぽい保護カバーは、
以前使っていたペーパーライクに比べると、滑って描きにくいのです。

その上、元々乏しい画力がすっかり衰えていて、とてもダメなことになっていました。

私は実は絵を描く時、デッサン力などもほとんどないので、
自分の手や足を見ながら手や足を描いたりしますし、
そもそも、2Bの鉛筆でケント紙にのろのろと描いても描き損じが多く、
何回も消しゴムで消して描き直し、最後にインクを入れる手法(手法?!) 。


「完璧な丸が一度で描けなくなった。もう俺は駄目だ」

と嘆いたという、神の手塚治虫先生の反対の極にあります。





これが、描きなおし始めた一コマ目で、そのあとぴたりと止まって、全く描けません。
言いたいことがいっぱいありすぎて、どうしたらいいのかわからないのです。
(そしてゴミ袋を持つ手がなんだか変です)

それで漫画の完成は後日ということにし、
書きたいことだけ書いて逃げていくことにしました。



我が家は四人暮らしだった時、見えない家事が今の10倍ぐらいあって、
家族の肩代わりでやることを終えたら、1日が終わる感じでした。

幼児二人がいたわけであはありません。
むしろ、大きくなっていた、成人の娘二人が、ほぼ家にいないが、
しかし、いる間は大人一人分の営みをして、
あとは全てけちらかしてまた出ていくので、どうにもこうにも始末におえません。



夫と二人暮らしになったら、

(二人ってこんなに楽なんだ・・・・)

と本当に驚きました。


こちらに戻る前の名古屋の3LDKの社宅には、
3部屋とLDKが一つ(当たり前ですが)あり、その各部屋に、

(せめて燃えるゴミと燃えないゴミぐらいは、捨てる人が分別して欲しい)

と願い、個ずつゴミ箱を置きました。

それでも、ごみの収集日には、
ペットボトル・缶・ガラス瓶・プラ・燃える・燃えない、その他が、
まんべんなく良い感じに両方のゴミ箱にまじくりあって入っているのが常態。


そして、文句を言いたい相手は帰ってきてないとか、
もう出てしまったとか、仮死状態に近い熟睡をしているとかで、どうもならず、

たーくーもーおー!

と呟きながら、一生懸命私が分別するのが常でした。



今は、住んでいる市のルールに従って頑張っています。

LDKには、台所に置いてある3分別できる小型のゴミ箱が一あるきりです。
すごくないですかっ?



黒いボタンを押すと軽く開く上の2つと、下の大きいのは足で踏みますので、
いつのまにかゴミ箱の上がギタギタに汚れてくると言うことはありません。

ここに「燃やせないゴミ」「燃やせるゴミ」「容器包装プラスチックゴミ」
が集まってきて、あとはリビングのカウンター下のデッドスペースにある
古紙専用のゴミ袋があるだけです。これは、

「可愛い袋が何気なくそこにある」

体を装った、古紙回収の日に出す、乾いた紙ごみ用のゴミ袋です。

アメリカから来た友達が何枚もくれた買い物袋のうちの一つで、
その中に、最近のAmazonが配達に使っている丈夫な紙袋を入れ込んで、
「古紙」の日に出すのです。





「古紙」とは、リサイクル可能な紙であり、燃えるごみだからといって、
「燃やせる」ごみとは一緒にしてはならないのです。

古紙の定義付としては、具体的には、

雑誌・本・お菓子の箱・ハガキ・封筒・メモ用紙・コピー用紙・チラシ
包装紙・紙袋・手でちぎった紙(はぁ?)などに加え、牛乳パック。

しかし、同じ「飲み物の紙パック」でも、内側にアルミ箔が貼られていると
これは、「燃やせないごみ」に出さなければなりません。
紙パックだし、いいよねと思っていると大間違いで、
これらは、「燃やせるごみ」ですらないのです。

混乱します。


古紙は水に濡れても再生できるため、雨天でも持って行ってもらえます。
雑誌・本・牛乳パック(くれぐれも内側にアルミ箔があってはいけない)、
これらを紐で結ぶのはわかるのですが、「古紙(=雑紙)」のほうは、

