まるぞうさんの独り言

 

ヨメの実家は朝日新聞信者の典型であります。

ヨメの兄弟もみな朝日信者であります。
そのため、ネットなどで朝日新聞に対する批判情報があっても、なかなか全てを

ヨメに伝えるのは難しいです。

なぜならヨメに対して朝日批判を行うということは、実家批判となりかねないから

です。

宗教と政治の話は、血縁間でも充分な配慮が必要と思います。

 

 

==========
社内の空気を読んで捏造

月刊誌 「 W i LL 」 9月号に、「週刊朝日」元編集長の川村二郎さんがこんな朝日

体験を書かれていた(メディア時評「朝日新聞は『 君が代 』に謝罪しろ」)。

「国旗・国歌法」ができる1999年のことだという。

その頃、朝日には「日の丸」と「君が代」に反対する有名人の意見が、来る日も来

る日も載り、川村さんは社外の知人から「紙面の作り方がどうかしていませんか」

と言われて、「グーの音も出ない」でいた。

そんな或る日、「海外の大会で、『 君が代 』が始まると、席を立つ観客が多い」と

Y編集委員の署名記事が載った。

その記事なら私も覚えている。

川村さんは 「あれって、本当かよ」 とY編集委員に聞いた。

海外でのスポーツ大会はテレビでよく見るのに、そんなシーンは見たことがなかっ

からだ。時評は、こう続く。

「すると、こういう答えが返ってきた。

『 ウソですよ。だけど、今の社内の空気を考えたら、ああいうふうに書いておく方が

いいんですよ 』

あまりのことに、言葉を失った」

編集委員は、朝日の顔である。

「ショックだった」 と川村さんは記す。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170820-00003754-bunshun-soci
==========



昨日はヨメの機嫌も良さそうであったので、こんなことあったらしいよ。

と上記の記事を読んで聞かせました。

本当にそんなことあるの?

と驚いたヨメでありますが、しばらく考えてから、朝日ならそういうこともあるかもね

と言いました。

20年近く前の事件です。

朝日新聞記者が沖縄の珊瑚を自分で傷つけて「誰がやった」という記事を書いた

ことや、慰安婦記事の捏造を認めて社長が謝罪して記事を取り下げたことを受け

てでありましょう。

靖国問題も朝日の記事によるんでしょ?


そのように聞きますので、うむ。そうだよ。

昭和 60年の朝日の記事によって、初めて靖国問題が提起されたんだよ。

え?昭和 60年って最近じゃない?

ヨメは、靖国問題の発端は、我々が生まれる前の終戦直後の話であると思った

うです。

昭和 60年というと、もう私達が学生の頃でありますから、最近の出来事である

思ったようです。


そうだよ〜。それまでは、誰も首相の靖国参拝は何にも言わなかったんだよ。

ほら、これが公式に靖国に参拝した国の一覧だよ。





戦没者の慰霊の施設だからね。

各国の代表が敬意をもって参拝していた時代が、戦後ずっと続いていたんだよ。

ええ? 靖国問題ってもっと昔から問題になってるんだと思ってた。

昭和60年に加藤千洋という記者が、中曽根首相の参拝は問題だと批判した。

しかしその時も中国共産党政府は特にコメントはなかったんだけど、その直後、

社会党の田邊誠という議員が中国に言って、中国共産党政府に

「こんな問題見過ごしていいんですか」と告げてから、そこから共産党政府が靖

問題を政治化することになったんだ。

それまでは、誰も何も言ってなかったどころか、各国の代表が慰霊の念を
もって、

参拝していたのさ。

ひどい〜。



加藤千洋氏
終戦2年後の1947年生まれ。団塊の世代と呼ばれる。

団塊の世代とは、高度成長時代を生き、日本の恩恵を最大限受けて来ているに

も関わらず、残念ながら日本を嫌い貶める人たちも多い世代とも言われている。


ちなみに南京虐殺も朝日によるものだよ。知ってると思うけど。

こちらは1971年に本多勝一という記者が 「南京大虐殺で30万人殺した」 と書

たのが始まりと言われている。

そもそもそんな大虐殺が中国の首都(当時は南京が中華民国の首都)で行われ

たなら、(東京大空襲の3倍の被害者!)日中国交回復でも、毛沢東が一言も言

ってないのはおかしいでしょ?

