近況571.リッジ崩壊のあと(上越のマッターホルン) | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

(前回のつづき)

 足元のリッジが崩壊したようだ。滑落停止を試みたピッケルは岩か固い層に跳ね返され、わたしは滑落した。

 と言っても立っているのは2mほどで、そのあとは緩斜面。どうということはないだろう。事前に地形図をしっかり見ていて、死ぬような箇所はないと分かっていたから冷静だった。取りあえず、仰向けでも止まると判断して、ザックを背負っている面を下にして、進行方向を目視できるようにした。

 わたしは2m滑落後、そのまま沢スジというかスロープ状の緩斜面の溝に入っていった。まるでウォータースライダーのように滑っていく。でもこのくらいなら下半身だけで止まるよなと両足を広げて、雪をかき集めて止まる方法を試みた(雪は湿雪で重いため有効と判断)。

 しかし止まらない。なんと既にわたしは雪崩の上に乗っかっていたのだった。あれーなんだ、雪崩に流されているのか、おれ。崩壊したリッジ分の雪の衝撃が、滑落した緩斜面の雪崩の誘発を招いていたようだ。

 これじゃあ足広げても止まらないよなあ。雪崩の上で滑落停止でも止まらない。うーんどうしたものか。そんなことを思いながら、ウォータースライダーよろしく雪崩に乗っかって流されていると、ふと気づいた。

 明日は谷口けいさんの送別会ではなかったか。けいさんは雪山の簡単なところで滑落して亡くなられた。確か200m落ちて亡くなられたのだったか(その時は200と思ったが帰って調べたら700でした)。

 いくら地形図で調べているからといって、地形図に表れない10m未満の垂壁があったら、落ちた先によっては死ぬ可能性はある。やはりここは骨折してもいいから早めに止めて吉だろう。




よし!やったるで!




わたしは両足のアイゼンの踵を雪崩下の雪深くまで食い込ませて滑落停止を試みた。




ガガガガガガガガガ・・・ぴたっ、いぇーい、止まった。




ボス




ボボボボ、ボス、ボスボスボスボスボスボスボス、ボスボスボス、ボスボスボスボスボスボスボスボスボスボスボスボスボスボスボス、ボスボスボスボスボスボスボスボスボスボスボスボスボスボスボスボスボスッ!




なんじゃこりゃあ




 アイゼンの踵を雪崩れている表層の雪の下に食い込ませ、止まることに成功したものの、なんと雪が背中にボスボスと当たってきて(湿雪のソフトボールくらいのボール状)、それ自体は痛くはないのだけど、重いので背中に堆積してくると、上半身が起こされていき、なんと前転してしまったのです。なんですと~




あか~ん、これ真剣に止まらないとダメだわ。と思った矢先に視界が暗転する。




ん?!




雪崩に潜った?!




あかんで




あかんがな




座学よろしく泳いだら浮上した。おー出たー




 ダメだ、これ止まらないと。ウォータースライダーのような溝の中を流されているので、手の届く両サイドに藪がある。けがしてもいいやと藪を掴んで止まることを試み始めるも、しっかり掴めず引き離されちゃう。冬グローブだからしっかり握れないどころか、脱げちゃう始末。うーん、これ止まれないわ。と思っていたら、溝から開けた斜面に出て、雪崩は扇状に広がり、勢いを失いわたしも必然的に止まったのでした。







 むくっ。起き上がって取りあえず雪崩のライン上から避難。端で何処も痛めてないことを確認。よし、オールグリーン。それなら稜線上に残されている仲間がヘリを呼ばないよう、早急に無事を伝えねばならない(溝の中を流されていたので、仲間の視界からわたしはすぐに消えていたであろうから)。

 仲間の名前を呼びながら上に登っていく(おっアイゼンが片足ついてない)。それでも登って声出していると、5mも登らずに仲間に声が届いたようだ。大丈夫―?!と聞こえてきたので「大丈夫どこも怪我してないよ~」と伝える。登ってこられる~っときたので「試してみる~」と返答。

 さて状況整理だ。下半身異常なし。上半身異常なし。両手両足も問題ない。右足のアイゼンと両グローブがないので回りを見渡すと、扇状のデブリにそれらギアは散見された。

 両グローブを発見し、細かくパーツに分解されていた右アイゼンも、細かいパーツまで回収することができた。が、1つだけどうしても見あたらない。つま先部分と踵部分繋げるクリップのようなパーツだけどうしても見当たらない(修理に出したら800円でした)。うーん、つまり右アイゼンは現場で完全な状態には戻せないことが判明。この状況で上に登ったものかなあ。

