最終章:たま、プロレスへ行く。 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

627日記載日記のつづき)中西選手に次回防衛戦で少しでも勝利の可能性が出てくるようTシャツを買うべく、グッズ売り場に向かう。えーと、どれを買うとサインもらえるのかな? 中西選手のTシャツならどれでも大丈夫ですよ。えーと、じゃあ一番新しい奴はどれ。この野人ゴールドTシャツが新発売の商品になりますね。なるほどなるほど(これである:http://item.rakuten.co.jp/battleroyal2/10007935/ )。裏表に“野人”とだけ刻印された際物の商品だ。だが、プロレスのTシャツと分からないところがいい! これを着てトレランの大会に繰り出せば、ある種の感覚を醸しだし、恥ずかしい視線にいてもたってもいられなくなるに違いないぜ。じゃあこれを下さい。


はい、3000円になります。あっはい。じゃあTシャツの袋やぶりますねー。あ(ビリビリビリ)っはい。片方のTシャツの端持ってくださーい。ぁっはあぃ。ピンと張られたTシャツの表面にサインをすらすらと入れる中西選手。ええー! 表面にいれたらもう外に着てけないじゃん。インナーとしても仕様不可に。ぐふう参った。写真どうしますか? へ? ああなるほど、もちろんお願いします。じゃ撮りまーす。カシャッ


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カメラ用の笑顔そのままに、中西選手に握手をしてもらいながら、如何に中西選手がチャンピオンになってくれる日を待っていたかと感謝の意を告げる。どこかに必ずいる中西選手のファンの思いを代弁した格好だが、最近は取り敢えずこのように人が喜ぶようなことしか言わなくなった(もういい歳なんだね)。まあしかし、中西選手の手の厚さといったらない。おいらの足のサイズ及び厚さをはるかに凌駕している。これでチョップやビンタされた日にはあーた、どうなりますか。たまったものじゃありませんね。っと、人はどでかい手を見ると大興奮するのはなんでだろう。@御相撲さんと同じく


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さておき、それからは先に説明済みのJr.リーグの公式戦で盛り上がり、とうとうメインイベントの現チャンピオン組 vs 前チャンピオン組の8人タッグマッチ。地方ながら中西選手はちゃんとベルトを巻いて出てきてくれた。このためだけに来たようなものだからな。是非、上層部の意向などはね除けて、次シリーズもチャンピオンでいて欲しいものである。


メインイベントの内容は、終始ライガーが周囲の世話をやいて、試合が盛り上がるように努力していたのが印象的なだけであった。ライガーはマスクに全身タイツだからあまり歳を感じさせないが、じつはもう凄いロートルで、リングに上がっているのが嘘のような選手だ。がしかし、ロートルにはロートルの役割がある。よし、「次誰行け」だの、「次こうしろ」だの、会場の盛り上がり具合を敏感に察知して、選手に指示を出していく。これほど近くで観戦したことがなかったから(しかも静か)、リング内で選手自身がこれだけ指示出していたのかとかなり楽しめたなあ。ましかし試合は微塵も面白くなかった。前チャンピオンの棚橋の悪いところは、観客数で技のキレや躍動感が増減することだ。いつも全力でやれとは言わない。ただ普段の練習の成果を示してくれということだ。それがプロというものじゃないか。


おいらの不満はだ、ようするところ君らまったく技を出してないじゃないかという不満である。試合早々相手をロープにふって、走ったり転がったり、チョップだビンタだ、パンチだキックだ、ハンマーおろしたり、鉄柵にほおってみたり、君ら何一つ技出してないじゃないか。君らあれだよ? 君らが今日見せてくれた試合の流れをファイプロで再現しようと思ったら、ゲームの基本である選手同士が組むというシステムすら使えないよ? 地方巡業なんだからさ、何時も練習で披露していることを見せてくれればそれだけでいいんだよ。君らもう練習の方向性自体が間違っているんじゃないか。佐々木健介同様ベンチプレスばかりやっているのじゃないか。プロレスの基本はプロの技の披露だよ。素人には真似のできない技を見せてこそなんぼではないかい。おいらはこの日暇だったから技数数えていたけどね、プロレス的な技の披露は10もなかったよ、10も(因みにこの技数の話しにJr選手は含まれていません)。


