御爺様(道隆の父)は息を呑む。自身の室、時姫はむろん、その美貌の噂で、室の一人とした道綱母も及ばない、この12になったばかりの孫姫は長男道隆の自慢の大姫。その精麗な美しさは何に例えられよう。摂政である祖父の腰結いの厳かな儀式に、不覚も手が震えた。それほど、生れ乍らに、犯しがたい気品に満ち、たった一人の円融帝の愛してやまない一の皇子、新帝一条に相応しい。

兼家は三男であった、兄が邪魔であった。ことごとく・・それに光を見いだせたのは、娘である詮子がたった一人の皇子を産んだからだ。立后には敗れたが、国母となった詮子は誇り高かった。自分を后としなかった夫である帝よりも、後ろ盾の父を大切にした。女達女房に守られて、7歳で一条は帝となる。

14歳で、定子の入内が決まる、帝は11歳であった。

 

幼くはあったが、私は覚えている。定子の宮を始めて目にした時から、宮のすべてを、覚えている。

私は、一目で、生涯の人を見つけたのだ。この世の幸せを知ったのだ。それは、どんな運命の変転にも変わらない、我が生涯の恋であった。

 

あの方は花のようなかんばせで、何がおかしいのか、笑われる。

登花殿(梅壺)は、いつも、機智と笑いと教えに満ちていた。当意即妙に漢詩の世界が日常に反映され、機智が愛された。しかつめらしい学問は、梅壺では、明るい未来への指標に変換され、漢詩で描かれた物語や心理の具現の場所となった。わずか3つ年上の定子の宮は、私のあらゆることの師であり、憧れであり、愛しい妻であった。宮が儚くなるまで、一度足りとも、その仕える女房を叱責するお声を聞いたことは無い。お心に反する事はさりげなく、あの方は、ご自分のお姿で、修正なされた。少納言の出過ぎも、宮は優しく、見事に故事を踏まえて、自ら気がつくように導いた。帝としての在り様を学んだのも、学者からではない。賢帝でありたいと願ったのも、すべて、宮の導きであった。

皇后宮で在りうべき理想の姿を悉く、備えておられた。祭祀を司り、我が父院を敬われ、そして、怨霊や霊に決して怯えなかった。・・・逝って、逝ってもう何年になるだろう・・・・今も宮は、辞世の句のように、草葉の露となって、現世に留まり、私を見守っていて下さる。・・・ああ、定子よ、定子よ・・

 

夢を見た・・・二十歳で、やっと二の皇子をあげ、そして、三の皇子

中宮は、役目を果たし、父道長の天下、氏の長者、次世代の帝の後見の地位を確保した。

もう、役目を果たした。12歳で入内、私より8歳年下のこの中宮は、幼かった。二十歳の私は、ただただ妹のようにしか、愛せなかった。いつも彼方に、もう一人の完成された憧れるお方を思い描いてしまう、求めてしまう。他の女御達も同様に丁重に扱った。まるで、壊れ物の様に。だが、喪失の思いは少しも癒されない。そんな時、夢を見る・・・・

 

そうだ、あの方も二十歳の逆境の中、尼の身で、私の姫皇女を産んでくれた、一品の宮修子内親王を。

私は17であった。だが、襲いくる政変と、定子の宮の境遇を思うにつけ、翁の気分であった。

母后に押し切られ、追討の命を出したは、夫である、この私だ。宮を孤立無援にしたのは、私であった!

道長と結託した母后の願いを子として、振り払えなかった。あの時、伊周を関白にしておれば、定子の宮は、今も私の側に居て下されようか、一の皇子、優れた母后の血を引く、敦康を東宮に立てることも夢ではなかったのだ。・・・それなのに、一度たりとも、宮は・・・・・

 

もう、翁丸はいない。藤壺には、位を与えた、可愛い猫も連れては、渡らぬ。

ただ、役目を終えた、自分が藤壺を訪れるのは、そこに、物語を書く式部がいるからだ。

まだ、中宮が皇子に恵まれない頃、焦れた道長は、多くの高貴な出自の女君や、名の知れた女房を藤壺に集め、もう何年も前に后の宮とともに消えた、“定子の宮の語り継がれる後宮の華やぎ”を再現しようと試みた。その、奥の手が式部であった。

目だたぬ、中年の女。だがその漢学の才は、定子の宮に匹敵しようか?

言葉少なく、問い掛けたことにも黙す、だが、その書いたという物語を読んだとき、並の女房ではないと思った。宮が愛した少納言のような明るさ、当意即妙はないが、深い鎮静の不思議な力を身に備えている。式部の感化を受けたのであろうか、人形のように受け身で大人しい中宮も、私の笛に耳をかさなかった頃とは違い、式部に密かに、漢学の講義を受けていると言う。

人は変れる、変ることが出来る。だが、それでも、壮年に達した私は、あの少年の頃の熱情を持って、今だ、宮を そのお心の輝き、お姿の美しさを渇望するのだ。今も、ただ、慕っているのだ。

残された三人の遺児に面影をみいだしている。一品の女宮を形代としているのだ。

 

密やかに、白猫が、登花殿に足を踏み入れる。藤壺の華やぎに押され、梅壺には誰も訪れない。

そこに住まう、女君も今はいない。大仰に、定子の宮が尼となって宮中を下がった時、懐妊を寿んだ女御は、何としたことか、水腹であった。それ以来、女御は実家に宿下がりしたまま、どんなに文を遣わしても、参内することはなかった。

 

朱夏であった・・・今日は“白狐”ではなく、“白猫”であった。

式部の正体を見極めに来たの。・・・ただ、知りたいの・・・・本当の事を・・・

一つの  もうひとつの物語が、今、始まるのだった。