「はじまりのはじまり」 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

 わたしが山から受けた洗礼は幾つもあるけれど、山岳会に所属してからの話に区切れば、間違いなく2013年の石尊稜での先輩の滑落が最初の洗礼に他ならない。山岳会に入ると先輩が面白いところに連れていってくれるので、自分も成長しているかのような錯覚をしてしまう。連れていってもらっている側は先輩と同じようなことを考えたり準備していたりすると思っているかもしれないが、これは絶対間違いで、リーダーの苦労と準備は計り知れないものなので、フォローが及ぶものではないけしてない。フォローと言うだけでリーダーとやっていることは天と地ほど違うのだ。

 

 冬季アルパインという世界で、ルートミスからの先輩の滑落。先輩が生きていたのは立ち木に捕まることができた偶然だった。場合によってはわたしも危なかった。滑落後も自力で下山はできたが、結果的に先輩は肋骨にヒビが入るという傷を負った。

 

 その時わたしは自分の置かれている立場を理解した。そして先輩に連れていってもらう山行を完全にやめた。完全にというのは文字通り完全にという意味である。自分がリーダーとなれる後輩との山行のみに、アルパインというジャンルは完全に移行したのだ。リスクマネジメントをする上で山行を完全にコントロールするとなると、これしか手段が思い浮かばなかったのである。

 ともあれ、現在も組ませてもらっているWAKAさんとの登攀の始まりはここからだし、その先結婚をすることとなる妻との山行もここからだった。山行の強度は下がったかもしれないけれど、赤岳主稜、白馬岳主稜と入門的アルパインを自分がリーダーとなり成長していけたわけだから良かった…(以下省略)

 

 そんなはじまりのはじまりと呼べるルート石尊稜に、2月下旬に取り付いてきました。丁度わたしが入った時と同じ、山岳会2年目のやる気ある後輩2名と一緒です。流石に今更石尊稜にビビったりすることはないし、自分と因果のあるルートだからといってどうということもない。当初は初日石尊稜、2日目中山尾根という八ヶ岳1泊2日を予定していたけれど、初日があまりに気温が低く、風もあいまって危険と判断したため、初日石尊稜の偵察、2日目に石尊稜に切り替えた。

 

 

 赤岳鉱泉にテント設営したあと、手ぶらで石尊稜偵察。天気がいいので石尊稜が目視できる。取り付きこそが核心と揶揄される石尊稜だが、これだけ天気がいいと迷いようがない。

 

 

取り付き直下まで行き支点を確認。なんら問題なし。

 

 

 テントに帰って早々と飲み始める。早くから始めたからか、後輩が1人酩酊状態となり、トイレに出たきり戻ってこない。この日、気温は相当低くて、テントの中でも耐えられないほど下がっていた。これは後輩が心配だと、何処にも見当たらない仲間を探すはめとなった。なんてことはない、もうろうとしつつも赤岳鉱泉の小屋の中に逃げ込み暖をとっていた。これも1つのリスクマネジメントなのか?!

 

 

 次の日、石尊稜は大渋滞。先行3パーティ。少し待つことになった。その後ろからも3パーティ確認できた。その中の1パーティは日山協国際委員会委員長澤田ガイド一行だった。山の世界はやはり狭いなあ。

 

 

 石尊稜の出だしのクライミングはⅢ+。聞いていたイメージよりは相当やらしかったが、難しさはなく、慎重に登ればなんてことはない。後輩たちはリードしたくないと言っていたので、入門ルートとはいえ、アイゼンでの岩稜登りのトレーニングをそれなりにつむという手順は必須のようだ。

 

 

 抜けた先はコンテを選択

 

 

 中間は思ったよりしっかりしたリッジ歩きを楽しめた

 

 

 上部の岩峰が見えてきた。ここは3ピッチ出したが、Ⅲあるそうだけど簡単だった。

 

 

 石尊峰にしっかり出て登攀終了。仲間が楽しんでくれて良かった。やっぱ山頂に突き上げるアルパインは最高だよな!

 

 

 

 その後は地蔵尾根まで稜線歩きを楽しみながら下山しました。因縁の石尊稜。いまのわたしにとっては普通のルートでした。他のルート同様、準備をして挑めばなんの難しさもない。

    但し、転機となったような悪天の中、ガスの中であったならどうだろう。やはり石尊稜を見付けるのは難しいのかもしれない。一度知っている者なら迷わないけれど、知らない者なら迷うと思う。前回どうしてルートミスが生まれたのか、検証できたのはとても大きかった。山は天候で難度があがる。これからも油断せずに山に登り、仲間と高め合っていきたい。(おわり)