「名もなき家事」について最初に聞いた時、

そ〜なのよ!

と膝を叩きまくったような覚えがあるのですが、毎日、東京の中でも特にややこしいとされているC市のゴミの仕分けをしながら、

これがまさに『名もなき家事なんだなぁ』

・・・と、久しぶりに思ったのでした。



一人暮らしが2年を過ぎた次女がこの前、

「親と一緒に暮らしているうちは、全く考えたことなかったけど、
サランラップ一つでも、自分が買わないと、無いんだよね」

と言っていました。

これこれ、そこな娘御、そりゃ当たり前でござるぞ?

そこに「あって当たり前の物」も全て、「ないことに」気がついて、
「他ならぬ自分が」買いに行くから、また、「あるようになる」。

そんな当たり前のことが、親元に住んでいると、絶対わからないのです。


あらっ、トイレットペーパーがあと2巻しかない。
お母さん、買ってくるからお金ちょうだい。

などと言う中学生高校生大学生それ以上でも、親と同居の娘息子が、
いたらお目にかかってみたい。

「うちのはそうです」という方は、お手数ですがお知らせください。
賞品を差し上げます。
(うちに余っている、除菌ウェットティッシュですけど)



しかし懐かしいなぁ、私も結婚してすぐ、次女と同じことを思った。

あっ、あれがない。
これもない。
なんで?


なんでって、あーた、答えは簡単。
自分が買ってきていないから。


でも不思議なのは、気がついて買いに行くのって、自分なんですよね。
夫は世界に名だたる(家事をよくやると言われている)
キウイハズバンドなはずなのですが、

お?
ティッシュがそろそろないね。
買ってくるね。

と、「自発的に」動くことはまずなかったし、今もないです。
私が言えば100%やってくれますが、言われないと、気が付かない。

「名もない家事」は「見えない家事」なのでしょうか。

「言ってくれればやるからいいじゃん」

と夫が言うと、若い頃の私は地団駄踏むようにして、

「言われなくてもやって、ほ・し・い・のっ!」

と言っていましたね。

今はね、もう老夫婦。
子供も一緒には住んでいない。
家計も割り勘。
言えばやる、受け身200%の夫で、もういいや。
怒っているスタミナも、あたし、もうないの。

さて、若くて聞いたことのない皆さまのために:
名もなき家事ってこういうことだそうです。

「名もなき家事の概念は、2016年に大和ハウス工業の住宅事業推進部課長、多田綾子が提唱したもので、共働きの家族が暮らしやすい家を提案、販売するため、家事の定義を検討したことがきっかけであった」

ぜひ、こっちもお読みくださいね。


名もなき家事


それにしても、C市のゴミの分け方がすごく細かい。
戸建てに住むようになり、マンションのゴミ集積所に気楽にゴミを出している時代が終わって、改めてちゃんとやろうとすると、大変。
(前も違反はしていなかったし、生ゴミコンポストやっていたんで、
出すゴミは乾き物のほんの少々でしたが、収集日前に出すことはできた)

名古屋市の、黄色いカラスネットも面倒だったけど、
今はゴミ袋を納めて家の前に出す、大型のゴミ箱を買ってきて、
そこに入れて、よいしょよいしょと(旗竿地の奥の家から)
運んで行くことになっています。
夫に頼み忘れると、自分でそれをしなくちゃいけなくなるので、
早朝にバタバタしてゴミをまとめることになる。

他にもいろいろ、いろいろあって、分別ルールに悩むこともしばしば。

間違っていない正しい方法で、正しくバスケットや大型ゴミ箱に入れるまでして、
その状態で夫に向かって、

「今日はリサイクル紙と古紙の日なので、
大型ゴミ箱には入れない状態で、出してください」

と夫に言うと、

はいはーい☺️

と機嫌よく持って出て行くのですが、そこまでするのが大変だったりするため、
なんか釈然としないというか。

君知るやこの苦労を・・・
たくもう・・

あなたやってよ

と、週に5回ぐらいは思ってしまう。
(ごみ収集は週に5回なため)。


それで、久しぶりにハッスルして、漫画を描き始めたんです。

ところが今のiPadは、ペーパーライクフィルムを貼っていないので、
ツルツルして描きにくく、また、漫画もとても下手になっていました。
(あたかも前は上手だったような言い草、すみません)

