c.はじめての富士山。~頂上CRYMAX編~ | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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↑つづき


同行者から15分遅れで九合目に到着したおいらを待っていたのは、同行者の告白だった。


「頭が痛い」

「ハッピーバースデイ高山病♪」


自分のことはどうにか出来ても人のことはどうにもならない。闘いの幕開けである。なってしまった以上特効薬のないのが高山病である。休憩するほかない。持ってこさせた携帯酸素を使用させながら、兎に角、痛みが治まるのを待つしかない。


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しばらくすると、幾分楽になったと同行者から申告をもらえたが、顔色の悪さは歴然としており、だからといって留まっているわけにもいかず、様子見様子見登り始めることにする。


次の目標は九合五勺目にある山小屋“胸突山荘”。富士山の山小屋は本当に小刻みに点在していて、登山口から九合五勺目まで8小屋存在していたことになる。九合五勺目の標高は3550mだから、1100mの間に8小屋はあまりにも多い。これが富士山がリュックなしでも登れるとされる所以である。がしかし、小屋の数と高山病は関係がない。同行者は頭痛と吐き気にさいなまれ、おいらを置いてきぼりにした九合目までの元気が嘘のような重い足取り。3000m級の山では高山病のリスクが常に付きまとっている。こればっかしは山小屋の多さや人の多さは関係がなく、自分の計画性と下準備だけが因果関係を持つこととなる。


富士山は誰でも簡単に登れるのだろうか? おいらが答えるならば「イエス」である。富士山には誰でも簡単に登れるだけの条件がちゃんと揃っている。開山時期に限定すれば、水でも食料でもなんでも山小屋で手に入るからである。しかし、この九合目(3410m)から九合五勺目(3550m)までのたかだか標高差100mの辛さといったらない(ここが一番きつかった)。


これはいままでの登山の辛さとは一線を画している。これは登山の辛さではなく、単に空気が薄い高地での運動を強いられているという辛さである。ヘリコプターでいきなり九合目に降ろされて登りだしても同じ辛さを味わうことになるだろう。だからこそ、標高になれるという一手順は重要で、少しゴールには早いかなと思えても、一日目は、八合目や九合目の山小屋で一泊するというのが王道であり正解であったなとしみじみ思えた。


おいららが登っている富士宮口は、富士山をもっとも最短で登ることのできるルート。その最短であること(=最も標高馴れし辛い)がいま同行者に猛威を振るっているのである。八合から九合の間に同行者のペースを落とさせることができなかったのは、偏に一切を委ねられているおいらの落ち度です。ここで深く遺憾の意を表明することと共に、再発防止云々


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兎に角、おいらは同行者を励ますばかりである。

山小屋まであとちょっとだ。

よし、休むならあそこまで登ってからにしてみようか!


たかだか100mが進まない進まない。驚くばかりだ。しかし、高山病の御旗をかかげている同行者をけしかけるわけもいかない。さくせんは勿の論で「いのちをだいじに」。


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九合五勺に到着。携帯酸素に貪りつく同行者。同行者が休憩している間に、おいらは同行者の金剛杖も持って焼き印を押しに。この九合五勺の“胸突山荘”の焼き印は、日付も入っているのでなかなかレアです。金剛杖を購入された方は是非押してもらうといいでしょう。さて、九合五勺から山頂まで30分との表記あり。次が山頂だと思えば元気も出るというもので、同行者も最後の気力を振り絞って立ち上がる。さあ最後のクライムだ。


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1345 富士山山頂に到着。五合目山小屋を後にしたのが730分だから。計6時間15分のクライムだった。富士山で怖いのは唐突な雷だから、15時前に着ければとは思っていたけれど、早発ちしていたので、余裕をもって登頂することできました。めでたい♪


登ってきた富士宮口ルートを登り詰めたところにあるのが、おいららが宿泊予定の頂上富士館。ただし、登頂が速過ぎたこともあってまだチェックインはできない。しかし、それも折り込み済みで、いまから富士山頂を一周するお鉢巡りを楽しむ手筈である。だがその時、鳥居の脇に座り込んだ同行者が発した言葉は、「もうダメ。一歩も動けない」であった。つづく