1949年に中国共産党が中華民国に勝って南京に入った時は、「国民党政府軍

が30万人の共産党烈士を虐殺した」「死難烈士万歳」という記念碑が建てられた

ぐらいだからね〜。

もっとも国民党の兵士は便衣隊として、一般庶民に紛れて攻撃をしていたから、

巻き込まれて亡くなった一般市民の人たちはいると思うけどね。
当時の朝日新聞の南京支局長である橋本登美三郎はこう言っているよ。


==========
─南京では大虐殺があったといわれていますが、南京の様子はどうでしたか?

南京での事件ねぇ。

私は全然聞いていない。

もしあれば記者の間で話に出てくるはずだ。

記者は少しでも話題になりそうなことを話をするし、それが仕事だからね。

噂としても聞いたことがない。

朝日新聞では現地で座談会もやっていたが、あったのなら、露骨でないにしても

抵抗があったとか、そんな話がでるはずだ。

南京事件はなかったんだろう。
( 阿羅健一著 「 聞き書南京事件―日本人の見た南京虐殺事件 」 P132 )
==========


また足立和雄氏という同じく朝日新聞記者はこのように述べています。

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犠牲が全然なかったとはいえない。

南京に入った翌日だったから14日だと思うが、日本の軍隊が数十人の中国人を

射っているのを見た。

塹壕を掘ってその前に並ばせて機関銃で射った。

場所ははっきりしないが、難民区ではなかった。

ただし、本多勝一記者が30万人大虐殺を紙面で取り上げていることについては

非常に残念だ。

先日も朝日新聞の役員に会うことがあったのでそのことを言ったんだが、大虐殺

はなかったことをね。

朝日新聞には親中共・反台湾、親北朝・反韓国という風潮がある。
本多君一人だけじゃなく、社会部にそういう気運がある。

だからああいう紙面になる。

http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/nanking/nanking-jiken-6-2.html
==========

 

と述べています。

アベ憎しの世代の方がいるのは、残念ですけれど仕方ないです。

ただそういう方々でも、今の政権は嫌いでも、「日本」という自分と家族と子孫を

守ってくれる「母国」を、愛することは忘れないで頂きたいと思います。
 

 

 

 

事実を伝えるのが使命のマスコミの人間が、率先して嘘をばらまいて、それが

真実として日本国民に伝わる。

 

朝日新聞には親中共・反台湾、親北朝・反韓国という風潮がある。
本多君一人だけじゃなく、社会部にそういう気運がある。
だって?

他人事か。

非常に残念だどころの話じゃないだろう。

 

 

私の父は朝日新聞の社員だった。

記者ではなく、校閲部という部署にいた。

今、有難いと思うのは、無口だったせいもあるが、家族に一切何も言わなかっ

たことだ。

生意気盛りの私の、訳の分からない意見も、祖母と母の旗日毎(はたびごと)

国旗掲揚にも、皇室大好きの祖母の言葉にも、一切自分の意見を押し付け

ることはなかった。

 

 

 

 

 

 


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官邸対省庁

テーマ:



新しく駐日大使として赴任したハガティ氏との会談。



まるぞうさんの独り言

 

潮目が変わった?

やはりお盆を過ぎて潮目が変わったように思います。

閉会中審査や支持率急落。

そして北朝鮮のICBM発射など国内外から同時に厳しい状況に陥った日本で

ありますが、なぜか、お盆の期間で、日本内外の事態の風向きが変わったの

でありました。

北朝鮮の挑発も暴走することなく、一旦収まったようです。
また日本人世論もさすが、モリカケ日報問題は飽きたという空気です。

それよりもきちんとミサイル防衛しっかりしてよ。

と思った日本人はぐっと増えたように思います。


中国四国にPAC3を配備したというニュースは日本人の意識を変えたようです。

そういうミサイルから日本人を守る装備が必要だという意識です。

お花畑の火宅の日本人の何割かは、ひょっとして自分ち燃えてんじゃね?