さらに、下描きを4コマまで描いたら、
Apple Pencilをどこかに失くしてしまいました。

作画の予定では最後の方に、
「ちゃんと仕分けようとして駆けずり回る夫」
の絵を描こうとか、なんとかオチをつけようとか思っていましたが、
なんかもう、C市のゴミの分別が面倒くさ過ぎて、考えるのが嫌です。
で、Apple Pencilが出てくるまでは、放っておくことにしました。

永遠に日の目を見ないかもしれないので、下描きをここに載せ、
お茶を濁させていただきますね。

お目汚しですが、どうぞよろしくお願いします。
















ここで、燃え尽きました。

日を改めてまた、がんばります。

それにしても、Apple Pencilどこに行っちゃったのかなぁ・・









私が2011年にカウンセリングを受け始めたとき、1回目か2回目で、

ご主人は認知の歪みはありますが、
tamadocaさんも もちろんありますよ。

とカウンセラーに言われ、愕然としたことがあります。

あの、私がですか?
「はい」
夫だけじゃなくて?
「そうですよ」
娘のことで相談にあがったのですが・・私が・・?
「はい」
はあ・・・・・・・・・・・
「知りませんでしたか?」
・・・・・・・・知りませんでした・・・・・

私は自分のことを、それまで、

嫌になる程の常識人、人に煙たがられるほどちゃんとした人

だと思い込んでいまして、今なら絶対に、そんなことは違うと喜んで断言しますが、
悲しいことに当時は自分のことを、本当に知りませんでした。

このカウンセラーさん、大丈夫かなと思ってしまいましたが、
通えば通うほどにセッション時間は増えてゆき、老親との関係もこじれにこじれ続けました。

娘たちとはしょっちゅうぶつかりあい、
まるで、もぐらが二匹しかいないけど、穴が100個ぐらいあるモグラ叩きに、
無理に参加させられている感じでした。


私が落ち込んだり、攻撃的になったり、非常にいかん状態になっていたのに、
あの修羅場を伴走し、それでも見捨てずにいてくれる夫は、
たぶん、この辺で一番ぐらいに、良い人だと思います。
先々天国では、釈迦か、キリストか、アッラーの隣の隣ぐらいには、
席がとってあると思います。

カウンセリングは私にとり、麻酔をしないで歯を抜くぐらいに痛くて辛いものでしたが、
受けて良かったと思っています。



分け入っても分け入っても青い山

と慟哭したのは山頭火でしたが、私も、

(通っても通っても先がある・・・)

で、当時は本当に大変でした。


カウンセリングを通して、生まれた時から親に植え付けられた考え方の癖、
盆栽のように無理くり形づけられた心、認知の歪みというものは、
そう簡単には変わらないものだと知りました。



ある日、天白川の遊歩道を歩いていたら、私は急に「頭虫」の群れにつっこんでいました。
「頭虫」は自転車などに乗っていると、目や口、鼻にも入ってきてしまうことのある、
小さくて、いつも大勢で群れている虫です。

うわっち!

と、思いながら頭のあたりを払っていたら、思い出しました。


子供達が小学校低学年の頃、

「今日は頭虫がすごかった」

というようなことを時々言うので、頭虫とは何か、訊いたのです。答えは、

「おかん知らないの。頭にだけ、たかってくる虫だよ」

そういや、頭にだけたかってくる虫がいるね、と思ったのですが、これは考えたら大間違い。

私たちの頭には目がくっついていますから、虫の群れに突っ込むと、
それをみているのは頭にある目ですから、頭だけに虫がたかっていると思ってしまう。

でも虫は、別に私の頭に向かってきているのではなく、虫は虫として、
虫の理由があってそこにワンワンと飛び交いながら、上がったり下がったりしているわけです。

そこへ人間が入ってくるが、人間は、この虫は頭にしか たからないと、思ってしまうのですね。



これは私にとって、大変な「認知の歪みのメタファー体験」となりました。



似たようなことが、つい昨日ありました。

私は台所食べ物くずで生ごみコンポストをやっています。
これも、自分が食べないから「くず」と認知しているだけで、
茄子のヘタが「野菜くず」で、それ以外が「有用な野菜」であるわけではありません。

とにかくその紺pストに、虫が飛び込まないように普段から注意していましたが、
先週、バッグの中にコバエが大発生しました。
やっぱり野菜に卵がついていることもあるし、避け続けることはできません。


