今年数えで99歳となるベストセラー作家・佐藤愛子さん。

 

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目が腫れ、耳は遠くなり、年を取るのはそういうことだと
受け止める日々……。
と思いきや「 威張りながら頼る 」 新境地をつづった
エッセー 「 片足は棺桶 」 を前後編で特別寄稿した。

 

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2020年の秋あたりから、私は居間の隅のテレビの前、
もう何十年も使い古して芥子色が黄土色に焼けて来た
ソファに座ったまま、毎日を過ごしている。

 

ソファの前にはテレビがある。
だからといってテレビを見るためにそこにいるわけではない。
身体に馴染んだ古いソファがそこにあるから座っている
だけのことだ。


テレビを見ないのは、つまらないからではない。
ただ見ているだけでなぜか涙がにじみ出てくる。
左目がひどいが、時々、右目もなる。
テレビだけでなく、本や新聞を読んでもそうなる。
点眼薬と塗り薬も効かない。
かと思うとケロリと治っていることがあるが、一日二日で
また始まるから、治ったからといって喜びも安心もしない。
年を取るということはこういうことなのだ。
これが人間の自然である。
「 治療 」 なんてことはもうない。
そう心得た方がよいのである。

 

耳も聞えにくくなっている。
その聞えにくさは相手によって違う。

補聴器をつけても聞えるとは限らない。
声の大小よりも滑舌が問題なのだが、
「すみません、もう少し大きな声で 」 とはいえるが
「すみません、滑舌をよくして下さい 」 とはいいにくい。
いわれたほうも困るだろうし。

 

一番厄介なのが総じて二十代と思しき女性の電話である。
なぜかどの人も早口で、声が腹( 臍下丹田 )から出て

いないから、語尾がスーッと消える。
仕方なく何度も聞き返すとやたらに細い声がかん高く
大きくなって、さっきは遠くから聞えてくる小鳥の囀り
のようであったのが、突然怒った怪鳥という趣になって、
耳中にクワーックワーッと響き渡る。

 

ここに到って私は正確に聞きとることをあきらめる。
そうすると当てずっぽうの返事をするしかなくなる。
それによってどうにか会話はつづくのだが、時折
ふと沈黙が落ちて、どうやらそれは私の応答が
トンチンカンなためのように思われる。
向こうは質問しているのに、「 ハア……なるほど 」
といって澄ましているのかもしれない。

 

この数か月、私が人と会わず、家から一歩も出ないのは
柄にもなくコロナウイルス三密を避けているからだと人は
思っているらしいが、コロナとは関係なく、こうしているのが
らくであるからしているだけのことなのである。


気力体力とみに衰え脳ミソはすり減って、思考力想像力
持久力記憶力、その上、物欲さえもすべて薄らいでしまった。
退屈を感じることさえなくなっている。
それゆえそれに合せた暮し方になっているだけのことである。

 

私の家から十分もかからないという所にサミットという
スーパーマーケットがある。
ある日、私は娘に誘われて久しぶりにサミットへ行った。
サミットは私の孫が小学校へ上がった頃、およそ二十年
ほど前はよく行っていたスーパーである。
忙しい仕事の合間を縫って走って行ったものだ。


大急ぎでした買物の篭をカウンターの台の上に置くと、
待ち構えていたおばさんがさっと篭を引き寄せて、
手早く中身を点検して支払い金額を算出してくれる。
お互いのリズムはなかなかのものだった。

 

そんなことを思い出しながらサミットへ何年ぶりかで
私は行った。
勿論、おばさんの姿はない。
カウンターの台の前に立っているのはきれいに化粧した
「 おねえさん 」 である。
買物を入れた篭を台に乗せるとおねえさんはかつての
型通りに篭の中身を点検し会計額を出し、そうして、
その篭を受け取ろうとした私の手を無視して、横にある
為体の知れないキカイの上に乗せた。


私はじっと立っていた。
立っていたのはどうすればよいのかわからないからで、
説明を「 おねえさん」 がしてくれるのを待っていたのだ。
だがおねえさんは私のことなど忘れたように次のお客の
篭の中を点検している。
してみるとこの頃は何でもキカイ化しているらしいから、
今にキカイが勝手に動いて、何をどうしてくれるのか
わからないけれど、とにかく私はそれを待つことにした
のである。


そこへ手洗いに行っていた娘の声が聞えた。
「 何をボーッとしてるの。 さっさとお金、入れなさいよ 」
「 お金? どこへ入れる…… 」


娘は私を押し退けて、目にも止まらぬ早わざ。
ハイ、ここを押して、そしてこうして、お金出して下さい。
三千四百二十六円ね、小銭はこっち、お札はここ。
ハイ、レシート……。
あっという間に支払いは完了したのであった。 


以後、私はサミットへ行かなくなった。
断乎、行かない。
何があっても行かぬと決心した。

わけのわからぬキカイの前であの早わざで見せられた
支払い方法は、一度や二度では覚えられないからである。 


かつて私はこの家の大黒柱だった。
娘に孫、それに婿どのを加えた家族三人はそれを認め、
私に敬意を払ってくれていた。
だが年を追ってその雲ゆきは怪しくなって来た。
そしてこの頃は 「 威張りながら頼る 」 という何とも
厄介な事態に立ち到ったのである。

 

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いやいや、流石の気力、脳ミソ、思考力、想像力、

記憶力とお見受けした。

佐藤 愛子さんのお歳で、こんなに柔軟に物事を捉え

客観的に判断できる人はそうそういないと思う。

目的の無い散歩は嫌いだと歩きもされないのに

この明晰さ。

 

 

写真を拝見しても華があってまだまだお美しい。

 

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一日30分は歩きましょう、に踊らされている

自分が情けない。

 

 

 


 

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