「紙袋に入れるか、紐で縛らなければならない」

と決められています。

このようなルールがあるたべに、紙袋不足に苦しむ多くの市民用に、
市のHPでは、

「市の広告紙やチラシを使っての雑紙袋の作り方」

を紹介しており、作りかけてあまりの面倒臭さに私は挫折しました。


市民の皆さんは、万々一にでも、これらの「古紙・古布・雑紙」を捨てる際には、
そこらへんの適当なビニール袋や段ボール箱を、

「捨てるための容れ物に使ってはならぬ」

ということになっています。


長くなりますので(え〜そうなの?😩)、ここで一度やめますね。




小田急線を新宿で降りて西口へ向かう途中、気になって仕方ないポスターがありました。

これです。





背の低い私が、人の頭越しに見えるのはちょうど、
両端がこの写真では切れていますが、GO HOME と見える、その辺までです。

私はこれを、

「家族に知ってもらえない形で最期を迎えてしまった人たちを、
家に帰してあげるため、情報提供などで、どうぞご協力ください」

という、警察のキャンペーン(マジ)ポスターだと、秒で思い込みました。
細かい字を見ていなかったからです。


昨今は行路死亡人が増え、遺族を探すのも大変。
遺族が見つからないと、各自治体の予算で火葬、遺骨保管となりますが、
遺族が見つかっても「そちらでどうぞお願いします」というケースが多いそうです。

家族の絆や伝統的な冠婚葬祭にも、大きな変化があり、
それがコロナ禍に、それ以降、更に一般の人にも大きく広がったようです。

それでこのポスターも、そういうことに対応したものだと思ってしまいましたが、実はこれは今晩(2024年7月13日(土))始まったドラマのポスターだったのでした。

そうは知りませんでしたので今までこのポスターを見るとつい、

(Go home・・帰ってくださいと言われても無理。
死んでいるから)

と、思っていたのでした。

"Go home"と、普通に誰かが誰かに言ったならばそれは、
「帰ってください」
ということです。(家にいるネイティブに確認しました)

「最期の落ち着き先の見つからない故人を、しかるべきところに戻してあげましょう」

という事を言う場合は、

Go Home (帰ってください)

よりは、

We will send you back home あなたをお家に送り届けます
Send him back home 子に人を 家に返してあげよう

ぐらいがよいそうです。

気になって検索したら、この Go Homeはドラマの題名で
「変わったアングルから行方不明者(死者)に迫る警察ものドラマ」
でした。
じゃあ、そんなに長々と題名はつけられない。
ネイティブから見たらちょっとあれだけど、
端的にわかる、考えたらなかなか良い題名かもしれません。




さて、洋画に邦題をつけるとき、翻訳家の皆さんは苦労していますが、
古くから素晴らしいものはたくさんあります。

Gone with the wiind → 風と共に去りぬ
ーー原題にも主語が欠けていて
「誰が去ったんだ、レット・バトラーか、それとも古き良き南部の伝統か」
と言われたそうです。


直訳で何の問題もなく、印象深くて良かったのは古くは

Gaslight ガス灯
Rear Window 裏窓


Leon (eの上にチョンがついている)は 「レオン」でいいのかと思ったら、
英語の題名は、

Leon: the Professional

なのだそうです。
どちらもいいですね。

ジェーン・キャンピオンのニュージーランド映画
Piano
は、邦題は 「ピアノ・レッスン」とされましたが、キウイである夫は、
「あれはピアノ・レッスンというと、広がるイメージを固定してしまう、
Pianoだから良いのに」
と今でもよく言います。


今では
Star Trek スター・トレック
ですが、日本で放映当時は、内容を伝えたいと思ったのか、
「宇宙大作戦」でした。
こういうのも昔のテレビドラでは多いです。

Star Wars スター・ウォーズ
ぐらいからは、伝わらなくてもぶつけてくるのが多くなったのかもしれません。
今では「スターウォーズのウォーズって何?」
と思う人はいないと思います。

その、ぶつけてくる原題が、当たり前ですが微妙に変えられているものも多いです。

The Legend of Falls →レジェンド・オブ・フォール 果てしなき想い
ーーレジェンドもフォールも馴染みのない英単語でしょう。
カタカナ部分だけだとよくわからないので、サービスでつけた日本語か。

The Lord of the Rings → ロード・オブ・ザ・リング
ーー普段から、the なのか、a なのか、なくていいのか、単数か複数かと、
英語で苦労しているので、こうすっぱりと刈り込まれると、
「いいなぁ、省いてよくて・・」と思ってしまいます。

ですが「リング」は、「リングス」(複数)です。
うるさいこと言うと、「あの一つの指輪」だけじゃなくて、
人間の王たちやドワーフの王たちにも渡された、
いくつもの指輪なのです。
そこをさくっと単数で「リング」とされると、私としては辛いです。

また、原作を読み過ぎた人々にとり、現代の、The Lord..