と思い始めている世論の空気感でありますね。


最強の官僚。財務省が目論むもの。


加計問題は文科省と官邸の対立の闘いでありました。

文科省の既得権益を排除する官邸に対する官僚の抵抗でありました。

しかし実際文科省は霞が関の中では弱小省であると言われています。

最強なのは言わずとしれた財務省であります。



財務省が安倍政権を叩かない理由は、安倍政権が消費税増税を実行すると

明言しているからです。
しかし安倍首相の内心は消費税の増税は反対でありましょう。

それは麻生財務大臣も同様であると思います。
消費税を増税したら、間違いなく景気は後退するからです。

消費税とは物を買ったら罰金という制度です。


財務省は国民も景気も信じない。

本当は景気が良くなれば税収は上がるはずです。

しかし財務官僚は「景気」というあやふやなものは信じません。

どんなに景気が悪化しようとも、コンスタントに税金を、国民から搾り取れる

制度を実現するのが、財務省の目的である。と彼らは信じています。

消費税10%にあげて、景気が悪化して税収が下がった。

なら消費税20%にすればいい。

更に景気が悪化して税収が下がった?なら消費税を50%にすればいい。
そのように彼らは景気が悪化しても、悪化を上回る税率を上げればいい。

という考え方です。

庶民からの「景気が悪化し、更に税金が上がる。生活が苦し〜。」

という悲鳴は財務官僚には、聞こえません。

なぜなら庶民の生活を楽にするのは彼らの仕事ではないからです。
彼らの仕事はどんな時でも潤沢な税金が国庫
(=財務省が配ることで日本

を支配できる財源 )に入る制度を実現することです。

東大のエリートは「創造の仕事」は得意ではないかもしれませんが、「間違い

のない仕事」は大得意です。
景気を回復させる投資とは「創造の仕事」でありますから、財務省のエリート

の方々には、博打に見えることでしょう。

それよりは、不況でも税率を上げる制度こそが 「間違いのない仕事」であり、

確実であり、自分達の最も得意な分野であります。


消費増税実現のための交換条件?

財務省は消費税を上げるために、安倍首相と取引を行なっても良いと考えて

いるかもしれません。
憲法改正と防衛費 GDP2%には抵抗しないでおくよ。と。

ただし、安倍政権が、少しでも財務省消費増税に反旗を翻すようであれば、

務省は真正面から安倍おろしを仕掛けますよ。

我々は、文科省のように甘くはありません。
やつは省庁の中でも最弱。ふふふ。

我々が本気で反日マスコミ砲を使えば、安倍政権などひとたまりもないわ。

ふふふ。


もう少し日本国民が踊らされない世論であれば。。。ざんねん。

もし、我々日本国民が、マスコミの世論誘導の笛吹きに踊らないくらい、充分

賢ければ、財務省からの安倍おろし攻撃があったとしても、官邸はびくともし

ないことでありましょう。
官邸が、国防と安全保障の引き換えに、消費増税を認めるという取引条件も

しなくても、本来は済むのでありますが。

岩盤規制に、穴一つ開けられないのは、( 反日マスコミに簡単に踊らされる )

日本国民に原因があるのでした。連帯責任。ざんねん。



首相官邸へのご意見

https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html

総務省へのご意見
https://www.soumu.go.jp/common/opinions.html

安倍首相のFacebook
https://www.facebook.com/abeshinzo
(Facebookの仕組み上、コメント投稿時は投稿者の名前も公開されます)

自民党への安倍首相応援コメント

https://ssl.jimin.jp/m/contacts?_ga=2.247766276.2038314964.1501028960-2110744341.1501028960

 

 

 

                  


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「 さよならパヨク 」    書評 伊勢雅臣

 

『 さよならパヨク 』 という本が売れている。

発売 3週間ほどで、もう 3刷決定という。

 

「パヨク」とは「劣化した左翼」の意で、元アイドル千葉麗子さんが、故郷・福島の

原発事故を契機に反原発運動に参加したが、その活動に疑問を持ち、

「パヨクやめた、全部ぶちまけます!」 と、この本をまとめた。

 

「パヨクやめた」という場面は、次のように描かれている。

 

…こっちが必死で「原発反対」ってシュプレヒコールを叫んでいる横で歌や踊りに

興じられるのは、はっきり言って迷惑であり、不愉快でした。

いきなり沖繩民謡が始まったり、サンバが始まったりした時は、踊りに興じる連中

を見て本気で怒りを感じたものです。

沖繩民謡もサンバも福島に何の関係もありません!