で、初めてその幼虫や成虫を見て、私はそれがコバエだと思うことができなかった。
なぜかというと、すごく小さかったから。

私はLFCコンポストのコミュニティに書き込みをし、

「これはなんでしょうか。小さくて、ショウジョウバエとは思えません」
「コバエなら知っているのですが」

とか書いてしまいました。

でも、違いますよね。

コバエは卵から生まれたときも、羽化して飛び始めた時も、
小さすぎておそらくほぼ、見えないのでしょう。

私が「あ、コバエだ」と思ってきたのは、何日かめの、
成長して目に止まりやすくなったコバエに違いありません。


それを、

「この子らは小さいのでコバエではない」

と決めつけていたという、これも、大きいところを見ることができない、自分の癖だとよくわかりました。



認知の歪みのために、せんでもいい遠回りや、余計なことしい、
どうでもいいことで走り回っていることが多かった・・。


人間、原寸大で物事を見ることができれば、もっとハッピーになれますよね。


私を悪い見本にしていただくと、良いと思います、いやほんと!



トップ写真、こんなに端正に丁寧に用意したのに、
できた紅茶シフォンは、もくろみの半分の膨らみ方。
本当に歯応えがあって美味しいです!

これを書いたのは、6月26日の夜でした。




私は今、「アンメット」その最終話の十一話を一昨日見て、激しいロスの只中にいます。




「らんまん」ロスは、主人公が長生きしてくれたし、愛に満ちた夫婦愛の物語なので、
安定した気持ちで見ていることができました。
だからロスもマイルド。

そして、関係ないと思うけど、「ゴジラー0.1」では、同じ2人(まんちゃん🩷すえちゃん)が、
苦しい道程を歩き抜いて、最後に再会できたので、
なぜか、らんまんロスは、ちょっと時間差で軽減できました。

深刻なロスが懸念される「虎に翼」は、本人が(寅子が)しっかりしていて軸足がぶれないし、
史実として、こうなるとわかっているので、これも安定。
そして、寅子に任せておいたら安心ということがあるので、
こっちのロスもまあ大丈夫でしょう。



しかし、アンメット。
これは、そうはいきませんでした。

最終話を4回も見た挙句、わざわざ今、第一話から見直している。
そんな私は、他にすることはないのでしょうか。

今日なんか夫が接待で遅いと言うので、つまみを整えてどっかと座り、
ワインボトルを抱えて、はやもう四話目を見ているところです。

つまみは、酢の物・大根の塩麹柚漬け・胡瓜の糠漬けとチキン・カチャトラ。
全体に甘酸っぱいです。




で、私はアンメットについては、一言も二言もあるのですが、
特に素晴らしいと思うのは、皆さんも言っておられますが、あの不自然なまでに抑制の効いた台詞回し。

いつもゴソゴソ喋る三瓶先生と、三瓶先生と喋る時は同じように静かに喋るミヤビですが、
彼女も三瓶と一緒にいないときは、割と普通目にハキハキしゃべります。
他の同僚や上司達も、こちらもまあドラマとしては、抑制は効いているものの、普通です。

三瓶とミヤビの喋り方については、友達を捕まえて一席打ったことがありますが、
今日の話のポイントはそこではありません。



あまりに静かに喋るので、よく聴き取れない問題というのが、
私にとってのアンメット全十一話を通じて、いつもありました。


例えば十話。
10分間、役者のアドリブに任せ、ノンストップの長丁場。
素晴らしかったです。

ネタバレになりますので、これから観る人はお気をつけください。





大丈夫ですか?

いいですか、書いちゃっても。

いい!

といただきましたので、書きますが、



夜の病院。
記憶障害のある脳外科医ミヤビと、深いつながりのある三瓶が話しています。
三瓶が、重度障害のあった兄について語ります。
兄が遠くの施設へ入れられた時、お兄ちゃんのためだと聞かされて、
自分もそう思ったけど、自分も周囲も、実は兄を、見えないところに兄をやってしまっただけだったのではと。

お兄ちゃんはもう亡くなっています。

「兄はずっと泣いてて・・」

訥々と語る三瓶に、見ているこっちも、

ううう〜〜・・・😭

あっちでも涙、こっち(見てるあたしたち)でも涙です。

ミヤビの胸に頭を寄せる三瓶。
それをかき抱くミヤビ。

よし!

