追儺は、それぞれの家庭でも行われ、『源氏物語』の中にも2回登場する。

 

若紫と幻と

 

1回目は紅葉賀巻で、元旦に参内しようとした源氏が紫の君の部屋を覗くと、紫の君は新年早々雛遊びの道具類を広げ、源氏に向かって真剣な顔で
「儺やらふとて、犬君がこれをこぼちはべりにければ、つくろひはべるぞ」と説明する場面。
犬君という童女は、若紫巻から登場している紫の君のよい遊び相手ですが、初登場の場面でも粗忽者らしく、ここでも「鬼やらいだ」と言って疫鬼を追い払う真似事をして、紫の君の大切にしている雛遊びの道具を蹴散らしてしまった。

2回目に描かれるのは幻巻の最後。

年暮れぬと思すも、心細きに、若宮の、「儺やらはむに、音高かるべきこと、何わざをせさせむ」と、走りありきたまふも、「をかしき御ありさまを見ざらむこと」と、よろづに忍びがたし。

幼い匂宮は「大きな音を立てて鬼を追い払うには何をさせればいいだろう」と言って無邪気にはしゃいで走り回っており、

紫の上を喪い

年明けには出家することを決意している老年の源氏の寂寥感と鮮やかな対比を見せている。

物語の女主人公と思われる『若紫』の走って登場する、美少女

何もかも、出家すら救いとならない老境の源氏(六条院)の悲愁『すべて、幻』

季節の節目となる『節分』は、私にいつも 2場面で描かれる 人生を対比させる。

 

 

 

昔は大晦日と節分と年二回「追儺」の行事が行われていましたが、いつ頃からか一本化されて二月の節分が残されました。

元は三千年前、中国の周時代に「儺(だ)」と呼ばれた疫病を祓う儀式だったが、唐の時代に日本に伝わり、文武天皇の慶雲三年(706)大勢の人々が疫病で亡くなったので十二月に行われた事が「続日本紀」の歴史書に出ている。

これ以後、毎年大晦日に行われ、平安時代に節分の行事になった。

 

鬼は外

福は内

 

追い出された鬼は何処へ行くのだろう

 

浅草寺では、(観音様の前には鬼は居ないという教えにより)鬼は外とは言わないらしい

成田山新勝寺では、不動明王が鬼すら改心させるので、ここも、鬼は外と言わない。

 童話の赤鬼さん、青鬼さんも

奇怪ガ島で、桃太郎一行に退治される鬼も、どんな悪さをしたのだろう?

攻め入ったのは自称「正義の味方」ではないか

 

 

 

節分をきっかけに

私達の心の中には鬼と仏が同居している事を自覚して、

今年も鬼の誘惑に負けない心を維持して暮らす事が大切。

 

納得いかない、麻呂めは、天邪鬼ですな