 この状況だと本山行の継続は困難。撤退とせねばなるまい。それを伝えるためだけに落ちた稜線まで登ったものか。でも2ピッチ分(100m)はゆうに落ちたような。うーむ、うーむ。仲間とは声が届きあっているものの、どうにも会話は成立しない。少し上に登るかなあ。かってに下山するわけにもいかないしなあ。

 声を出しながら、少しずつ登ってみる。雪崩は薄い湿雪が全層で雪崩れたようだ。流れた距離とデブリの量から計算すると、ようは雪がまったくない溝の5~10㎝程度の層が雪崩れたということなのだろう。全層の雪崩のあとは、土と雪の混じり合ったようなツルツルな斜面に均されていて、アイゼンなしで登り返すのは容易ではなかった。藪を掴みながらえいやこらえいやこらと登っていると、上から降りまーすとの声が聞こえてきた。よし、仲間が下りてくる。ならばわたしが登る必要はないだろう。安全な場所まで下りて仲間と合流しよう。

 その後、無事に仲間と合流し、死んだと思った~という仲間に、ぴんぴんなわたしを見せ、話し合い即時撤退判断とした。1日残しての撤退は悔しいですが、こういう場合は念には念をおして下りておくのが無難です。よって、今回はリッジ崩壊で滑落、アイゼンの故障により撤退とし、登頂ならず。




3.まとめ

 さて、リッジ崩壊を受け、どうすればよかったのかという話を仲間としました。真っ先に思い浮かぶのは、①ザイルを出しておくべきだった、②危険個所は迅速に移動しなければならなかった、③雪の下を想像できるよう、夏に準備山行しておくべきだった、の3つ。

 しかし①は論外。次同じ条件下で行ってもわたしたちはザイルを出さない判断をします。崩壊したリッジ箇所よりもそれまで突破してきた、ブッシュに雪がのっているだけの箇所や、岩から剥がれ落ちそうな雪の上渡り、薄雪ののった岩稜の登攀等のほうがはるかにリスクは高かったのですから。今回のリッジも油断してなかったし、安パイであると判断したのは間違いでなかったと今でも考えます。あそこでザイルを出すようなら、もっと早い段階で何度もザイルを出していなければならないし、そんなチームは端からこのルートに取りつくべきではない。

 ②も解決策ではない。今回は先頭のわたしの通過時に崩壊したから良かったものの、リッジがわたしの通過時に崩壊してなかったら、次の仲間の通過時に崩壊していたかもしれないわけで、わたしが落ちるより仲間が落ちていたほうが状況的にはさらに悪い。迅速に通過は、解決策ではない。

 ③も同じ。夏に準備山行しておけば+アルファは相当あるけれど、夏に登れないルートを冬に挑戦することも多いのだ。どうすればよかったのかという質問に対する回答になり得ない。

 では入山判断が間違っていたのか。弱層をチェックし雪崩頃と分かっていたのだから取りつかず撤退すべきだったのか。これもわたし達は納得できないのだ。わたし達はルートを考え雪崩頃でも雪崩にあうリスクは少ないと判断してちゃんと入った。リッジの崩壊は雪崩にあったのとは違う。リッジの崩壊で2m程度落ちたときに、雪崩を誘発してしまったのだから、やはり落ちた先が雪崩れ頃なら入山すべではなかったという人もいるだろう。 が、そんなことを言っていたらわたしの入りたい条件の山にはいつまで経っても入れない。次同じ条件下でもわたしはやはり入山して取りつくだろう。

 となると、こういうリッジ崩壊にどう向き合えばいいのかという解決策が必要になってくる。でないと、運が悪かったとまた落ちて流されて、死にゃあしないと判断してしっかり無傷だったからいいでしょ?と一種胸をはって山行を台無しにしなければならなくなる。

 わたしが思うに、わたしは自分のスタイルを構築するために、人と違う山をやろうという意識をもっている。ならば、もはや人から習ったり、教わったりするだけではダメで、自分ならではのシステムや技術を生み出していかないといけない立場になっているのかもしれないと今回気付いた。

 人と同じようスタイルで登っているかぎりは、人が登らないようなルートでは対処できないのは当たり前。自分を守るために自分のオリジナルスタイルを構築していかなければならない。山行を運否天賦で行いたくはわたしだってないのだから。

 そこでわたしは同じめにあわないよう、次回はこういうことをやってみることにする。沢登りで個人装備として腰にぶら下げているお助け10mロープを、雪稜登攀でも各個人に標準装備させるということ。