 

そのうちに、デモへの一般参加者も減り、ついには共産党の機関紙 『 赤旗 』 に、

首都圏反原発連合のチラシを挟んで配布し始めた。

これでは共産党の運動そのものになってしまうと、千葉さんは「やめてほしい」 と

申し入れたが、聞き入れられなかった。

 

一体自分は今まで誰のためにここまで体を張って頑張ってきたのか、福島のため

と始めた行動が共産党に利用されたのかと、最後の方は本当に悔しくなってきた。

 

その時100~200人くらいが集まった国会前で、マイクを握っていましたが、

「 こいつらのためにやってんじゃない!」 「 もうやってらんねぇよ!」

とマイクをポーンって投げました。

 

しかしパヨった私のやらかしたことについては、この約2年間そうしてきたように、

そして現在の私が100倍以上の貢献をもってけじめをつけたいと思っています。

そしてそれはパヨクに対する1000倍以上のダメージになると確信しています。

 

 

 

千葉さんの父親は福島市役所の公務員だったので、16歳の頃まで福島市で育

った。

当時の友だちや先生の中には、原発から20キロ圏内に入る南相馬市に住んで

いる人たちもいた。

原発建屋の水素爆発の映像をテレビで見て、ショックを受けた。

 

そんな中、経産省前に集まる人々の姿をネットで見たのです。

当時はまだ運動全体が組織化されていなくて、首都圏反原発連合もありません

でした。それぞれがそれぞれの立場で集まっているという感じでした。

 

であれば一度どんなものか行ってみよう、行動というほどのことではないのです

がとにかく街に出てみて、どんなことをしているのか見てみよう、と思って現場に

足を運んだのです。…

 

その時に集まっていた人は、共産党とか左翼という感じはしませんでした。

本当に福島の原発事故に驚いて来ている人も多かったと思います。…

 

次第に共産党や中核派などの、極左系らしき組合や団体の幟を見かけるように

なり、議員もやってくるようになりました。

…でも誰が来ようと関係ない、私はただ、とにかく福島のために何かしたい、何か

しなければという思いだけでとった行動だったのです。

 

初めて街頭に立ったのは震災のあった平成23年の夏だったと記憶しています。

その頃から運動も大きくなっていき、平成23年9月には、首都圏反原発連合が

立ち上げられました。

抗議活動に行くと、首都圏反原発連合の中心メンバー達からも

「シュプレヒコールをあげてほしい」とお願いされたのです。…

 

そんな形でマイクを握った私ですが、あくまで福島を守りたいという一心での参加

であり、活動そのものに参加しようということではなかったので、首都圏反原発

合のコア(中心)メンバーによる会議などには出ませんでした。

もちろん報酬や交通費なども一切もらっていません。

 

こうして、千葉さんは反原発運動の最前線に立ったのだった。

 

しかし、原発事故が峠を越えると、参加者は急速に減っていった。

一般参加者が減るにつれて、共産党関係者、それも高齢者の占める割合が増

えていった。

彼らは表に出ない安全な場所にいて、身元のばれない若手を前面に立てた。

デモ参加者が機動隊に突っ込もうとするとマイクで 「この運動が終わりになって

しまいます。皆さん時間にもうなったのでお帰りください」 なとどいう。

燃えたぎっていた参加者は、拍子抜けになった。

 

また、リーダーたちは首相官邸に入っていっても、当時の野田総理に厳しい要求

をつきつけるでもない。

一緒に写真を撮って、「首相官邸で総理と面談!」みたいに嬉しそうに発信する。

千葉さんは毎回真剣にマイクを持って、シュプレヒコールを担当していただけに、

リーダーたちの、まるでサークルの思い出作りのような行動に不信を感じた。

 

共産党が幅を効かせるようになって、デモに音楽や踊りを取り入れるようになった。

学生運動の華やかなりし頃、日本共産党傘下の、日本民主青年同盟(民青)は、

「歌って踊って日共民青」などと揶揄されたように、大学のサークルのように勧誘

をしていたので、その一つ覚えだろう。

 

