近況605.クライミングは自己責任で | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

 5月に所属山岳会に入会した新人さんから、平日朝練に参加したいとの申し入れがあったので、3週連続平日朝練が開催されました。とはいえ、クライミングは初めてといっていいレベルなので、平地で一から教えるところからのスタートです。






 第1週目は、わたしが国立登山研修所で教わってきたことのクライミングの基礎の伝達講習から。ヘルメットの着用方法、ハーネスの着用方法、ギアの装着の仕方、フォローとして必要なギアのあらましと収納方法、ビレイの仕方、自己脱出の仕方、懸垂滑降の仕方、といった具合です。とくにビレイヤーとしての心構えは意識して教えました。ビレイヤーはリードを確保するだけが仕事ではありません。細かいところにも配慮が必要でしょう。

 伝達講習のあと残った時間を利用して、平地での懸垂下降の実践。懸垂中の仮固定等も練習しました。






 第2週目は、実際に3級ルート2ピッチをフォローで登ってもらいました。わたしの指導方法もけっこう確立してきており、わりと自己責任を強めに押し出した指導方法になっています。先輩任せではなく、すべてにおいて事前に想像力を働かせてほしいと訴えていますが、初心者のころにはなかなか想像すること自体が難しいものです。

 例えば、マルチピッチを登攀している最中に、下降器を落としてしまったらどうするか新人に聞きます。新人は分からないと答える。多くの新人さんが同じように答えると思います。わたしは既にカラビナ1つあれば懸垂下降できるので、下降器を落としてもカラビナさえあれば問題になりません。

 では、新人さんが下降器を落とした時はどうするのか。カラビナで懸垂下降できるようになるまでは、バックアップとして下降器を2つ所持しておく以外に道はありません。ありとあらゆる想像を事前にしておいて、その対策を練っておくというのは、クライミングのみならず、山では重要な要素です。先輩がいるから大丈夫では、山では話になりません。山で自分を守れるのは自分だけです。

 そんなこんな教えて岩を登ってもらうと、新人さんはドラマのように、言っているそばから下降器を落としてしまうのでした。わたしの下降器を貸して懸垂下降してもらい、わたしは練習以外では初となるカラビナでの懸垂下降をすることになりました。

 やっぱりなんでも起こるものです。想定できるミスというのは現実に成り得ます。そう本当の意味で理解できていると、新人さんが下降器を落としたと言い出しても、ビタの1文も動揺しなかったりする。この日わたしも成長したものだと思ったとか思わなかったとか。
 因みに、新人の頃はミスを誰でもします。今は中堅としてバリバリやっている後輩さんも、その当時は死んでもおかしくないミスを犯しておりましたし、わたしもしかりです。早めにミスして目覚めていったほうが、色々な面で習得も早かろうと思います。いい経験をしたなあ、逆に羨ましいよ。






 第3週目は、マルチピッチのリードのシステムを平地で実際に行ってもらった上で、3級ルート2ピッチを新人さんにリードしてもらいました。わたしの指導方針として、クライミングができると判断できた新人さんには、早めにリードのシステムを覚えてもらい、1度だけ簡単なところでリードを実際に行ってもらうことにしています。

 フォローだけでずっとやっていると、自己責任の中のクライミングという世界に新人を立たせることができません。わたしの主軸となる自己責任論の中では、新人であろうと、リードがなにをやっているか把握する必要があり、またリードがミスしていれば指摘しなければならないという、立場におかされます。

 まったくリードを経験していないと、そういう要求をフォローにできない。というか、そもそもフォローとして登る中で、リードが上でなにをしているか分からないなんてことがあり得るのだろうか。それで安全登山を自己の責任で行っていると標榜できるのか。わたし個人の感覚だとそれは怖い。山岳会の先輩なんて、わたしを含めてミスはいくらでもする。クライミングの世界に入った以上は、先輩のミスを指摘してやろうぐらいの感覚でいてくれなければ困る。

 そういう意味で、先輩がやっていることを体験し、知識として一度頭に入れておいてもらうのは重要なことだと、個人的には考えています。

 兎にも角にも、今回までの3回の朝練で、クライミングに必要となるベースの知識は教えられました。あとは、本人の復習と座学と相続力あるのみです。新人に教えるのを面倒臭がる人もいますが、新人に教えているとためになることばかり。ザイルを新人と組むと、自分がどれだけ危険なことをやっているのか思い知らされます。それは逆に感謝しなければならないほどです。いつまでも、リスクを忘れずに岩と向き合っていたいものです。(おわり)