「生き続けるための自問自答」 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

 蒲生岳の翌週の土曜日も、県岳連の行事「指導委員研修会」に参加していました。組織に所属することで不自由になるという山家さんも多いけれど、こういった一連を客観的に捉えればまさにその通り。3月という大事な時期の週末を2日も県岳連行事に食われてしまっているのですから。

 ともあれ、わたしはそんな風に当然捉えておらず、逆に役得だとすら考えています。蒲生岳でのフィックス張りの指揮やタクティクスの構築は県岳連の上で信頼されているからこそやらせてもらえているわけですし、今回の研修会も当然時間の無駄になんてならない。。

 頭に入っていない知識を新たに吸収するのは億劫なことではない。単純なレベルアップだから。但し、これが既に学んだ知識を更新するとなると案外面倒くさいもの。学んだ知識は理解していると思いこんで更新を忘れがちなのが人の常。山でも多くの先輩方が何年前の知識で山登っているのですか?!ってな状況によく出くわします。

 一度学んだら最後、その知識には山を止めるまで付き合って更新し続けなくてわ。それきりにすると落とし穴が待っている。なまじ一度学んでいるからその古い情報に自信を持っていて、その情報が間違いだったと判明したあとも気付かずに使い続ける。よくある話しだ。勉強の場に出る時間が損だと感じる人は必ず痛いめを見る。組織にいると学ぶ場の情報がいち早く手に入るし、学ぶ側にいるだけでなく教える側にもなれるから、得るものもぐっと増える。

 冒頭に戻るけれど、組織にいて間違いなく得をしているとわたしは感じている。山に1日入れないのは必要悪だ。その1日のおかげで生き永らえているのだとわたしは信じている。

 いみじくも那須雪崩事故から1年。あの事故は単なる山岳事故ではなく、組織がかかわり、また未成年者が犠牲になった。他とは同列に語れない難しい問題をはらんでいる。とはいえ、そこから山家個人に落とし込める事柄も多かったはず。なのにこの1年間、山岳事故は一向に減らない。山岳会に入っていない人の事故が多いと書きたかったけれど、矢先に山岳会のベテランさんが事故を起こした。この流れではさすがに書けない。

 

 前置きが長くなりましたが、この指導員研修会は、当然、那須雪崩事故を受けた内容となっています。山域も那須だったし、座学は雪崩とリーダーの法的責任。実技も雪崩だった。起きてしまったことはなかったことにはできないけれど、残された者がそこから何かしらの教訓を学ばなければ、御遺族も浮かばれないだろう。翌日に行われた雪山講習会には、県体協の教師の方も参加されたようです。

 山の事故はなくならない。それは間違いない。絶対安全な山やルートなんてないから致し方ない。それでも山の事故は減らすことはできる。限りなく0に近づける努力はできる。交通事故だって減少しているではないか。誰かが考えて取り組めば有効な打開策はあるはずだ。わたしも県岳連の仕事をルーティン化してしまうと、山岳事故数右肩上がりのこの流れは変えられない。既に山岳組織というのは衰退の一途である。わたしもない頭絞ってなにか生み出さなければ。

 とここまで書けば、わたしが下手な事故を起こせるわけもなく、鋭意、安全登山につとめます。山で死んではいけない。人は言う。でも山で死んでしまうときはある。山の死は唐突で抗えないかもしれないけれど、死の間際や準備段階に取っていた行動は自分で選択したもののはず。せめて恥ずかしい選択だけはすまいと思う。ましてや自分で選択することを放棄してはいけない。安易な選択に逃げず、訓練を怠らず、何事も人のせいにしない。自然を愛し、人を愛し、必要なものはすべて背負える山家になろう。

 

 

 

 

(おわり)