結局この「ロード」は誰なんだ、
見事にモルドールの火口に忌まわしき指輪を捨てたフロドなのか、
地味に活躍し続けて王位に復帰したアラゴルンなのか、
散々指輪関連で中つ国(なかつくに)の面々を振り回してくれたあいつなのか、


と考えてしまう The Lord であるので、その The の示すのは誰なのか。
ここで、Theがとても大事なわけで。
ああ、悶々・・

私はむかーしに翻訳された「指輪物語」は、
本当素敵な邦題だと思っています。


そういえば、忘れられないことがもう一つありました。

かつてコンサートのために来日したポール・マッカートニーは、
大麻の不法所持容疑で逮捕され、9日間収監の後、英国へ送り返されました。
当然、コンサートチケットを買っていた人は、コンサートが中止になって涙々。
昔のことですが、大きなニュースになっていたのでよく覚えています。

テレビのニュースで、ポールのファンたちのデモの映像を見ました。

ゲット・バック、ポーオルー
ゲット・バック、ポーオルー

と声を合わせ、Get Back Paul と書いた横断幕を手に、
ファンたちがマーチングしているのですが、
これはもちろん、ビートルズの「Get Back」を踏まえてのことです。

そのとき私は首をひねりました。

もちろん、ファンたちは日本政府に対して、

「私たちのポールを(私たちに)返して」

と訴えていたのだと思います。

一方私は、新潮文庫の「ビートルズ詩集」1巻と2巻(片岡義男)を、擦り切れるほど読んで、英語の歌詞と付き合わせていたので、この ゲット・バックのサビの、

Get back, get back, get back to where you once belong

が、

戻れ、戻れ、戻れ、お前がもといた所へ

とかいう意味なのだと、この本から教わっていました。
もしそれが合っているなら、デモに繰り出した少女たちは、ポールに向かって、

戻れ、戻れ、戻れ、お前のいたイギリスへ

・・・・と言っていることに、なっちゃうのではないのだろうか?
今でもときどき思い出すほど、印象が強いです。



Go Homeのポスターの骸骨は美人に挟まれ、骸骨なだけに大きく口を開けて笑っています。



リアルでは見逃しましたので、Tverで明日さっそく見てみようと思います。








畑を自宅でやっていたときと、コロナ禍でたくさん水耕栽培を屋内でやっていたときは、
それぞれに場所柄・栽培方法・植物により、特有の虫との、仁義なき闘いがありました。


今日は久しぶりにあった虫についての話を2つ書きますので、
すみませんが、苦手な方「女性飛行家」の話が終わったら読みやめていただければと思います。




昨日という日は、慌ただしく始まりました。

朝、元気よく出て行った夫のあとに、ぽつんと残るお弁当箱。
今なら間に合う。
引っ掴んで駆け出し、しばらく走ると後ろ姿が見えて来ました。

夫!
夫ってばよ!

と呼んでも、ヘッドフォンをしているので聴こえないようです。

ちええ〜い、もう!

と思いながら走って追いついて、背中を叩くとすごくびっくりしていました。
(私が走っても、歩くよりちょっと速いぐらいです)

間に合うタイミングでお弁当忘れに気がつくのは稀で、大抵は間に合わず、
忘れられたお弁当は私がお昼に食べるか、夫が夜に食べています。


夫がお弁当を忘れるたびに思い出すのがジーン・バーテンさん。


NZのオークランド空港に、NZ出身の女性飛行家、ジーン・バーテン女史の銅像があるのですが、
私はこれを見ると、お弁当を忘れた夫にお弁当を渡そうと、
走り出した妻にしか見えないのですが、皆さんはどうですか?







