わたしが『縞模様のパジャマの少年』を極端に低い評価とした2つの理由。 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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「縞模様のパジャマの少年」は日本では評価がかなり高かったですね。他者の評価と自己評価の差幅で言えば、本作がダントツで1位かもしれません。だから、本作について言及するのは簡単ではありません。多くの敵を作ってしまう可能性があります。それでも尚おいらが説明責任を果たすならば、ワースト10に入れたのは、本作を“観てはいけない映画”に指定したことにつきます。理由は観ると害を被る可能性があるからです。


おいらは本作を酷い映画だと考えていて、それは撮影技術の話しではなく、制作意図に起因します。まず、本作は児童文学の映画化なのですが、そもそも原作の児童文学自体が内容に論争のある作品でした。簡単に言ってしまえば、許容し得ない歴史的事実との相違があるということが問題で、多くのユダヤ人団体を始め、国籍や人種関係なく様々な立場の方々より抗議を受けていました。


映画版は反戦を感想にあげる人がかなりいますが、基本的にはそれは的外れで、本作の主題は無知の怖さにあります。だからこそ、本作のようなナイーブな話しもフィクションとして寓話にすることが許されたのです。映画版が反戦を主題にしていると思ったのなら、これだけ歴史的事実をねじ曲げている以上、最低限違和感を感じて欲しいところです。


本作の問題点はそこにあります。つまり、本作は無知を主題にしながらも、無知な観客(失礼な言い回しは本意ではありません)がそのまま寓話を事実と受け入れかねない危険性をはらんでいます。原作の論争時に、そういったことは既に話し合われており、結果、このベストセラーの児童文学は、読後に、ホロコーストに興味を持って自身で事後検証することが必須であるという点に落ち着きました。兎も角、原作にはそういった論争があり、結論のあった、とかく問題の多い本だったということです。


さて、それを映画化するにあたって、そういった周辺事情を踏まえる必要はあったのではないでしょうか。そもそもあまりに歴史的事実をねじ曲げていると指摘されている寓話的作品を実写化すること自体が危険だと思いますが、それは置いておいたとしたら、本作を映画化すること自体にどんな意図があったのか。原作の主題(無知の怖さ)に感銘を受けての映画化だったのか。そうだとするなら、無知が読むと事実を誤解したままになってしまうと指摘されてきた原作です。映画化するならその危険を回避する努力なり工夫が必要だったのではないでしょうか。しかし、本作にはそれらへの対処はされていませんでした。


おいらは、ハーマン監督の映画化しようとした動機が、もっと別のところにあったと解釈しています。それは最後のシーンを映像化するというただ一点。多くの要素が歴手的事実とは違う寓話的作品において、最後だけ何故リアルを追及する必要があったのか。それも映画界が映像化してこなかったようなまさしく衝撃のシーンです。


このシーンを映像化するには相当な苦労があったと思われます。何せあれだけの集団の真っ裸の成人男性の中に素っ裸の子供を放り込んで演技をさせようというのですから。このシーンを日本で撮ろうものなら、相当な法的な問題をクリアしなければなりません。純粋なアメリカ映画なら映像化自体不可能だったのではないでしょうか。そういったかなり難しいシーンを本作は見事にクリアして映像化にこぎ着けています。これはこのシーンを映像化するためにどれだけのフィルム外での事前の努力と法的工夫をしたのかということが伺えて、そこからおいらが逆算すると、本作の映画化がまずこの最後のシーンを映像化するという野心から来ていたのだな、という結論にいたってしまいます。


つまるところ、ハーマン監督は、この論争のあった児童文学を種に、また論争になるような映画を撮れるかもしれないと考えたのではないでしょうか。ハーマン監督は、キャリアを飛躍させるために本作を噛ませ犬に利用したような気がしてならないのです。でなければ、ユダヤ人にすら叩かれているような間違った内容をそのまま採用した挙げ句、あんなラストに繋げる意図がまったく分かりません。おいらは本作に漂っていた主題はうわべだと考えています。今この時代に反戦やホロコーストをやるなら、できるだけ歴史に忠実にやろうというのが、主流ですし(ドイツ国内除く)、本作が原作にならっている無知の怖さを主題にしているのなら、最後の衝撃は必要ありません。


兎にも角にも、映画の感想は人それぞれで構いませんから、おいらの評価もあくまで多くの感想の中の一つということでしかありません。ただ絶対的言えることは、本作も原作の論争そのままに、観っぱなしたままでいると数々の歴史的事実をねじ曲げて記憶してしまう可能性があることだけは間違いがありません。最後だけリアルな映像で衝撃的なだけに、誤解されたまま原作以上に認識されてしまう可能性すらあります。


もし、おいらに息子や娘がいたならば、本作を絶対に見せたくありませんね。本作を切っ掛けにホロコーストに興味を持っていただければというのが原作時の論争の結論ではあったけど、間違った作品と分かっていながらわざわざ切っ掛けに利用する必要はないでしょう。特に子供は観たものをそのまま受け入れ、事後検証などなかなかしないものです。だから、おいらは本作を“見てはいけない映画”に指定させていただき、見ると害がある点と制作意図が酷いという二点から、2.0点×2減点させていただきました。


撮影技術からだけで評価するなら6.4点。でもやはり撮影技術は演出意図にかなっていてこそ評価に値するのですから、演出意図の裏の真意まで透けて見えてしまっているのは、ただただハーマン監督の力量不足だと思いますね。野心は買いますけどね。出来がいいのだから、もう少し上手くやって欲しかったというのが、正直なところです。(おわり)