大田原マラソンをおえて@宇都宮城NIN-NINランニング倶楽部 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録



今回は本当に久方ぶりに厳しいマラソンをしましたが、逆を言えば、わたしはサブ4を成してから、もう本当の意味で限界に挑戦して走るようなことはなかったということに気付かされました。だって、肋を負傷し準備不足の中で57分台で走れたということは、数年前に記録したわたしの54分台ってPBは、どれだけ手を抜いて走った記録なんだよってことになってしまいます。


いや当時手を抜いて走ったわけじゃないんです。あの時はあの時で一所懸命に走ってたと思います。でも線をひかれた向こう側のものに手を伸ばそうという、有か無かの二者択一のような結果至上主義に立って勝負はしてなかったのは確か。今回は完走か完走ならずかという二択を迫られ、我ながら諦めずもがけた。その結果は良かったんだけど、やはり冷静になってみれば情けないなあってのが先に来ます。こういう分かりやすい時にしか、頑張らないのな、わたしって・・・と。


マラソンってやはりメンタルですよね。今回は知人や仲間の応援、有効なペースランナーの存在、そういう外部的要因が大きかった。いや、大きかったというよりそれしかなかった。今回の完走は間違いなくわたしの力ではない。雨と寒さの中でも諦めなかったのは、周囲の応援があってこそでした。


つまり、応援がなくても走れるメンタルは今回は間違いなく備わっていなかったし、今回のような二択なら我武者羅に結果を取りにいけるのに、これがタイムを1分1秒でも縮めるというような、限界なき挑戦をしいられると、途端に頑張れない自分に気付かされた。いつも今回と同じような底をさわるような頑張りを走りで出せてない。もう何年も出してなかったのだ。


その弱さを知れたとき、わたしは今回完走できたのが心から嬉しかったし、またマラソンを取り戻せたように感じたのでした。マラソンは嘘をつかない。そこが素晴らしい。情けないものには情けない結果しかついてこない。マラソンで描かれるシュプールは走った自分にしか知ることができない世界なのだ。わたしはランナーではないけど、山をやる前提として、これからも走り続けていきたいと思ったとか思わなかったとか。


そんなわたしは帰宅後にロードの大会出場数をなんとなく数えたりしました。マラソンとどのくらい付き合ってきたのかなと。なんとなく知りたくなったんです。すると2007年11月のはじめてのマラソン大会出場から数えて、今回の大田原出場で驚くことに49回目の出場でした。50回目前にそれを知るとはなんたる偶然!!!(おわり)