社会規範からの完全な自由~瞑想の可能性を考える~ | 細胞アーティストOumaのアート活動記録

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今日はアウトサイダー・アートのお話のつづきから。

前回のお話はこちら▼
生の芸術~社会の規範の中で規範に囚われない芸術の姿~
http://ameblo.jp/tama-ouma/entry-11849040662.html

アウトサイダー・アートの価値を社会に最初に
訴えた大きな芸術活動は、ドイツ表現主義だといえます。

しかし、彼らは作品について言及するわけではなく、
アウトサイドという在り方や理念のみを重要視していました。

次の賞賛の波はシュルレアリスム(超現実主義)の
芸術家たちによってもたらされることになりました。

詩人アンドレ・ブルトンをリーダーとするこの運動は
文学から美術の分野へと展開を見せます。

ブルトンは大学で医学を学んでおり、
第一次世界大戦時には精神科の医療助手として
戦時のショックで精神に障害をきたした
患者たちと接触する機会をもちました。

シュルレアリストたちは、
思考の速度を超える速さで文字を書き留める
自動筆記や夢の研究に熱心に取り組みます。

それによって、人間の心の奥に潜む無意識を
探ることができると信じていました。

理屈の合わない夢の中のような非合理な状態こそが、
想像の羽をはばたかせ、既成概念を打ち破れる、
それこそが新しい芸術の可能性だと彼らは
信じていたんですね^^^

精神障害者の錯乱状態や薬物によるトランス状態が
もたらす擬似的な「狂気」は
社会の規範からの完全な自由を意味していました。

精神障害=非合理性の代名詞として、
シュルレアリスムが目指す道を見ていた、
ということはつまり、シュルレアリストたちにとって、
アウトサイダー・アートは賞賛などではなく、
彼らの目指す目標だったのです。

しかしながら、彼らにとって精神障害とは現実ではなく、
彼らにとっての狂気とは、理想主義に過ぎませんでした。

シュルレアリスムの詩人、アルトナン・アルトーが
精神異常の兆候を見せた時、ブルトンらは
それを賞賛するのではなく、アルトーと距離を
置くことを選びました。

理念として精神障害を「創造の自由」と賞賛していても、
精神障害の現実に向き合うつもりはなかったようです。

彼らはアウトサイダー・アートと自分たちの
展覧会に展示することで、「自分たちの作品」が
創作活動として最も自由な状態にあるのだ、
と誇示しようとしたのです。

アウトサイダー・アートを社会に認めさせるのではなく、
自分たちの芸術性を示すツールとして
アウトサイダー・アートを評価していたんですね。

この後、戦後になって、
アウトサイダー・アートの作品自体を
「価値」だと人々に示した人、
デュビュッフェが現れます。

さて、この薬物によるトランス状態と聞くと、
私は『深い瞑想』を思い出します。

瞑想の達人になると、薬物を使った時のような脳の状態になる、
なんて話も聞きます。

参考記事:
医療の発展により失敗という観念が植え付けられた『死』について
http://ameblo.jp/tama-ouma/entry-11795868311.html

もし、ダライ・ラマみたいな瞑想の達人が
瞑想状態のまま絵を描いたら、
どんなものができるのでしょう?

達人クラスの瞑想というのが、
どんなものかわかりませんが、
深い瞑想に入った時の気持ちをご存知の方は、
教えていただけると嬉しいです^^

参考文献は引き続きこちらでした!
アウトサイダー・アート 現代美術が忘れた「芸術」 服部正 (光文社新書)

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