近況80.三谷版『桜の園』観劇 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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先週中は、パルコ・プロデュース公演三谷版『桜の園』も観劇していたのだった(報告し忘れてた)。あーさてさて、本舞台は、知っている人は知っているアントン・チェーホフの4大名作の1つであり、また最後の戯曲でもある「桜の園」を、三谷幸喜が大胆に書き下ろし演出をつけた、まさに三谷版と冠を付けざるを得ない公演であります。合い言葉は“これがチェーホフ?これぞチェーホフ!”なので、きっと奇想天外にして名作という離れ業をやってのけてくれるに違いありません。サロメと時間を空けずに観劇できるのは、いつも以上に勉強効果を期待できるはず。大いに満喫したいですな♪


と大いに期待してたからじゃないと思うけども、これは凡作である。確かに、チェーホフをここまで分かりやすくしたという功績はあると思うし、群像劇の交通整理の見事さは上手かったと思う。でも複雑な作品には複雑な理由があるわけで、その理由を描かないのでは主題も表面的なものにとどまってしまうのではないか。だから本として深みがなくスジ張った印象しか受けませんでした。つまりはベタベタで退屈してしまいそうなんだけども、そこを救ったのはキャスティングと役者の力でしょうね。でもそれもタイプキャスト過ぎて三谷の演出の成果とは言い難い。


おいらは三谷さんの「国民の映画」という舞台で泣かされてしまったことがあるから、彼の魅力は笑いと情感の共存にこそあるのだと解釈していたけれど、本作の笑いは原作がしっかりしているため、いかにもここです的に置いてある小技だけが目立ち過ぎ、喜劇ですと胸を張るにはお粗末な代物だったし、大事な部分が骨抜きになったチェーホフには情感を感じることはできなかった。いい独白箇所とかもあるんだけど、屋台骨がしっかしてないから、唐突で単発のミニドラマみたいな印象。大河の流れというようなものは微塵もなかたように思う。


でもおいらは安心した。三谷さんでもこんな中途半端をやるんだと思ったし、話しによると、本公演は回を重ねるごとに改訂していっているらしいのだ。だからおいら間に合わなかった完成前を観たことになるけど、観劇した回が如何につかまらなかったとしても、おいらは彼の器用貧乏の負の部分からいろいろと得ることができたので、それほどの不満はもってないかな。いや逆に良かったとすら思ってる。「国民の映画」を観劇して、ちょっと彼を尊敬すらしそうになっていた自分がいたのだ。その呪縛から逃れられたことこそが、おいらにとっては今回のもっともたる収穫だと思うから。(おわり)