長柄駅前


駅を出て、踏切を渡って東へ歩いて行きますランニング



星塚古墳
途中、右に曲がると日本の原風景を感じられる場所を通りますグッ

田畑に挟まれた道を歩くと目の前に星塚古墳が見えます虫めがね

道なりに行くと、そのまま大和神社へ入れます神社



【現地説明文】
大和神社の周辺には多数の古墳が分布しており、大和古墳群と呼ばれています。そのなかの一つである大和神社境内の星塚古墳は全長70mの前方後方墳とされていますが、より細かく形をみると、二つの方形の墳丘がつながったような独特な形状をしています。

 また、一つの墳丘の下位には方形の台状部があるようにも見えます。

北側の墳丘は一辺約25m 高さ5m あります。

これまでに発掘調査はおこなわれていませんが、埴輪片などが採集されています。 大正時代に刊行された 「奈良縣山邊郡誌」に は「神武天皇ノ皇后姫蹈鞴五十鈴媛命ノ御陵」とする伝承が採録されています。

令和2 (2020)年7月 天理市教育委員会.




大和神社
星塚古墳を経て大和神社へは脇道から入る事ができます



本殿





現地説明文
大和大明神
日本最古の神社
大和神社

鎮座地:天理市新泉町星山
    日本大国魂大神

御祭神:八千戈大神
    御年大神

御例祭:四月一日(ちゃんちゃん祭)

社格 :旧官幣大社

御由緒

日本大国魂大神は、大地主大神と申し上げ、日本の国の土地を司る神で宮中内に天照大神と共に奉斎されていました。

第十代崇神天皇六年に皇女渟名城入姫命により当地に移されたのが当神社の御創建。(二〇〇〇余年前) 

奈良朝時代には遣唐使も出発に際交通安全を祈願された。

万葉集にもうたわれています。

また、戦中は世界最大を誇った 「戦艦大和」の守護神として祀られました。 

祖霊社に伊藤整一命外が祀られています。

御神徳:交通安全 土木建築工事関係

厄除け:家内繁栄

当神社の御旅所は山の辺の道筋中山町大塚古墳にあります。 

天理教中山みき教祖の生誕地がの三昧田町にあります。







鳥居






一の鳥居




参道
参道は270mほどで、戦艦大和と同じ長さで、幅は約5倍だそうです電球




二の鳥居
太い光の帯が写り込んでいましたびっくり

神社のパワーかな!?






増御子神社

増御子神社
祭神 猿田彦大神 天鈿女命

猿田彦大神は、ものごとの一番最初にご出現になり、万事最もよい方へお導きになる大神です。

古事記・日本書紀などにも、わが国のはじめ天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をこの国土へご啓行になられたと伝えています。 

このご神徳によって、全国各地のご祭礼に際しては一番先頭に大神を仰いで渡御が行われ、本社の御祭にも先駆する天狗が猿田彦大神です。 

「さき立ちの神」「さきみちの神」「ひらきの神」として、 氏子・崇敬者の将来の繁栄と開運成就をお授けくださいます。

学業成就、家業繁栄、交通安 全、開業・移転災除等、諸願成就にご神徳顕著です。







祖霊社

【現地説明文】
祖霊社

御祭神
大国主神

国津神珍彦命 別名・椎根津彦命 神武天皇大和平定の功臣。 大和国造に任じられる。

市磯長尾市命 初代斎主・皇女渟名城入姫命の後任として宮司をつとめる。

大和宿祢長岡 別名・小東人命第十一次遣唐使請益生。

養老律令撰修に携わる。

大和神道御霊之社氏子祖霊(例大祭は彼岸の中日)

戦艦大和第二艦隊戦没英霊等(例祭は四月七日)

創建日

明治七年一月九日官許により創建

由緒

大和神社の祭祀を担ってきた旧宮司家と氏子筋にあたる大和神道御霊之社の各家々祖霊を祭祀するために創建された。

秋の例大祭には、大和神道御霊之社の分霊が祖霊社に合祀されて、大和郷の守り神となる。

国家によって神社管理が行われていた時代に一般国民の先祖御霊を祭祀する

祖霊社が官幣大社の社格を有する神社の境内地内に建立許可されたのは、大和神社のみである。

九ケ大字800世帯にすぎない氏子地域が、時の政府に例外の許可を賜った史実は皇室と大和神社との深い関係を推しはかることが出来る。

後の昭和二十八年に戦艦大和戦没英霊、四十七年には、巡洋艦矢矧、駆逐艦八隻の戦没英霊が合祀される。

帝国海軍の旗艦であり、全国に多数の崇敬者がいる戦艦大和乗務の英霊と大和神道御霊之社各家々の祖霊が旧官幣大社境内地に合祀されているのは他に例をみない祭祀形態である。

ちなみに、現在の祖霊社は、大和神社改築の折、日本大国魂神が祀られていた本殿を移築した社殿である。







神社





現地説明文
祈雨神祭について 全国総本社

大和神社の摂社である御祭神は雨師大神即ち水神様で崇神天皇のとき渟名城入姫命(ぬなきいりひめ)をして穂積長柄岬(現新泉星山)に創祀される。

古来六月一日、十年に一度の大祭には、和歌山・吉野・宇陀その他近在邑々から千人余りも参拝者の列が続いたとある。先頭に円生川上神社中・下社が金御幣を持ち後尾は末社の狭井神社が勤めた。 

茅原上の道を経て、箸墓裾で休憩、大倭柳本邑に入り長岡岬、大市坐皇女 渟名城入姫斎持御前の井戸で祓い清める。

神職は輿と共に神橋を渡り いちし 大和神社に入る。一般の人達は宿から一番鶏が鳴くと倭市磯池に体を清め かさむら 笠縫邑から神社へ向う。社は古代伊勢神宮と同じ建築様式で江戸時代の 建立になる。昭和二十五年の台風により被害を受け半壊する。







朝日神社・厳島神社・事代神社








磐座・雨師
磐座は天から降臨した神が安座される石気づき

雨師は雨をつかさどる雨神雨






ゆかりの碑
昭和20年に撃沈された時点の乗組員数2,736名にちなみ、2,736mm✕1,300mmの大きさの石碑があります電球



戦艦大和展示室





平日の9時ぐらいに着きましたパー

人はおらず、神聖な雰囲気の中、ゆっくりと見物できました照れ

駅からのアクセスも良く、オススメできる神社でした二重丸グッ










(202104)