恐怖の夜間行。「栗原川林道を抜けて皇海山へ」(前編) | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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20084月に富士登山宣言をおこない、富士登山に向けて練習スケジュールを組み自分の身の丈にあった山々を登ってきたおいらも、同年8月に富士山登頂を成し遂げてしまうと、一応ひとまずの帰結をみた。山登りについて“白紙の状態”になってしまったわけだ。おいらにとっての山登りは当初から単独登山の形をとっていたから、それはもう冒険のような半年間であった。山屋の店員さんも山デビューから単独登山を繰り返しているなんて考えられないと驚いておられた。ニンマリである。単独登山には経験値を独り占めにできるという大いなるメリットがある。短い期間だったけど、おいらも富士登山までのスケジュールを貫徹したことにより、山初級者は卒業したと考えていいだろう。


おいらは日本一の富士山に登りたいというだけの同行者と違い、富士山を登る前から山の虜になってしまっていたので、この“白紙の状態”をどうすべきか考えあぐねていた。取り敢えず、おいらも中級者に片足突っ込んだものと自覚して、それ相応のレベルにまた挑戦していきたい。栃木県には、おいらが未登頂の日本百名山に選定されている山が二つばかりある。関東以北最高峰の日光白根山と山深くに鎮座する皇海山(すかいさん)である。山登りデビュー元年に栃木の名峰をすべて登頂したとなれば区切りにもなるし丁度いい。両峰ともに単独登頂するには勇気がいる山である。しかし、その不安な気持ちこそを、事前の徹底した準備や計画性で補いつつクリアしていくことこそが単独登山の魅力であろう。折角なので、紅葉シーズンまで待って上記両峰に挑戦することとした。


そして時は20089月。紅葉にはまだ早い時機だったけれど、のちに書く理由により、何時でも山に飛び出せる態勢で整えてあるザックを車に積んで、皇海山に向かった。


 今日の話しはここから 


当時のおいらにとって、皇海山(すかいさん)は怖い山である。栃木県内からアプローチしようとすれば、その山深い頂きのせいで、庚申山を経由し山中で一泊しなければならないのである。山デビュー元年のおいらにはまだテント泊の知識も準備も心構えもなく到底無理な相談である。しかし、2003年に皇海山の麓まで林道が開通し、皇海山へ日帰りでアプローチすることが可能になったのだ。その林道こそ悪路で名を馳せた“栗原川林道”である。


おいらが栗原川林道のリサーチを始めて得た情報の数々といったらそれはもう黄色信号のオンパレード。日常茶飯事の落石、路肩の崩落、車の転落事故の数々。昔林道自体が雨により完全崩壊するという“大崩壊事故”まで起きている。危険な箇所でもおいらの勇気をもってすれば抜けることはできるだろう。しかし、おいらが気になって仕方ないのは、この林道の長さににあった。それは全長23キロメートル。23キロメートルもの区間を、ガードレールもなく路肩から崖下が覗く車一台がやっとこ通れる林道を行くことなど正気の沙汰とは思えない。対向車が来た場合どのように対処するのだろうか?


そしておいらが栃木に引っ越してきてから使用している車が、事務所からレンタルしているヴィッツであるというのが最大のネックになった。何処のサイトも林道はボコボコで、車高が低い車ではかなりお腹をぶつけるだろうと警告している。落ちている岩や石は剥離して落ちてきたもので鋭くとがっておりパンクの危険もあるらしい。車に興味のないおいらがタイヤの予備など持っているわけもない。少しサイトで調べただけでも、ヴィッツで栗原川林道を行くのは無謀であると断定することができた。


わざわざ林道の写真を撮っている人も少なくいい写真はまりないけど、下記両サイトが栗原川林道の酷さの一端を画像で伝えてくれているから参考にして欲しい。


http://www.ne.jp/asahi/syouken/yuyu/mount-1/2001/sukai01.htm

http://blogs.yahoo.co.jp/sky449141020/43175376.html


さて話変えて、皇海山について調べていくうちに、おいらはこの山を“悲劇の百名山”だなと思うようになったことについてもふれたい。皇海山は先にも書いたように、昔は山中泊を余儀なくされる難しい山であった。だからこそ、皇海山は深山として原生林を維持し、人の踏み入れない静けさこそが魅力で百名山に選ばれた山であった。にもかかわらず、上記栗原川林道ができたこと今現在は、バスツアーが多数くまれ、常に団体のツアー客が登っているような賑やかな山になってしまったのだ。皇海山は山頂の眺望も乏しく、花や高山植物が豊富な山でもない。紅葉も見事とオススメできるような山じゃない。静かな深山としての佇まいも削がれてしまえば、この山にどれだけの魅力が残り得るというのだろう。多くのサイトが皇海山は「魅力がない」とか「百名山でなかったら登らなかった」と記している。


だからこそ、おいらは本当の姿の皇海山に出会ってみたいと思うようになった。皇海山が呼んでいるような気がしたんだ。だからこそ、おいらは少しばかしの紅葉見たさのためにアッタク日を紅葉シーズンに設定するのは止めようと急遽路線変更した。紅葉シーズンも間近に迫っていた9月の終わりの時機である。栗原川林道にびびっている余裕はなかった。それどころか、おいらの頭の中には、もっと大きな計画の輪郭が見え始めていた。“栗原川林道夜間行”昼でも怖いと書くサイトがある中、おいらは、栗原林道を抜けるのは日中では遅い、夜の間に抜けねばならないという強い思いに捕らわれ始めていた。夜でもゆっくりのろのろと進めば、いくら危険な林道とはいえ、抜けられないということはあるまい。落石が車を潰したら、言ってやればいい、「はいそれま~で~よ~」と。


皇海山を登るなら、早発ちして日の出と同時のアタックが相応しい。栗原川林道の危険さもあいまって、そんな時間に皇海山の登山口に着いている登山客もいなかろう。ましてやツアー客のバスなんぞ来ているわけがない。万全だ。問題は、皇海山は多くのサイトが熊を見たと書いている山。日の出の時間帯は熊が朝飯を探すべく動きだしている頃合いだ。“栗原川林道夜間行”は、初めての熊遭遇の危険性をぐっと高めることとなった。しかし、完全な計画なんてものはない。ある程度まで練り尽くしたらあとは実行するのみである。(つづく)


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