「ユージン・スミス写真展」 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

 

 もう閉幕してしまったのですが、久しぶりに感銘を受けた写真展に足を運べたので遅まきながら御紹介。その写真展というのは、東京都写真美術館で先月まで開催されていた『生誕100年 ユージン・スミス写真展』です。ユージン・スミスさんは、写真史上、もっとも偉大なドキュメンタリー写真家のひとりと言われているので、知っている方も多いかもしれません。わたしは作品を直に見たのは今回が始めてだったのですが、その作品群があまりにも素晴らしいので、自分のいる世界が何段階かグレードアップしたかと錯覚してしまうほどでした。

 

 スミスさんは間違いなく天才です。写真集買って帰りました。(人生3度目)

 

 

 こういう作品を見せられると、静止しているからこそのインパクト、凝縮しているとでもいうような、その濃さには、映像では敵わないと打ちのめされる。まあ映像にしかできないこともありますが、どちらが上ということではないと思うけれど、主題を観察者に伝達するという意味においては、写真のほうが上な気がする。

 

 わたしが尊敬するフレデリック・ワイズマン監督も言っていたけれども、被写体に信頼してもらうことが一番(空気になるレベルで)そして無心に撮る。自分で用意したビジョンや主題を撮影時には持ち込まない。ただただ回す。持ち帰って作品を眺めているとそこに主題が立ち昇るのだと。

 優れた作品は誤解されやすい。右にも左にも使え、批判の的にさえなることもある。しかし、物事に真実は1つであっても解釈は無限大だ。その幅の広さが内包していなかったら、そもそもドキュメンタリーとは呼べまい。

 スミスさんの作品にはわたしがあるべきだと信じているものがすべて織り込まれていた。家で疲れた時、謀殺された日々を過ごしている時ですら、手に入れた写真集を開き、ただの1枚作品を眺めれば、自分の人生を取り戻せる。そんな気がしている。写真はもっともお手軽に眺められるアートだ。だから好きです。(おわり)