1つ前の日記のつづき。(文字制限にひっかかったので) | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

既に一歩一歩が致命傷。ならば、致命傷の数を減らすが賢明。おいらは少しでも足を前に進めることにする。ぐうぉぉぉぉぉぉl、いけけぇぇぇっぇぇ


徒歩的なものから早足のような動きに変化し(人からどう見えてるかは知らないが)、無理し続けた足もとうとう40㎞地点が視認できるレベルまできたところで限界に達する。40㎞地点を目前にしながら、もう一歩だって動きやしない。動きやしないんだよ。重税に重税を重ねられて、もう米一粒も残っていやしませんぜと悪代官にしがみつく、農夫のような心情である。と同時においらは動かなくなった足に余幅を生むべく悪代官の役まで演じる。まだお主らは声をはっしているではないか。涙を流しているではないか。生きている以上なにかくを食っているのであろう。それを出さぬか。激痛を伴う屈伸と柔軟を繰り返していた。腕時計に目をやれば 4時間909秒”。たかだが5㎞に45分もかけてしまった。ああでもあとちょっと。途中精神壊れかけたがこの長い道のりもあと少し。辿り着けたじゃないか。嗚呼、やればできるものだな。あと2.195㎞。フフフ。お調子者め。完走が見えた途端に体内に気が回復してきやがった。まあ2.195㎞くらいなら蟹歩きや後ろ歩きを駆使したってゴールしてみせるけどね。はあしかし足首関節まったく自分の意思で動かなくなっているんだけど、これ大丈夫なのかね。はあ、とりあえず休み休み行けばなんとか、、・・・・・。・・・・・なんだよ、・・・・・なんなんだよ、ここまで来てなんでこんな不愉快な気分になる。おいらまたなにか見落としているのか?なんだろう、なにに気付いた?・・・・・・・・そうか、4時間30分に間に合うんじゃないかという未練か。時計を見やる。“4時間1138秒”むむむむむ、、ええ??


40㎞地点到達。“4時間1257秒”(つまり35~40㎞ー4630秒)


自然と足が前に出ていた。走ることはできない。ただ足を前に出すことはできる。股関節は関節の機能をなくし胴体と右足は直立の棒のようだ。左足を前に出した勢いを使って右も振り出すような感覚。そして、その頼りの左足は足首が骨に神経がからみつき、接地するたびに足首にピンポイントでローキックをくらっているかのよう。そして皮がベロベロのズルズルになってしまった両の足の裏は、脳天を突き破るほどの痛みが走る。


気付き足を前に動かし出したおいら。40㎞1257秒。あと2.195㎞を173秒でゴールすればいい計算だ。“㎞8分×2”。先の区間は㎞9分以上かかったけれど、これが最後と思えば、なに、足の一つや二つ動かしてみせる。走るどころかまともなに歩くこともできないけど、人間立ち止まらないかぎり㎞8分ぐらいで進んでいられるはずだ。厳しかった。この2.195㎞のための余力など露とて残っていないのだ。今になって30分までに間に合わせたいなどと夢見ても、無理なものは無理だ。それでも必死の2.195㎞、おいらが立ち止まることをせず、ただひたすら進むことができた。それはゴール目前の沿道の歓声。いっきに増えるギャラリーの数。それらの外部の要素が、自力を絞り尽くしたおいらの背中を押してくれたことは間違いない。


ゴール(42.195㎞)“4時間28**秒”(つまり40~42.195㎞ー15**秒)


たまのブログ

昇天。4時間30分に間に合った。はあはぁ、ありがとう。天を仰ぐ。昨年の荒川時も辛い辛いと書いたけど、ゴールして立ち止まるや脚部の披露は不思議にすぅーと消えたというような描写の仕方をした。が、はっきり言おう。今回に限っては、ゴールからが地獄であったと。ゴールするという目的を失ったおいらの足はゴール後、びた一文だって動いちゃくれなくなったのだ。兎に角、テント小屋のほうに移動しなければ帰ることができない(因みに救護所に行くとかいう選択肢はおいらの中には存在しません)。自分の中で痛みを我慢して足を無理にでも動かす動機付けを再構築して、足を引きずりテント小屋のほうへ。昨年と違ってゴール後も痛みがまったく消えない。自分の荷物を受け取り、着替えのテントへ。問題はベロベロのズルズルになった両の足の裏である。スニーカーを脱ぎ捨て、靴下を脱ぐときの恐怖。いったい、おいらの足の裏はどうなっているのか? そろそろ・・・・・・。ははは、ふぁぁはああはぁあ。なんともなっちゃいないじゃないか。おいらの足の裏の皮はまったく向けてないじゃないか。ははは、なんだ、ははは、なんなんだよ。


不思議なものだ。あれほど足の裏がズルズルになっている映像を脳で視覚化して認識してきたのに、なぜに。人間とは大袈裟なものなのか。しかし、


結局この後は、予定通り渋谷に出て、ル・シネマとシアターN渋谷を梯子した。両映画館の場所を知っている人にしか分かってもらえないだろうけど、おいらはこの渋谷の梯子で本当に涙をながさんばかりに絶望した。渋谷の喧騒、ゴールしてから時間がたち、ますます固まって痛みを増した脚部、そして歩道橋! 日常普通に歩いている街をまともに歩くこともできない。15分で梯子できるところが、1時間以上はゆうにかかってしまった(予定の上映回を1回飛ばす)。この時のこころぼそさといったらなかったなあ。マラソン大会で必死の形相で足引き摺っていても、誰がどう見ても理由を理解してもらえるわけで。下手したら手をさしのべてもらえる。しかし、渋谷で同じく必死の形相をしていても、誰も理由を理解せず変な人と思う以外に道がない。目前を溝に落ちた子犬のように汚れたホームレスのお爺ちゃんが、カーゴに荷物をたくさん載せて、本当に進んでいるのかいないのか分からないような速度で文化村のほうへ進んでいく。おいらは彼の背中を見つめながら、抜くどころか離されていることを自覚していた。おいらはなにか分かった気がしたんだ。(おわり)


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人生初の20㎞走。(前編)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=552869097&owner_id=1064357

人生初の20㎞走。(後編)

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初ハーフマラソン体験記(前編)「第2回那須塩原ハーフマラソン」

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初ハーフマラソン体験記(後編)

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初フルマラソン体験記(前編)「河口湖日刊スポーツマラソン」

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初フルマラソン体験記(後編)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=743795006&owner_id=1064357&org_id=742783332

初フルマラソン体験記(後日談)

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東京・荒川市民マラソン in ITABASHI(挑戦動機)

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東京・荒川市民マラソン in ITABASHI(本番当日・前編)

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東京・荒川市民マラソン in ITABASHI(本番当日・後編)

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3回那須塩原ハーフマラソン 

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帰ってきた東京荒川市民マラソン 

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帰ってきた東京荒川市民マラソン 

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帰ってきた東京荒川市民マラソン 

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帰ってきた東京荒川市民マラソン 

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