笑いを見にいったら、ライブの時間中にどれだけの数のボケが盛り込まれていたかが重要なように、プロレスの観戦にいったら、試合中にどれだけのプロの技が盛り込まれているのかこそが重要なんじゃないか。おいらは、飯伏といった伸びそうなJr選手の才能に興奮しながらも、ヘビー級の散々たる様相に終始落胆していたのだった。そらだれもプロレスを見なくもなるよと。そしたらどうです? メインイベント中、試合にはまったく参加していなかったライガーがちょこっと参戦権利を得てリング内に入り、すでに俯せにお膳立てされた相手選手を受け取って、出しましたよ、昔からの定番連携、ロメロスペシャルからの変形カベルナリアをっ!


と言う風にだ、技を披露してくれないといかんわ、プロレスは。ロメロスペシャルは小学2年のときにロビンマスクがおいらに教えてくれたわけだが、あれはかけるのも難しいが、そもそも受けるのも難しい。素人は受けることすらできない技なのである。ライガーのその技披露は完全に試合の流れから浮いていたが、それこそプロレスの最後の灯火であった。プロレスの魅力は技の完成度の高さしかない。誰にも負けない突出した熟練度こそが人を魅了するのである。前チャンピオンの棚橋の悪いところといえば、地方巡業でも使えるような人を魅了する技がないことだろう。つまり必殺技以外でどれだけ人を惹きつけられるかが勝負なのだ。


棚橋選手が目標にしていた武藤敬司を見てみれば、武藤は若い頃には非常に高い打点のローリングソバットをくりだしていた。ヘビー級選手としては考えられない身のこなしで圧倒されたものだ。序盤に繰り出されるエルボーなども見栄えがするものばかりで、非常にプロレスの流れを把握していた。プロレスの要は地方巡業であるから、多くの地方ファンは団体トップ選手をタッグマッチでしか見ることができない。つまりタッグマッチというスパーリングのような戦いのなかで、如何に短時間で観客を魅了することができるのかが、トップ選手には求められているのである。棚橋にはその視点がまったくないに違いない。普通人気選手はすぐには出てこない。焦らして焦らして、やっと出てきたら、待ってましたと見事な一連の完成された技の披露。これが基本。この日の棚橋選手はなにやっていたのかといえば、チョップやチョップやチョップやチョップ。そして永田が出てきて、キックに張り手、キックに張り手。いやいやいやいや、それはないから。なにがしなにがし


とまあ長く書いてきたけど、ここらへんはファンを止める前から思っていたことで、別に今回プロレスを生観戦しなくたって書けるようなことでしかない。人は一度考えを形成してしまうとそれを大上段に押し上げて、更新することをしなくなる。変わらないものなんてないのだから、どんな考えも数年も経てば古くなるというもの。技を出せなんてことは10年前のおいらも言っていたのだから、今も言っていたらばお笑い種というものだ。


今回おいらが新たに感じずにはいられなかったのは、メインイベントが終わってからのことである。メインイベントは、前チャンピオン組の勝利に終わり、棚橋選手が最後の締め台詞を例の如く「栃木県のみなさん、愛してまーす!!」とリングの中心で叫んで、幕を閉じた。おいらはと言えば、始めての棚橋選手の愛していますを聞いて、そりゃあもう揶揄していたと書くほかないような、状況になっていた。なにが愛しているだよと。愛を伝えたいのなら、それは試合中に伝えてくれよ。ブレーンバスターやバックドロップに置き換えて愛を示してくれよ。それがプロじゃないのか。試合終了後に言葉で手渡されてもプロレスファンはそんなもん、会場にまるめて捨てて帰るよ。言葉が欲しくてプロレスファンになったわけじゃないだろう。