デモでは物販もしていた。

日本共産党の参議院議員・吉良よし子のフォトブックも売っていて、

「 なぜ吉良よし子氏だけ? もう訳が分からないというか、我慢の限界でした 」

と千葉さんは思った。

 

カンパもたくさん集まっていました。

…特に高齢者の参加者が千円札や五千円札をカンパ袋にどんどん入れてくれる

んです。

 

もちろんカンパした人は善意からなんですが、受け取る方には、そのお金で生活

している人がいるっていうことを聞きました。

最初は耳を疑ったのですが、デモに入り浸っている人には、確かにきちんとした

仕事をしていない人もいて、どうやって食べていくかとなると、カンパをあてにする

しかないということらしいです。

 

コアメンバーには交通費も出ていて千葉さんは清算用紙も見たことがあるという。

共産党の丸抱えの運動だったわけである。

 

千葉さんが、さらに反原発運動に疑問を持つようなったのは、日章旗を持って反

原発運動に駆けつけたグループを、当初から排除したことだった。

 

愛する美しい日本の山河を守りたい、あるいは国防の視点から危険な原発をなく

していきたいという理由などから、日章旗を持って駆けつけた人々だった。

 

今にして思えば、すでに共産党系の人間が多数入り込んでいた現場で日章旗は

認められるはずもなかった、ということですが、ただ原発をなくし福島を取り戻し、

日本の故郷を守りたいと考えていた私には、主義主張の違いで人を排除するとい

うことが理解できませんでした。

 

原発事故が落ち着いてきても、反原発派はこの問題にしがみついていた。

たとえば福島原発の地元の井戸川克隆・前双葉町長は、福島にいると鼻血が出

ると語って有名になった人物だ。

こういう人物をイベントに呼ぶ。

井戸川前町長が登場した、ある漫画では、登場人物が原発構内の見学後に鼻血

を出した、というシーンがある。

 

産経新聞は、原発見学中に受けた放射線量は0.01ミリシーベルトで、東京-ニュー

ヨーク間を飛ぶ際に受ける量の10分の1だった、という記事を載せている。

原発を見学しただけで鼻血が出るなら、東京-ニューヨーク便の乗客全員が鼻血を

出していなければならない。

 

こうした反原発派の姿勢を、千葉さんは次のように批判する。

 

福島県内には農家をやっている友達も大勢います。

皆震災の後、農産物が売れなくて収入が激減し生活がきつかったと言っていました。

今は放射線量も落ち着いて、政府も安全だと言っています。

 

それに納得せず、現在でも危険だと言って福島の人をこれ以上傷つけてほしくあ

りません。

いたずらに風評被害を広げ、復興の足かせとなるようなことは、もうやめてほしい、

本当にやめてほしいと思います。

 

いよいよ反原発運動では一般人を集められなくなると、彼らは衣替えをした。

平成25(2013)年の春、「 レイシストをしばき隊 」 が登場。

この団体は「在日特権を許さない市民の会」などの活動に対抗すべく、結成された

市民団体である。

しばき隊のリーダーは首都圏反原発連合でも中枢にいて、かなりのコアメンバー

は同じだという。

 

千葉さんは反原発連合のメンバーに連れられて、一度だけ「しばき隊」のイベント

に行ったことがあるが、首都圏反原発連合のマークをつけた拡声器を、そのまま

使って「原発やめろ」と同様に、「差別やめろ」とやっていた。

叫ぶスローガンは違えど、スタイルは全く同じだった。

 

パヨクはとにかく、呪文のように単純な言葉を繰り返しますね。

原発事故の時も「原発やめろ」。

それが行き詰まってくると今度は「差別をやめろ」。

その次は「戦争反対」 「9条守れ」。

どれも変な太鼓やらなんやらをけたたましく鳴らして、とにかく大騒ぎ。

 

反原発運動の正体については、千葉さんの次の指摘が的を射ている。

 

私が脱原発・反原発のパヨクから離れた理由のひとつに、彼らが本心から原発の

ことを考えて行動しているわけではないという疑念がありました。

原発事故や福島の状況を理解し、共感してでの行動ではなく、原発問題を訴える

と注目される。

つまり政治的目的などのために脱原発を主張し、その運動に乗っかり、利用しよう

としていたのではないかということです。

 

