pc youtで、ドドドりくりゅう沼、特に龍一君の「お父さんブリ」に魅せられつつ

それでも、尚、「光る君へ」に定子様の御名が煌めきますと、1.5倍速、尚且つ

ダイジェスト飛ばしで、孫悟空の筋斗雲のように、

「光る君」の世界をぶっ飛びまする。

 

              

 

 原作者 大石静様のまひろ・道長恋愛編をかるーーーーく、スルーしまして

「ただ一人の悲しき中宮様をお慰めするために書かれた、枕草子」の少納言の心根に

 

皆を喜ばせるため、ひいては、政略の意味合いを含んだ・らしき式部の

「源氏物語」の成立の在り様。

 

私は、春はあけぼの 本当にその意味がわかったような気がします。

和歌の枕詞のように、春はあけぼのと、決まり文句だと思っていました。

春は、桜です。春は梅花です、朧月夜です。春暁です。

あけぼのは、清少納言の感性です。

そして定子中宮は、その思いをくみ取り、同感して、

身分を超えた信頼関係が生じたのです。

 

                

 

一条帝の熱愛も、少納言達おそば近く仕えた女房達の多くが、

中の関白家没落後も定子中宮のサロンに集ったのは

全盛の時も、没落後も、定子中宮の「凛として気高く優しく思いやりに満ちた」優れた資質によると思います。

 

まあドラマですよね、定子中宮と清少納言の「ソウルメイト」の強調でしょうが、

宰相の君達、馬の内侍、中納言の君、右衛門等だれもおわしませんぞ

他の女房達も、おそば近く、主を守るべき役割を表現していただきたかったわん。

父道隆が、定子中宮が皇子を産むべく二条第を造営、里として利用する

「 我が御殿と思す二条の院にてぞし給ひける」

紫の上にこの言葉を発せた

紫式部は、定子中宮から目をそらせません。

 

                    

 

かってはあったのです。

たとえ 儚く短く一瞬でも、中の関白家の煌きは実在したのです。

生き生きと当意即妙の知と智の交流が、息する如く 生活を彩った。

日本の根底となる和様の薫香が生み出されたのです。

定子中宮を ていしではなく、何故、さだこと読むのか

彰子をあきこ、倫子、元子、脩子内親王、どう女性の名を呼んだか発音がわからないなら、私達が学んできた古文や漢文は何だったのでしょう。

 

 

 

 

 円地文子氏の『なまみこ物語』には、少納言は、定子の宮の言葉でしか、その姿を現しません。

そして、宮は、決して『運命の過酷さ』に涙にくれる『大鏡』や『栄華物語』での描写のか弱き嘆くばかりの中宮ではありません。

己を信じ、運命を正面から受け止め、世評に惑わされず、自己の意思を持った気高い精神。誇りを失わず、背の君一条帝を最期まで思いやった、心配りの知性の御方。

私は彼女に中学1年の青ちゃんの時に出会いました。

長寿で、二人の天皇の母、父はかの御堂関白道長、

中宮から上東門院との女院にまで駆け上り,弟達、妹達を導いた、「まるで光明子の再来のような」忌憚の影の無い天上界の守られ人。傍らには、家庭教師としての紫式部を従え、源氏絵の再現のような「輝く藤壺」を現出する。彰子の名も素敵です。

でも、定子同様、大臣家の大姫です。入内して女御となり、皇子を産まなければ「人」として認められない使命を背負った、女人です。

鳴り物入りで入内した12歳から9年後に皇子が誕生して、やっと大姫の責務を果たした彰子にも、人知れず苦しい時があったことでしょう。

今後、光る人は、式部と中宮彰子の関係を軸に描かれていくことでしょうね。

 

(あの~~諸説ございましょうが、女御元子さんは、想像妊娠で、流産ではなく(水腹だったそうですよ。元子と義子は女御でありながらその仕える女房達は口さがなく相手を貶める、教養の無さ。・・・うーーん、うーーむ、定子様~~となりますわいな)

 

好きすぎる御方

守るべく御方

愛しすぎる御方がおられますと、小さな矢にも、反応過多となり

苦しい胸の内となりまする。

 

「鳥辺野の雪の別れ路」が過ぎましたら

傍観者の立場で

もとい

三本足の鴉のように、「光る君」を俯瞰して楽しみましょうぞ

多分、敦康親王、脩子内親王は軽く描かれ、刀伊入港撃退の功労者、隆家君も

下手すればスルー

 

わったし自由に、道長君の望月の崩壊(満月は短かったのです。次々と娘達を綸子と明子と道長は失うのです)を、他者の眼で見ましょうぞ。

 

そこから、本当の「光る君」が楽しめるやもしれません。・・・私見です。