映画雑記Vol.21 追悼 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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新文芸座が森繁久彌氏の追悼番組を27日~20日まで組みましたので、興味のある方は是非どうぞ。ぼくは森繁さんとはまったく縁がなくて、森繁さんの作品はほとんど観ていないのだけど、そんな中唯一観るならスクリーンと決めていた作品があって、それが「二百三高地」だったのだけど、今回の追悼番組からは見事に漏れてしまったようだ。丹波氏に続いて森繁氏がお亡くなりになられても倉庫からフィルムが出てこないのなら、本作のフィルムはもう表に出てこないのかもしれない。まあなにはともあれ、映画人は映画館に追悼を組まれたら本明だろうなあ。最近、傑出した映画人が次々と亡くなっている印象を受けるけど、誰もが追悼番組を組まれているわけじゃあないからね。


で、おいらが森繁氏から連想した作品は「二百三高地」しかなかったので、自主的に追悼しようとレンタルしてきてとうとう観た。そしたら、作品の合間に“防人の詩”のカラオケが入っていたから驚いた。なんなのこの斬新な演出は。3時間の大作が伝えようとしていることを、数分の曲が同等またはそれ以上に伝えてしまっているんじゃあ、映画の存在意義ってなんなのってことになってしまうじゃないか。それでも尚、おいらの世代が観てきた和製戦争映画と比べれば、遥かに素晴らしい戦争映画なんだよなあ。


http://www.youtube.com/watch?v=rqh9NJgG-Wk


社団法人日本映画製作者連盟(http://www.eiren.org/toukei/index.html )が昨年の統計を発表して、昨年も日本映画はそれなりに好調だったようだけども、それでもおいらの観たいような映画は実績を残していないということに不安を覚える。結局、映画は脚本から生まれるのではなくて、人が生み出すというところに帰結してしまうのではないだろうか。日本から戦争映画とやくざ映画が消えたのは、単にそういう時代を生きた人間が一線からいなくなったからとしか思えない。おいらのオヤジは空爆体験があるけど、それら戦争体験のある60代が業界からいなくなったら、それこそ日本映画界は狭い範囲の映画しか生み出せなくなるのかもしれない。有名原作の映画化が花盛りな昨今だけども、本はあっても理解している人がいなければ魂は宿らない。そういうことなのだろう。その点、アメリカは随時戦争しているから、細部違うにしても応用が利いてんだね。


http://www.youtube.com/watch?v=hWSFZleJ2O4&feature=PlayList&p=ECC7EA833BB164B1&index=15


閑話休題。で、まあおいらはさだまさしの“防人の詩”をさっきから繰り返し聴いていたのだけど、そしたらば、清春氏が同曲をカバーしていることに気付いた。


http://www.youtube.com/watch?v=IbIZRPtoAW0&feature=PlayList&p=ECC7EA833BB164B1&index=20


おいらはさだまさしは嫌いじゃないけど、やっぱり清春版のほうがしっくりきてしまうなあ。それこそ、こういったものですら世代間格差か。今度誰かの結婚式で歌おっと。冗談さておいて、おいらはこの清春版の入ったCDを早速購入。森繁氏の死が、おいらに“二百三高地”を借りさせ、おいらにさだまさしの“防人の詩”に注目させ、結果、清春のCDを購入させた。そして何時かおいらがこの歌を嫌がせのようにカラオケで歌ったらば、それこそ誰かがまたこの曲から何かをもらうかもしれない。こういった循環も作品を生み出す人がいてこそだなあ。生み出す人は偉いよ。尊敬してしまうね。(おわり)