反原発とは、共産党による人集めの手段であった事は、今まで見てきた経緯から

明らかだろう。

左翼は昔から 「革命という目的のためには手段を選ばず 」 を伝統としているが、

その手段として「貧困からの解放 」 から「安保反対 」 「公害反対 」 「 女性解放 」

そして現在では 「 原発やめろ 」 「差別やめろ 」 「 9条守れ 」 と旗印を変えつつ、

騒ぎを起こしてきたのである。

 

千葉さんの言う 「パヨク」 とは、こうした伝統的左翼の、思考能力が退化した末裔

のようだ。

 

便利な現代社会に電気は不可欠で、その思恵を享受しながら代替案なく、

「 原発止めろ 」 というのはあまりにも無責任です。

原発が危険と言うなら、中国はどうなりますか?

脱原発どころかまだまだ造ると言っていますよ。

 

「歌って踊って」 いるだけのパヨクでは、これらの単純明快な質問にも答えられない。

 

自由民主主義の基盤は、国民一人ひとりが国の行く末について自分自身で自由

に考え、それをもとに地方や国の議員を選ぶ、という点にある。

「反○○」を掲げつつも、「歌って踊って」ムード的に自分たちの集団に引きずり込

んでいくというのは、人々の思考能力を麻痺させる。

それはシロアリが家の土台を食いつぶしていくように、自由民主主義の基礎を打ち

崩していく行為である。

 

SEALDsは共産党の傘下にあり、共産党員の子弟が多いと聞きますが、

中には共産党と無関係の学生が、シンボルマークやフレーズの格好良さ、

音楽やダンスの楽しさに惹かれ、事情を知らずに入ってくる、

そんな学生もいるでしょう。

 

SEALDsの学生もよく言えば素直、悪く言えば未熟な人が多いように思います。

SEALDs自体はサークルのようなノリなのかもしれません。

しかし背後にある共産党の存在を忘れてはいけないと思います。

 

わが国を中国のような自由も民主主義もない独裁国家にしたくなければ、

わが国の青年たちをパヨクから守っていかなければならない。

そのためにも、『 さよならパヨク 』 のような内側から見たパヨクの実態を暴いた

本書の登場を歓迎したい。

                                        

                                        文責:伊勢雅臣

 

 

 

 

 


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冷やし中華とピザ味パン

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暑い日の救世主として冷や汁を食べていたが、流石に飽きたので近頃は酢飯

に生姜を混ぜ込んだりとか、自分なりに工夫して酷暑の残暑を乗り越えている。

 

大都会では寒々しい残暑となっているそうだが、こちらは相変わらずの暑さで

やっぱり立秋は名ばかりやなあと思う毎日だ。

しかしよくしたもので、水シャワーの回数は確実に減っている。

 

そして今更だが、立秋過ぎて 「冷やし中華始めました」

 

今日の夕食はキュウリとレタス、錦糸卵をのせて冷やし中華を作ることにした。

錦糸卵は面倒なので、炒り卵にするが、中華タレは手作りにする。

勿論クックパッド先生に教えて頂いたレシピで、「つくれぽ 」によると市販のタレ

より遥かに美味しいらしい。( つくれぽ=みんなの作りましたレポート )

 

酢            大4

醤油           大3

水                          大1

ごま油                    大1

砂糖           大1

酒                          大1/2

みりん                   大1/2

 

上記を全て入れて沸騰させ、冷ませばタレの出来上がり。

サラダにかけても美味しいドレッシングになると思う。

                

 

   豪華なフリー画像 「冷やし中華無料...」の画像検索結果 

 

 

 

さて今から、朝・昼食のためにミニピザを焼こう

このピザはいつもは5枚入り537円なのだが、昨日の朝、天のお助けで1枚+

のお徳用 6枚入りが、一袋だけ半額になって私を待っていた。

ド近眼だが、半額の文字だけは見逃さない。

 

            「農水フーズ ピ...」の画像検索結果

 

しかしピザと名がついているのに、半額で6枚268円の味はどうなのか。

 