 今回わたしたちのパーティはとてもいい山行をしていた。ザイルを出さずにスピーディに不安定な箇所をクリアしつつ、先頭のわたしは後ろにリスクの情報を的確に落とせていたと思うし、また仲間もしっかり登ってきていた。危険個所は適切な距離感を保ち、ハザードが起きても二人同時ということが起きないような状況にできていたし、また50mザイル所持者が滑落しても、残された者が適切に下りてこられるよう地形図を読み、必要であろうと判断した10mザイルを装備させておくことができた。

 崩壊したリッジも重い湿雪をしっかり踏んで問題ないことを確認した上で入ったし、雪庇が崩壊して落とされたのではなく、雪庇の逆側が崩壊して落とされたのだ。特筆するような凡ミスはしていないと断言する。

 ではどうする。わたしはこうする。今回はノーザイルとはいえ、お互い適切な距離感を保ち、ノーザイルスタカットのような状況だった。ならば各個10mザイルを腰にぶら下げていれば、それを使って簡易確保ができるのではないか。そもそもわたしたちの入っていたルートは確保なんてものができるような状況じゃなかった。ピッケルを埋めるほどの雪の層はなく、スノーバーを立てるわけにもいかないし、支点になるような岩もない。支点を作るなら、ブッシュ利用のイワシくらいだろう。

 がしかし、落ちても死なないような箇所でなら、しっかり支点をとっていなくても、止められるのではないかと思うのだ。例えば10mザイルを適切にブッシュに絡ませておくだけでも止まった気がする。イワシは時間の無駄だけど、腰につけているお助けロープ(末端は8の字に環付き)をさっとだし、リードのハーネスに付けて、セカンドはそれをかってに適当にブッシュに絡ませておく。セカンドはお助けロープを自分に連結しておかない。ここがミソ。繋げておくと一緒に落ちるからわたしは嫌だ。あくまでブッシュに絡ませて、腰がらみ、肩がらみにしておくだけ。

 これで仲間が落ちて、止められそうもない圧を感じたら、セカンドはザイルを離してしまえばいい。どうせ落ちても死なないような箇所の話をしているのだから。で、仮にリードが危険個所を通過したら、その後は、セカンドは自分にお助けロープをつけて、リードはお助けロープとの連結を外し、肩がらみか腰がらみで確保する。このくらいはしてもいいという気がした。50m30mではやる気がおきないけど、腰に常備している10mなら時間食わないし、やれる気がする。

 因みに、わたしは今回残念ながらはじめて思い至った点がありました。それはコンテしている際に、仲間が落ちたときのこと。いままではコンテはなかなか止められないから、それなりにザイルを流して止めりゃあいいという感覚でいました。手でもっている余分な輪を捨てて時間を稼いでとめるような意識とでもいいましょうか。

 ですが、雪山というものは滑落が誘発する雪崩というものがあるわけで、そうなると今回のように2m落ちただけで雪崩の中ということもあり得る。わたしは雪崩の中で一回止まれたけれど、そのまま踏ん張りきることはできなかった。

あ そこでわたしは思う。雪崩の流れの中にある仲間を雪崩のど真ん中で止めてしまったらどうなるのだろうかと。やはり雪山の緩斜面とはいえ、あまり流して止めるという意識は持たずにできうる限り早く止めて吉だなと思ったとかなんとか(書いてみたら当然のことだった。おれまだまだだなあ)。

 兎にも角にも、今回は各所で雪が崩壊する可能性があることは分かっていたし、崩壊した場合のリスクの度合いも計算した上でのノーザイル判断だったし、それでリッジ崩壊にあったとしても、自分が想定していたとおり、怪我1つしなかったのだから、まあリスクマネジメントは悪くなかったかなと自負しています。

 道中熱くなって毛糸帽子を脱いだ際にね、ゆるんだヘルメットの顎紐をしっかりきつく合わせなおしたんですよ。こういう細かいことが命を守ることにつながるんだよと、滝谷を思い出しながらね。で、今回もグローブやアイゼンは外れってもヘルメットはしっかり付いていました。やっぱやることやっていれば怪我はしないのだ。

 とはいえ、ハザードに巻き込まれないのは重要なことだ。生きていればいいでは費用対効果的にも愚の極みだ。死なない怪我しないリスクマネジメントのさらに上をいく、何が起きても山行をつぶさなくすむようなマネジメントを極めたいですな。まあ大事を取り過ぎ、危険個所に長くいればいるほど、リスクは増すのだから、簡単ではありませんけどね。

 取りあえず、以上です。本件事案を課題として一層精進致します。落ちてばかりいると死亡フラグが立っていると思われてしまうし、他人さまに心配させるのも本意ではありません。今回は師匠にも心配されてしまいました。申し訳ありません。以後、落ちないよう気を付けます。(おわり)