三国港駅から路線バスバスで約20分、東尋坊からは路線バスバスで約13分、越前松島水族館バス停で下車、徒歩5分程で入口付近に辿り着けます。

越前松島は北陸の「松島(日本三景)」と称される景色の良い観光地ですキラキラ

遊歩道が整備されており、海食洞を見てまわる事ができます走る人

景色や地形を眺めたり、歴史や地質を学べたり、冒険してる気分を味わえたり、かなり楽しめましたルンルン






遊歩道
一部立ち入りが制限されている場所もありました。観光客は私以外にいませんでしたグッ

静かに見てまわれる穴場スポットです照れ






聖り穴

この洞穴は、松島三洞穴の一つで自然現象によりでき、奥の観音堂は、丸岡藩主本多飛騨守が寄進したと伝えられ通商航海の守り本尊として地域住民によりあがめられています。

また、昭和の初めこの洞穴内の地中から縄文時代、弥生時代の狩猟、漁猟に使用した各種土器、釣針、 貝輪等が多く出土したところから古代人の住居跡ともいわれています。







人気がないので、少しずつ不安な気持ちが出てきましたアセアセ

特に洞穴に入ると不安感が増してきましたえーん






観音洞


松島三洞穴の一つで、この洞穴も自然現象により出来たもので観音菩薩をお祭りしてあり、毎年四月十八日は観音祭りとしての行事があります。

また、昭和の始めこの洞穴から壷形、高杯形土器、鹿角製釣針、貝輪、珠文鏡、貝殻、人骨等多数が出土したところから狩猟、漁猟を生業とした縄文時代 から弥生時代にかけての横穴住居跡ともいわれてい ます。

なお、これらの出土品は、東京国立博物館に保管されています。





【現地説明文】
■海食洞のでき方

三国町から敦賀市にかけての越前海岸には、越前松島の海食洞のように、洞内の床面の海抜高度が3~5mで ある天然の海食洞が数多く見られます。

 これらは、縄文時代前期頃 (約5~6千年前)におこった縄文海進期 の海面の高さが現在より高く安定していた時期にできたものです。

北北西からの卓越した季節風による波浪 を受け、地質的に弱い部分がえぐられて窪みができ、 その窪みが1000年以上かかって拡大して形成されたものです。

遺跡の調査結果から、越前松島の海食洞は、縄文時代前期から古墳時代にかけて、海を中心とする狩猟の場として当時の人々に利用されていたと考えられています。




国定公園 越前松島
入口付近から10分ぐらいで到着しました。こじんまりとした






【現地説明文】
越前松島は東尋坊や雄島とともに新生代新第三紀中新世(今から約1200~1300万年前)の火山活動によりできた火山岩からなる島々が点在する名勝地です。

この火山岩の岩質は、東尋坊や雄島に比べて非常に黒っぽく、ちみつな安山岩で、岩石を構成する鉱物をくわしく調べると、紫蘇輝石,普通輝石の斑晶や斜長右の斑晶が点在する玄武岩質の安山岩であることがわかります。

またいろいろな方向性をもった柱状節理(マグマが冷え固まるときにできた柱状の規則的な割れ目)がよく発達していて、私たちの目を楽しませてくれます。

越前松島のいろいろな場所で、柱状節理の方向性などを観察すると、溶岩の流れた方向や、溶岩の流出が数回あったことなどが推定できます。





長茶ヶ浜


そのむかし順徳上皇が北条氏により佐渡ヶ島に配流のみぎり難航してこの浜に流れついたといわれる浜で、岩肌や松のながめが非常によく、広々としているので、むかし殿様をはじめ多くの風流人がここへやってきて景色をながめながら時間のたつのも忘れて長い間お茶をのんでいたので「長茶ヶ浜」と名づけられました。

岩は東尋坊と同じで柱状の輝石安山岩ですが、 岩の節理がおもしろく、材木を積んだ形に似ているところから俗に「材木岩」 といっています。






(201904)