買ってすぐの昨日の朝・昼食に一枚食べたが、食べる前に想像した通り、完全

に [ ピザ味の柔らかいパン ] だった。 そりゃそうだろうさ。

期待しなければそこそこ満足。

6インチというから直径15、6センチ、一応ピザソースが塗られチーズとコー

が乗っているし。

 

              「農水フーズ ピ...」の画像検索結果

 

 

これにレタスとキュウリのサラダとコーヒーでブランチの出来上がりとなる。

 

 

 

 

 


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台湾で神となった日本人

テーマ:

SPA
 

台湾において日本兵が神様として祀られていることをご存じだろうか。

台湾の古都・台南市安南区に建つ民間信仰の廟「鎮安堂・飛虎将軍廟」において

日本兵が神様として祀られ、地元の人々の崇敬を集めているのだ。

祀られている方は、杉浦茂峰(すぎうら・しげみね)海軍少尉である

 

( 以下 『 台湾と日本・交流秘話 』〈 展転社 〉を参照 )。

 

    「杉浦少尉 台湾無料画像」の画像検索結果        「杉浦少尉 台湾無料画像」の画像検索結果

© SPA ! 提供 日刊SPA! 

 

1944年10月12日、アメリカ機動部隊が、フィリピン攻略作戦の前哨戦として台湾

各地に航空決戦を挑んできた。

これを迎え撃つべく、わが日本の台南空軍と高雄空軍のあわせて30機が出撃し

襲来した米軍機約 40機と空中戦を繰り広げた。

一般に「台湾沖航空戦」 と呼ばれるこの戦いで、敵機 7機を撃墜したものの我が

方の損害は17機にのぼった。

 

1923年茨城県水戸市で生まれた杉浦少尉は、この航空戦に参加し撃墜されてし

まった。

その模様を目撃していた住民は、こう証言している。

日本軍の戦闘機は銃撃を受け、その場で発火した戦闘機から脱出すれば、パイ

ロットの日本兵は助かったかも知れない。

しかし、その日本兵は眼下の村を巻き込まないよう、住民のいない郊外へ機体を

移動させたのち、戦死を遂げたという。

 

その後、毎晩のように白い帽子と服を着た者が、飛行機が墜落した場所の近くに

ある魚の養殖場付近を歩いているのを見る。

夜陰に乗じて魚を盗みに来たのかと思って駆け寄ったが、人影が見えない。

この亡霊を見た人が増え、噂はたちまち広がった。

しかも当時、農業は不作続きで、魚の養殖もうまくいっていなかった。

 

現地で農業をしていた呉省事氏が、占い師に占ってもらうと、その亡霊は当時の

戦死者だという。

1944年に日本兵が戦死したことを思い出した呉省事氏は、五坪の土地に廟を作

、毎日供養をしたところ、その地域は豊作が続き、魚の養殖も順調にいくように

なり、宝くじが当たる者も続出するようになった。

 

そこで、この戦死者は誰だ、ということで懸命に調べたところ、ようやく杉浦茂峰

少尉であることが判明したが、台湾は戦後、蒋介石率いる中国国民党のもとで、

強権支配を受けてきたため、日本兵を神様として祀っていることは長らく公言で

きなかった。

 

転機が訪れたのは、李登輝政権になってからだ。

1988年、李登輝氏が総統(大統領に該当)になって以降、台湾でも民主化が進

み、言論の自由などが認められるようになったのだ。

このため、呉省事氏は地元の皆さんの協力を得て1993年三十坪の敷地を確

し、杉浦茂峰海軍少尉の神像を祀った「鎮安堂・飛虎将軍廟」を建てたのだ。

「飛虎」とは戦闘機という意味だ。

 

この飛虎将軍廟では毎日、朝7時と夕方4時の2回、タバコを神像の前にお供えし

祝詞を奏上する。

21歳の若さで戦死した杉浦少尉に対して、せめてタバコだけでも楽しんでもらい

たいという願いから、タバコをお供えするようになったのだという。

 

ちなみに毎日奏上する祝詞は、驚くなかれ、日本の国歌「君が代」と「海ゆかば」

(信時潔作曲)なのだ。

日本兵を祀るためには、「君が代」 と「海ゆかば」 がふさわしいと、飛虎将軍廟を

お護りしている台湾の人たちが思っているのだ。

 

