わんこ達は絶好調

私は、月末から なっぜか大忙し

花粉症+扁桃腺 くしゃみの度に、胃痛。

低体温の私には37度は、熱がある状態、だるい、節々が痛い、頭痛。

小さな、撮影があった。きっとカットされると言いつつ、承諾書にサインした。

本当に令和は摩訶不思議な仕組みになったものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

202⁂年5月9日

過去から、「かしく」の声が届きました。
 

最前線からの文が届く・・・・信長の現存するたった1枚の・・・
証明された・・・『自筆』だ。

式部は手跡に書き手の「教養、容姿、心映え」を語った。
平安のやんごとなき際の姫君は、自分の兄、弟、家族にも顔を見せない深窓に育つ。
朗らかに笑い親しむ交流は中の関白家だけしか知らない。
恋文のやり取りから、その筆跡で、相手の「人となり」を想像する
源氏は、朧月夜と朝顔斎院と、紫上を当代の仮名の名手に挙げる。

信長の
筆跡は
彼がどう生きたかの夥しい事績への評価や推論に
ただ一つの(今の所)
彼が人として、この地上に存在した証しの原本
体そのもの、御首そのもの、骨片そのもの
「かしく」は骨だ
その骨が
かっての彼の歓喜を伝える

忝くも、信長公、御感状下しなさる。後代の面目なり

その見事な細川家若武者の働きは太田牛一著『信長公記』巻十に片岡城の談で記されている。
その主軸と
現存する、来歴の明白な事、そして、今回は
かしく・・御一方だけでなく、側近の「信長公のお手になる自筆に間違いなく候」の証明書まで、しつらえて
第六天魔王がお姿を表す

 

 

自筆は華々しい戦功をあげた
藤孝嫡男 与一郎へ

そして、信長の側近の堀秀政が、「上様の自筆である」添状を
同日付けで、与一郎忠興へ送っている。

 


父、藤孝には 祐筆 楠長譜に感状を書かせている。

『かしく』だけではだめだった。
太田牛一の『信長公記』が1級史料と認められても(成立は、江戸時代に入ってから)
しかも
疑問の余地のない、同日の堀秀政の添状
・・・・・・それを、細川和泉家が残す・・・・・・(公家出身の用意周到な文書記録の保存)

足利将軍義昭がそこに居なければ、
藤孝、光秀は「織田信長」と交わらない道を歩んだだろう
信玄、謙信でもおかしくは無かった。
先を見れる目で、信長が俊敏に 手を差し出した。
浅井、朝倉から「大義」をスルリと盗み、そうして、・・・

足が続く 秀吉、家康・・・・
後世からでないと
分からない運命の盤上の配置・・・

展示室の一枚の硝子の向こうに、広げられた
戦国の意志が

存在する。

古めゐて、静かに・・・・・・
ケースの中の黄熟香「蘭奢待」のように 匂いはわからない。
でも、そこに 稜線の切っ先を歩む 意志が 

ただ 

一枚の料紙となって、生きた証を告げる。

梅花香・・・梅が咲いているのか
あの方が訪れたのだ・・・・肩越しに、黒髪が揺れる気配・・・・

帰蝶だわ

覗き込み、ふっと笑う 「殿のお手よ」
間違いないわ・・・・だって、私の部屋で、お命じになられたのだもの
「濃よ、墨をすれ」と・・・・待ちきれないかのように、どかっと座るなり
もう、筆をお取りになっていた。
「かしく・・・・・・」・・・そう かしくだわ

与一郎もその弟もあっぱれだ!

それほど、苦しかったのだ。
こんなにも武功をお喜びになられるなんて、どれほどの忍耐で、

危機の時を忍んだことか。
御痩せになられた
絶え間ない心労に眉間の刻みがお顔に壮絶さを宿している。
彦左(一益)の言うとおりだわ
鶴は目立つ。。。故に敵をいつも意識して一門を守らねばならない。
雀は、地味で、自分の身だけを心配すればいい、気ままに餌をついばむ。

一気に書き上げ、表へ行かれる・・・「天下布武」の黒印を押すよう、祐筆にお命じになられるのでしょう・・・・・・・・・・・・

どう死んだかより、どう生きたかを見るべきだ・・
誰かの言葉だが
戦国の世では、

どう死ぬかがどう生きたかに繋がると

蛙の私は、後世で思う

敦盛しかり
知盛しかり
武田信繁しかり
義元、道三、
名を残した武将は、その生き様に相応しい「死に様」で
その生涯を語る。
信玄、謙信
半兵衛、官兵衛
そして、織田信長

この数年後に、彼は最も彼らしい死に方で消える。
御首を捕られることなく、地上から掻き消えるのだ、彼の夢と共に。
・・・・・・・・・
殿亡き後
私は随分、長生きをしたのよ
ただの「帰蝶」として、誰にも属さず
御仏にもお仕えもせず、蝶のように気ままに
彦左の雀のように

京に住まいを構えた後に
大和へも旅をしたわ
興福寺で、
「第六天魔王」ならぬ
「阿修羅像」に巡り合ったの
初めて、お会いした時の「吉法師様」を見つけたわ
少年のままの 殿を!
あのお方は、幾つものお顔をお持ちだった
尾張と美濃を踏みしめ

 

六本の腕を自在に扱い
織田軍団を
十兵衛光秀
藤孝
一益
藤吉郎
柴田
織田四天王を

戦国の世に
命の夢を 奏でられた。
憂いを帯び
憤怒を後ろに
周囲をねめつけ
信長が 「信長」たらんとする お姿

春秋で

帰蝶の声が響く、鈴の音のように


兵庫、一幡
殿よ
濃の殿がおわす!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ねぇ
殿のお目を濃はおあずかりしたけれど
藤孝も
お目を与かっていたのね
平成の世に、令和の世にも
「織田信長の手」が残る
・・・・・・見事な「教養」だわ
見事な
450年後の「勲功」だわ

淑やかに
中空で
濃姫が、礼をする

・・・・・・ああ、夢 まぼろしか・・・・・・・





400年余は、直ぐ前にあるのだ。


(オデ君のボスさん撮影・・・勝手にお借りしましたm(__)m)

 

白秋が、姿をあらわした・・・・

 

 

過去を振り返る

 

小松左京さんは、過去に起こった「脅威」を下書きに、未来に起こるであろう「サイエンスの種」を、

その作品で、蒔き続けた方だと思う。時間が科学にもとずいた「予言の種」を開花させた。

私の「白秋」は、

抗わず、嘆かず、運命を真っ直ぐ見つめて、

受け入れる

未来を見据える、「過去」の具現です。

森の王のような、白秋は、自ら、次の瞬間

矢に倒れ手負いになるかもしれない。

仲間を助けるため、身を犠牲にするかもしれない。

 

現在を大切に

 

人生は、今の今なのだ。

なべてのことにあらまほしけれ、先達よ

過去の苦味を学び、未来に逃げることなく、今、出来ることを成されませ。

私の帰蝶が、今日も蒼天に思いを馳せている。

 

 

 

前方ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとパトさん走行パトカーパトカーパトカー

車トラック救急車消防車自転車追い越し車線で、

 

後方車がごぼう抜きしようとして

低速走行になりまする、80k~~~~~~~~ァ筋肉

 

    SAでいつもスルーしていた、お蕎麦、いただきやした。

    んんんんんんんんんまあまじかるクラウン乙女のトキメキふんわり風船星ふんわりリボンい!

 

おーーーーバカです、旅籠の夕食が入らんポイ

 

 

 

光る君から、ひたすら逃避行中です。

994年~1000年、6年間の時間旅は、道長さん、惨いぜよ