ところが、突然ミヤビが体を三瓶から引き剥がし、怯えたように言うのです。

すみません。
どうなったんすか。

と。

いや違うのですが、私には、そう聴こえちゃったんです。

どうなったんすか、って。

ちなみに、

なんすか、
なんか用すか、

という話法は、三瓶のものだったのに。

あれは、
「どうなったんですか」とは、どう言う意味だったんだろうと思っていたら、
案の定、聞き違いでした。

(番組のことを語り合っている多くの人たちの中で、
「あれが聴き取れなかった」と言っている人たちは、私の他にもいらしたそうです)


実は三瓶と抱き合っている最中、ミヤビは脳の障害が進んでいて、
そのとき、突発性記憶障害を起こしていたのです。


今まさに抱きしめている相手が誰か、忘れてしまったミヤビ。
いやぁ、恐ろしいでしょうね。
かわいそうに・・


それで

すみません、どなたですか?

と言ったのです。

どなたですか?

しかありえないのですが、

どうなったんすか?

聴こえてしまったのはこれはもう、しょうがない。



次。

今日は、三話か四話で聞き間違いました。

ミヤビの主治医は、ある理由があって、ミヤビの障害の詳しいことを外部に対して隠しているのです。

ミヤビが知ることとなったあることがあり(詳しくは忘れてしまいました)、
ミヤビが主治医に言うのです。

「それで先生は、私の芋洗い画像もお見せにならなかったのですね?」

芋洗い画像?
いも、あらい、がぞう?

さすがにこれは、2秒で聞き間違いに気づきました。
MRI画像でした。

皆さんも私を笑っていないで、早口で

MRI画像!

と おっしゃってみてください。

かなり、芋洗い画像、に近い音になります。



酢の物も漬物も鳥の煮込みも食べ終わり、あとはふんぞりかえって「アンメット」を観るばかりです。

朝が早いので、実はもう眠い〜、午後10時半ではありますが、頑張ります。

皆さんはあまり夜更かしをなさらず、お風呂に入っておやすみくださいね。









この前、日本に長く住んでいる英国人のYoutubeで、
日本のびっくりする食べ物の一つとして、フルーツサンドを挙げていました。
見ていた私たち夫婦はびっくり。
フルーツサンドって、美味しいですよね?
年に一回ぐらいしか作らない超贅沢品です。

これはあれかな、サンドイッチは savory=おかずパン であるので、
パンにクリームとフルーツというと、外国の方には抵抗があるのでしょうか。

近所のお菓子屋さんで、ハムサンドと卵サンドを幼稚園のお弁当や、
たまにおやつに買って食べていた私は、小さい頃からサンドイッチが大好きです。

家で作ってもらう、パンの耳のついたものは、ハレとケでいうと当然ケで、
耳のないものは心が弾みました。
でも、切り落とした耳は、サンドイッチと並行してマーガリンと砂糖をつけながら食べたり、
あとで揚げて、砂糖をまぶしたりしてやっぱり食べました。
もちろん、牛乳に浸して、ハンバーグの材料の一つとして使うこともしました。
捨てるなんてありえません。
そういえば、「ねもと菓子店」さんでも、パンの耳をビニール袋に入れて売っていましたっけ。

昔、祖父の回忌で集まった時に、同居してくれていた叔母が新しもの好きで、
なんでも興味を持ったら試す人で、オープンサンドイッチというのを出してくれました。

ハム、チーズ、胡瓜、トマト、ゆで卵・・ぐらいだったと思いますが、
広い畳敷の部屋で、お坊さんも一緒に、作りながら食べたサンドイッチは楽しくてわくわくしました。
だから大人になっても覚えています。

キウイ夫の方の結婚式やお葬式というと、
卵なら卵(卵とマヨのものだけでも、刻んで会えたものはエッグサラダと言っているようです)、
ハムならハム、ツナマヨならツナマヨという、
シンプルな小さなサンドイッチがたくさん出て、最初になくなっていました。

義両親が亡くなり、子供達も家を離れ、もう毎年家族で帰省するということはこれからはありません。
でも結婚以来帰省のたびに、何かのイベントや、
訪ねて行った先で出してもらった小さなサンドイッチはとても美味しかったです。
次はいつ帰省できるかな。


私は毎日夫にお弁当を持って行ってもらいますが、
コロナ後、多くの社員が在宅ワークになっている今も、
夫はオフィスの方が仕事がしやすいと言って、ほぼ毎日出勤しています。

ただいま
おかえり、how was the Obento?
It was good.