私も 8月9日の夕方、お参りしたが、地元の皆さんと共に、日本語で「君が代」 と

「海ゆかば」を斉唱させていただいた。

 

その日の夜、飛虎将軍廟近くの料理屋で、飛虎将軍廟の関係者と会食をした。

その会食に出席した地元の小学校の先生によれば、「 飛虎将軍の心に触れ、

子供たちに思いやりの心をもってほしい」 として、近年では、飛虎将軍のエピソ

ードを郷土史として教えており、学芸会では児童たちが杉浦少尉の人生を演じ

いるという。

 

台湾は近年「認識台湾」と言って、台湾人としてのアイデンティティーを育むため

戦前からの台湾の歴史を、詳しく学ぶようになってきており、当然のことながら日

統治時代の歴史についても再評価が進んでいて、具体的には日本統治時代

の建物の修復・再現が各地で進んでいる。

 

なお、この飛虎将軍廟の存在を聞いた日本人が近年、次々とお参りにくるように

なっている( この飛虎将軍廟は趣旨に賛同される方ならば、どなたでもお参りで

きる。台南駅から西へ5キロの位置にあり、住所は台南市安南区海尾寮同安路

125号 )

 

その縁で、日本人の、ある篤志家が日本式の御神輿を飛虎将軍廟に奉納した。

その奉納式が2015年3月10日に行われたが、日本人と台湾人が一緒にこうした

奉納式を実施するのは台湾の宗教史上初めてのことであるという。

             

この御神輿奉納を受けて、「飛虎将軍を一度、里帰りさせるべきだ」という声が上

がり、昨年(2016年)9月、飛虎将軍廟管理委員会の26人が飛虎将軍の御神体を

飛行機の客室に乗せてわざわざ来日し、杉浦少尉の故郷である茨城県水戸市に

里帰りした。

 

靖国神社などを念頭に、戦歿者を神として祀ることをあたかも軍国主義であるか

のように批判する意見を聞くが、台湾では日本の戦没者が神として祀られ、その

廟を通じて日本と台湾の友好が深められている。

 

日本のマスコミ報道を見ていると誤解してしまいがちだが、中国共産党政府や韓

国だけが、アジアではない。

 

東日本大震災のとき、実に200億円もの義援金を台湾は送ってくれたのに、正式

な国交がないがゆえに、日本のマスコミの扱いは小さい。

 

しかし、日本の戦没者を神として祀る台湾のような「国 」 がすぐそばにあることを、

日本人として知っておきたいものだ。

 

【 江崎道朗 】

 

 

 

誤解を解く為に 「 海ゆかば 」     

 

ねずさんのひとりごとより

 

この歌詞は、もともとは大伴家持(おおとものやかもち)の歌で、万葉集巻十八に

収録されている長歌です。
原題は「賀陸奥国出金詔書歌(みちのくのくにに金 (くがね) をいだすしょうしょを

賀(ほ)ぐうた)」で、東北地方で金の鉱脈が発見され、そのことを祝った歌として、

書かれました。

「海行かば」のあるあたりの一節を抜き出すと、

 大伴の 遠つ神祖の その名をば
 大久米主(おおくめぬし)と 負ひ持ちて
 仕へし官 
海行かば
 水漬く屍 山行かば
 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ
 かへり見はせじ 
と言立て
 丈夫(ますらを)の
 清きその名を
 古よ 今の現に 流さへる

 

 

日本の軍歌の様にとらえられているが生い立ちはちょっと違うようだ。

 

それに 「 海ゆかば 」 はあくまでも民間による民間楽曲だった。

戦前、信時潔氏が日本放送協会の嘱託を受け、万葉集に西洋楽曲をけると

うことを試みて作曲した。

その内の一つが海ゆかばで、それが戦争賛美の歌にすりかえられ、戦意高揚歌

として用いられたらしい。

出征士を送る曲とし、好されたが、後に作曲者である信時潔氏は若い学徒が

出征する度、苦しむ事となったそうだ。

 

それにしても台湾で、このような形で日本人が祀られているとは、夢にも思わなか

った。

 

杉浦少尉もお盆には、故郷水戸の御実家に帰られただろうか。

 

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