今年の元日に発生した能登半島地震で
大きな被害を受けた石川県志賀町は、
海の民・阿曇族(あずみぞく)の一部が
福岡市の志賀島から移り住んだのが
始まりとされています。
阿曇族の氏神を祀る志賀海神社は
縁のある志賀町を支援しようと
義援金を送りました。
8月26日、石川県志賀町を訪れたのは
福岡県東区にある志賀海神社の宮司と
氏子たち6人です。
志賀海神社 阿曇幸興 禰宜
「志賀町をどうか助けてあげて下さい
と多くの義援金をいただきました。」

志賀町の稲岡健太郎町長に義援金
200万円を手渡しました。
志賀町 稲岡健太郎 町長
「町内も復旧が道半ばですし、生活の
再建もまだ途中です。 義援金を頂く
ことは町民にとっても大変励みに
なりますし、大きな助けになるとも
思っています。
石川県の日本海側に位置する志賀町。
元日に発生した能登半島地震では、
震度7を観測、557棟が全壊し、7人
死亡、104人がけがをしました。
「復興が進んでいないのが心痛む」と
志賀海神社 阿曇幸興 禰宜

能登半島地震から8か月経ち、
実際に被災地をみた
志賀海神社 阿曇幸興 禰宜は
「正直言うとあまり復興は進んで
いない、基本的にはもうここには
住めないので、解体という貼り紙が
貼られている家屋がほとんどで、
つぶれている家とかを見たりすると
心が痛ましい気持ちになりました。
復興は大阪万博とかぶったりして、
建設・解体業者がそっちのほうに
向かっていて、人手が能登の方に
行きづらいという話を伺いました。」
1300年ほど前、海の民・阿曇族が
志賀島から対馬海流に乗って北上し、
能登半島に移り住んだことが石川県
志賀町の始まりとされています。
阿曇族の氏神を祀る志賀海神社は
「海神の総本社」と称えられ、
古代より海上交通の要である博多湾の
総鎮守として信仰されてきました。

志賀海神社に義援金箱
縁のある志賀町を支援しようと
志賀海神社と氏子らは今年2月、
義援金箱を本殿の前に設置しました。

志賀海神社も2005年の地震で被災。
2005年3月の福岡県西方沖地震。
最大震度6弱を観測し、志賀島では
およそ750戸の建物が被害を受け、
志賀海神社も灯籠や狛犬が倒れたり、
鳥居の一部が折れたりしました。

当時は志賀町の住民らが志賀島を訪れ、
無形文化財の
「志賀疾風太鼓(しかはやてだいこ)」
を披露して、被災者を勇気づけました。

「続いてきた支援、感慨深い」
志賀町 稲岡健太郎 町長
「いろいろと話を伺って知ったこと
ばかりだったんですが、当町にも
『安津見(あずみ)』という地名が
ありますし、そこに神社もあります。
支援をし合うネットワークが連綿と
続いてきたことが大変感慨深いなと
思います。」
志賀海神社 阿曇幸興 禰宜
「被災地の一日でも早い復興を強く
願って玉串を納めさせて頂きました。
志賀島から旅立っていった阿曇族が
拠点としていたのが志賀町と言われて
おりまして、志賀海神社の鹿角庫の
中にも、加賀藩の戦国大名からも
鹿の角の奉納があったという古文書が
残っていたりして、とてもご縁のある
地なのかなと感じております。
先祖のつながりをもっと大事にして
いこうと思っておりまして、地域と
しても交流を深めていけたらと
考えています。」