という決まりきったやりとりが毎日あります。

たまにサンドイッチにすると、夫はよろこびます。
お弁当にするときは、オーブンしーとで包みますが、
つるつるして包みにくいですけれど、しっかりサンドイッチをサポートしてくれるので便利です。




今日はローストチキンサンドイッチ。
具は最初に用意して別のまな板で待たせておいて、




だだだ、と一気に作ります。




ワックスペーパーで包みます。



これをすると、お昼に開けた時にベチャベチャになっていないそうです。



かつて、コロナ前、毎年帰省をしていた時期は、日本に帰ってくる前に
ピカレリというものと、いろいろなサンドイッチや肉・魚につけたり添えたりして使う
ペースト状のものをたくさん買ってきました。

黄色いピカレリは、辛くないマスタードと玉ねぎを甘酸っぱく漬けたもの。






他は、なになにチャツネ、なになにレリッシュと名前がついていて、
強いて訳せば「薬味」かもしれません。



左、スイートチリ・レリッシュ、右、飴色玉ねぎペースト


サンドイッチをワックスペーパーで包む方法

義母は、具をたっぷり入れたサンドイッチを作って、出してくれる時、

These are two-handers.

と言いました。
両手でしっかり持って食べるやつよ?
という意味でした。

親指と小指はパンの下、残りは上に置き、
向こうの端から具が落ちるのをできるだけ防ぎながら食べる、
そんなコツの要る、具沢山なサンドイッチなのでした。



私の子供の頃に、歩いて5秒、家のほぼ向かいに「ねもとさん」というお菓子屋さんがあり、
そこから10秒で「太田さん」というお菓子屋さんがありました。

駄菓子屋さんの方は名前はわからないのですが、
「石鹸山」(※1)と呼ばれた廃土集積場を過ぎたところに小さいのが一つあり、
お金がないときは、ある子が贅沢をするのを後ろからみんなでじっと見つめ、
自分にお金があるときはもんじゃ焼きを食べていた・・

という話をすると長くなるのでやめて、まず、ねもとさんと太田さんの違いから。

太田さんは「山崎」の子分であったので、
「買ったパン」がそのパン部門の多くを占めていました。

ねもとさんはそれに対し、店舗は太田さんのそれの3分の1ぐらいでしたが、
「食パンスライス機」(※2)を備えた手作り派で、「作るパン」を多く作るお店でした。

「買ったパン」は、工場からお店に来て私たちが買う、菓子パン・おかずパンや甘い系の菓子パンのことです。

それの反対に位置するのが「作るパン」です。
「作るパン」とは文字通り、お店でおばさんが作るサンドイッチや、中身のあるパンのことですね。


今ふと思ったのですが、日本語として正しいのは「作ったパン」ではないでしょうか。
私たちがお金を握りしめて買いに行った時に、おばさんの「作った」パンはすでに並んでいる。
でも、「作るパン」と呼んでいました。

⚠️時制の一致を見ていません⚠️

でも当時は子供で、日本語教師でもなかったので、別にもやもやすることはありませんでした。


「今日のお弁当は、ねもとさんの『作るパン』でいいでしょう? 」
「たまには太田さんの『買ったパン』も美味しいよね」

という具合です。

しかし、後者の「買ったパン」的な言い方は、誰も深くが考えず、普通に言っていますよね。
いつ買うか、買ったか、ということは考えず、
「買って食べるカテのもの」という意味だと思います。

太田さんの食品ケースに並んでいるパンのほとんどは、正確を期して言えば、
「工場で作ったパン」か、「(これから)買うパン」なんですが、
かと言って、
「工場で作ったパン」vs「おばさんが作ったパン」
と言おうとすると長いし、短く「作ったパン」と言いそうになるが、
それをしてしまうとお店の区別がつかない。

そうか、だから、「買ったパン」と「作るパン」と言っていたのね。
数十年後に明らかになりました。
それではこれで。



というと、終わってしまうので、もう少し書きます。

太田さんに行くのは、当時では個包装ではなかった「買ったパン」の、
あんぱん・クリームパン・ジャムパンが目的でした。

あんぱんは丸く、黒胡麻がついている。
あんのある部分の天井には、洞窟のように隙間がある。
隙間が大きいのが正しいあんぱん。
木村屋のように、桜の塩漬けが載っていると、別格の高級品ですね。






