わたしはミーハーですからね、やっぱり行ってしまいましたよ。現在国立新美術館で開催中の『ルーヴル美術館展 日常を描く -風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄』にね!(どーん)。
今回の目玉はフェルメールの「天文学者」。2009年時のルーヴル美術館展では、所蔵の「レースを編む女」が来日していたから、これでルーヴル所蔵のフェルメール2作品を鑑賞したことになるわけです。因みに『天文学者』は日本初来日。素晴らしいことこの上なし。
とはいえ、同展のフェルメールは企画の目玉というだけで、構成そのものは、ルーヴル所蔵の16世紀初頭から19世紀半ばまでの風俗画をまとめて紹介するというものだから、ミーハー根性だけでは失望して帰ること請けあいの硬派な美術展になります。
で、まあわたしが心惹かれてしまうコロー先生の作品や、有名な作品もそれなりにあったので面白かったんですけどね、やっぱり鑑賞中にアート的な思考が働いたのかといえば嘘で、ある種の勉強のような美術鑑賞になってしまいました。
ルーブル美術館の日本での美術展は、2018年から4年に一度、計5回開催されることが決定しているから、全部足を運ぶことになると、2018、2022、2026、2030、2034年とわたしはもう50代に。。そもそも、その頃わたしは地球に住んでいるのやら?はたまた水不足と食糧難で北斗の拳状態かもしらんわ。。
その時こういう絵画はどういった価値をもつのだろうか(はてさて)。
兎にも角にも、同展は一般1600円。高い授業料だったぜと、トボトボ美術館を後にしようとしていたら、はっとするようなポスターに出会いました。
コレはーーーーなんだ?「第45回記念 全日本水墨画秀作展」のポスターのようです。アート的刺激を求めてきたのに肩すかしをくった脳は、時間を惜しむことなく同館3階まで足を伸ばしました。
いやあ、しかしこれは良かったね。日本中から現在の新鮮な水墨画がこれでもかと展示してあるわけですが、水墨画についてのわたしの不勉強な認識は、完全に吹き飛ばされました。
水墨画とは、「墨」一色で表現される絵画との認識をもっていたけど、色が従で墨が主なら、鮮やかな着彩がなされていてもOKなんだって!だからね、様々な着彩がなされた「花火」というような強烈なインパクトを残すような作品があったり、墨だけで表現しているけれど、写真にしか見えない写実的な作品があったり、ポロックのような記号的な現代アート風のものがあったりと、なんでもありの凄い世界でした。
水墨画というジャンル、自由じゃないか!
ポスターに使われている作品が大賞のようですが見事でした。ちゃんとお見せできず残念です。知らない世界に触れるとやっぱり脳が刺激を受けますね。これがアートってもんじゃなかろうか。大満足です。因みに、この水墨画秀作展はなんと無料です。
芸術の価値は払った金額とは無関係なものだ。前回の宇都宮美術館の薄久保さんの展覧会同様、アンテナを張っているだけでなく、もっと当て所なくブラブラとする時間を過ごすようにしないと。でないと、記号にばかり引き寄せられて、時間もお金も吸い取られてしまう。
でもなあ、これが案外できないんだよね。時間にだってそもそも価値がある。なにが得られるか分からないところに投資するわけにはいかない。ブラブラする、それは宝探しの冒険のようなものだ。大抵はなにもなく終日するだろう。だからといって、そのギャンブル的なところに時間を割けなくなったら、もう人生の青春期は終わりなのかもしれない。
予定もない時間を過ごすというのはとても贅沢なことなんだね。誰でもできるようでいて、なかなかできない。わたしはまだまだ青春していたいから、気をつけるようにしよう。宝探しには自信があるしね。(おわり)