いうなれば、「言ってくれなければ分かるわけないじゃない」的な発言をする子と同程度にしか観客が認識されていないのではないか。ダメだねこれはと同行者と席を立たずにその日の感想を交わしいたときであった。棚橋選手が愛を叫んだあとに、コーナーポストによじ登ってポージングを決め始めたのである。ファンも真下に集まってある種の撮影会のような様相になった。おいららといえば、それは尻目に眺めていただけであったが、棚橋は一礼しポストを降りるとまた隣のポストに登ってポージングを決め始めたのである。


おいらはおやと思うのである。棚橋選手の動向を目で追っていたら、結果的に彼は四方のコーナーすべてに登って、ファンに撮影する機会をあげ、そして一礼してリングを後にした。なるほど、これは人間が出来てなければなかなかできない行いである。地方の数百名しか入っていないような会場で四方に頭を下げるようなプロレスラーがいままでいただろうか。弱小団体にならいるかもしれない。でもおいらがファンをやっていた当時四方に頭を下げているメジャーの選手を見た記憶がない。あっても一礼か二礼であった。おいらはレスラーの礼を目にする度に四方にしなければ意味がないよと注意していたものである。大会場も地方も同じなのだから。いやさプロレスは地方のほうが大事なのだから。


おいらが感心しながら尚、棚橋選手を見ていたら、彼はリングを降りた後も控え室に戻るわけでもなく、今度は鉄柵越しにファンと交流を持ち始めたのである。ファンと言葉を交わし、すべての握手の求めに応じ、一人一人の撮影の求めに応じ、鉄柵の周囲を時間をかけて、それこそトム・クルーズばりの牛歩で周り始めたのである。そっそんな馬鹿なことが!!


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レスラーたるもの試合を終えたら、そらあもう汗だくでぐちょぐちょである。控え室に直行したいのが本当だろう。それがリング内で四方のコーナーに登り、その後もファンと交流の時間を持つなんて、昔のプロレスラーではあり得ないことである。棚橋選手のこのファンへの献身振りはなんだ。おいらは近づいていってこの珍事を一層の至近距離で目撃せねばの思いで席を立った。ファンと棚橋選手との交流の様子を後ろから眺めていたら、そこにはとても暖かな時間が流れていたのである。小さな娘からの熱烈なラブコールに応える棚橋選手や、ポーズを強請られて、はにかみながらポーズを決める棚橋選手。そこには選手とファンの対話が確かに存在したのである。


おいらは選手とファンの対話は、試合を見てするものだと思っていた。試合を見ればその対象の選手の声が届いたのである。しかし、どうやらそのような考えはもう古いのではないかということに気付かされる。常に新しくあることは大事である。誰もやってこなかったことを始めて、批判されても継続することは重要なことである。おいらからホスト体質と揶揄されてきた棚橋選手のこの過剰サービスも、直接目にすれば軽い気持ちで行われていないことが実感できる。おいらは棚橋選手を支持できないが、彼の行いは誰の試みよりもプロレスの明日に繋がるかもしれないと思うのである。棚橋よ、この過剰サービスは間違いじゃないと思う。続けたらいい。だが、この過剰サービスの何倍も努力して試合スキルを極めてみせろよ。古いファンは試合でしか物を判断しないからな。人がTVで見て唸るような試合をしろ。その時も尚、同じようなサービス精神が、いやさ君がいう「愛」が、まだ地方の片田舎でも実践されていたとするなら、それこそプロレスは復活の兆しを見せ始めるかもしれない。


おいらは思いついた。この流れなら可能かもしれないと。居残っているファンは握手や写真を求めているだけであったが、おいらは棚橋選手のこのサービス精神の高さならしてくれるだろうという確信があった。過去のどんなレスラーもやってこなかったであろう行いである。


すいません、サインお願いします。(パンフレットを差し出す)


いっすよー


これからも愛し続けてください(握手)


はい!! 愛し続けますッ!!


どんな会話やねん。ともあれ、棚橋選手はやはり快くサインのお願いを快諾してくれたのであった。トップ選手がメインイベントの直後にリング下に残ってサインを書くなんてことはあり得ないだろう。おいらは始めて目の当たりしたよ。驚きである。(つづく)