ジーン:ほっとけ

・・・すいません





はい、以下を読むと虫のことが出て来ますので、どうぞ閲読ご注意ください。
平気な人だけご入場くださいね。



その日、その後の私は、5レッスンを終え、下北沢の本多劇場へ向かいました。
ナイロン100℃による「江戸時代の思い出」を見るためです。

休憩の15分を除いても3時間たっぷりのコメディ。
ずっと笑いっぱなしで顔が疲れました。
こんなお芝居が大好きです。

ところで、その休憩時間になるよりも30分ぐらい前の話。
なにか足首がゴソゴソします。
嫌だったけど手を伸ばすと、指に触れるものがありました。
暗いので、何かはわかりませんし、知りたくもない。
でも、片方の靴で、何かを感じる部分を触ると、やはり移動する。
思い切って捕まえようと探ると、なにかとげとげしたものも感じる・・・

いやん!

これがGなら、触られればすぐに逃げていくと思うのですが、
これは何となく位置を変えて、やがてふくらはぎに登って来ました。

しかたないので私は履いていたパンツの裾をできるだけ両手で絞るというか、
脚に沿わせて、万が一でも「それ」が脚を、それ以上登ってこないようにしました。

しかし気になる。
しかし気のせいかもしれない。
しかし、気のせいかと思ってちょっと探ると、やはり何か動くものに手が触れます。

黄金虫・アブラムシ・ハダニ・小蝿・ダンゴムシ
蚊・ナメクジ・ネキリムシ・カミキリ虫

・・などとつきあいのある私ですが、コロナ以降は虫たちとはあまりふれあいがなかった。
それだけに、久しぶりの「これ」はものすごーく嫌で、
休憩時間に客電がついた時はほっとして、すぐに立ち上がりました。

・・・あら、いません。
なんだ、気のせいか

と思ったら、パンツの裾あたりから、何かがポトンと落ちて来ました。

いたんだぁ〜。

写真を撮って帰って調べたら体調4cmはあろうかという、
キマダラカメムシか、クサギカメムシようです。
(見たい方もいらっしゃるでしょうが、載せるのは遠慮しますので、
ご興味があったら検索してみてください)


そのときは、この後、私以外の人に踏まれても可哀想だし、
私みたいな思いをする人がいてもと思って、パンフレットにそうっと載せて階段を降り始めました。
外に出そうと思ったのです。
そうしたらこの子はいきなり飛び立ち、ブーンと、どこかへ行ってしまいました。

なんだ、今飛ぶなら、私の脚に登ってこないで欲しかった・・・
あ、そうか、暗いから飛びたくなかったんだね。

でもそんなこと言ったら、この前行った「シネマカリテ新宿」では、
かなり大型の甲虫が明るいうちから飛び回っていて、
映画が始まっていてもスクリーンの前を横切っていました。
あれは暗くてもよく飛んでいました。
人物の顔に近く飛んでいたりすると、ものすごく気になりました。

さて、私が普通よりも甲虫が嫌いなわけは、あの者どもは、
飛ぶ時は背中に生やしている硬そうな艶のある2枚の丸っこい羽をカパっと開いて動かさず、
その下に普段はしまっている薄い羽根を出して動かして飛ぶからです。
あれが嫌な人って意外と多いのではないでしょうか。

可愛い声を出しているデンボ(「おじゃる丸」の友達)だって、飛ぶ時はあれですから。

本多劇場から帰って来て、今も、思い出したりこうして書いていると、
まず頭がむずむずしてきます。そして、ふと、体の一部が幻想のむずむずを感じ、

まだなんかいるの?

と、立ち上がりそうになります。



では、最後に一つ、良い話で締めくくりましょう。

我が家は私がかなり気をつけているので、台所由来のショウジョウバエはほぼいないのですが、
いただいた 植木がありますので、どうしてもクロノミバエやキノコバエが時々います。

しばらく前に、キング・オブ・不動産営業マンのU氏と我が家でお茶をしていたら、
どうしても退治しきれなかった一匹が顔の周りをフラフラ飛び回るので、何気にさっと手で取ったら、

夫:あっ!
Uさん:あっ!

と、びっくりされてしまいました。

なんか、剣豪みたいですね(お箸でハエを捕まえる人)、と褒められて嬉しかったけど、U氏には、

僕はさすがにゴキブリや大きい方の蝿は、手では無理です。
コバエも無理かもしれません。

と言われました。

いえ、私も手で捕まえられるのは、コバエまでですよ、Uさん。



下に、なんか秘密兵器をしまっておいて飛ぶような甲虫の写真を載せますので
気をつけてください。