クリームパンは、子供の落書きの野球のグラブのような形で、
中には黄色いカスタードクリームもどきが入っていた。




粘りをつけた化学の味だったと思いますが、
私は自分で一生懸命(たまに)作るカスタードクリームより、
市販の安いお菓子に入っているもののほうが、断然好きです。




ジャムパンは、形は忘れましたが、中身はプチプチの種のある苺ジャム。
当時は、三大パンのお供といえば、バター・マーガリン(砂糖を加えたものを含む)
ジャムパン・ピーナツバターでした。

おしゃれなジャムが出てくるのはもう少しあとです。

まさに山崎製パンが今も作っているジャムパンだそうです。






ねもとさんでは、コッペパンの切れ目に、バタークリームを詰め、
真ん中にチェリーをおいたものがあり、とてもおいしかったです。



あとは、同じくコッペパンの切れ目に甘みをつけたマーガリンを塗ったもの。
あとは細いコッペパンに焼きそばを入れた焼きぞばパンぐらいで、その他はサンドイッチ2種でした。


その具は、

ハムと胡瓜
刻みゆで卵のマヨネーズ和え

これだけです。
これでいいのです。

歩いて数秒、玄関を出てすぐ見えるねもとさんへは、幼稚園のお弁当を何かの理由で母が作らないときに、
自分で好きなものを買いに行かされました。
また、毎日少しのお小遣いをもらっていましたので、
下町の子が普通に許されていた買い食いも毎日していました。


家でサンドイッチを作る時は、
「ねもとさんに行って、食パン一斤10枚切りにしてもらってね」
と母によくお使いに出されました。

「食パン一斤、10枚切りにしてください」
「はいよ」

おばさんか、独身のお兄さん(イケメン)が、透き通った袋から食パン一斤を出し、
食パンスライス機のボタンを入れると、丸い大きな歯が、恐ろしい勢いで周り出す。
その丸い歯に食パンのサイドを押し付けると、パンはほとんど音もなく、すい、すい、すい、すい・・。

おばさんかお兄さんは、食パンを向こうに押しやりながら歯に押し当て、
一枚切れると逆に手前に引き戻すことで、11往復させ、
見事に10枚の薄切りのパンができます。

11枚往復というのは、食パンの一番端はたいてい一面に「耳の一部」です。
で、それは10枚のうちにカウントしないため、11往復することが多かったと思います。
・・・というのは、今、大人になって考えついたことなのですが、
新しい食パンを切り始める時は、11回往復したのではないかな〜。
違っていたらごめんなさい。


家で作ってくれるサンドイッチも、「ねもとさんで買うサンドイッチ」も、具は同じですが、
大きな違いは、「作るサンドイッチ」は、パンの耳がないこと。
なので、贅沢で美味しく感じられました。

2枚のパンに具を挟んで対角線で切るので、直角三角形です。
そして、別にサランラップとかには包んでいないため、1日の遅い時間になるほどに、
少しパンがカサカサして、固くなる、それがまた美味しく感じられました。
なぜでしょう。
最初の一口を、家に帰るのが待ち切れなくて紙袋から少し出して、角を一口。
そのとき舌に当たった、食パンの切り口の固さと、乾いた感じを今でも思い出せます。

家のサンドイッチは、山登りやハイキング、小学校の運動会や土日のお昼に母が作るもので、
パンの耳のある直角三角形です。
ねもとさんのよりしっとりしているが、耳があるので食べ応えもありました。


このあとちょっとして、缶のツナを「シーチキン」と称して市販するようになり、ツナマヨのサンドイッチがこれに加わりました。

続きますね。

…………………………

※1 石鹸山 せっけんやま
近所にあった、少しずつ大きくなっていく、廃土を捨てていって出来た低い山。登山道のように山肌に15段ぐらいの刻みがつけてあったので、結構高さはありました。登ってはいけないことになっていましたが、平気で登って、土を掘っくり返しますと、黄色・グレー・青・白が混じった土でした。
これが後年、六価クロムの投棄場であったことが報道され、かなりびびりました。
我が故郷江戸川区のことも記事に出てきます。

六価クロム

六価クロム - Wikipedia
ja.wikipedia.org

※2 食パンスライス機 スライサーとも言う。
今はいろいろ、事故防止のパネルなどがついていますが、ねもとさんのはついていなくて、見ているとザワザワしてきました。
アメリカ映画「月の輝く夜に」で、ニコラスケージが事故で片手を失うのが、昔のスライサーだったように思います。
ハムスライサーだったかな?