田園葬 | Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』

田園葬



Тамаこと、玉田です。

生きてます。


今月、大学時代の友人達に誘われ、

群馬県板倉町を、
訪問してきた。


…大学時代、この町にある、

東洋大学・板倉キャンパスに、
最初の1年間だけ通っていたのだが、

その翌年度から、所属学科が、
東京の本部キャンパスに近接する、
新設キャンパスに、移転となり、
(※現在は本部キャンパスに統合)

以降も、板倉キャンパスには、
一部の学部が所在してきたが、

今年度、今月をもって、
全学部、他キャンパスへ移転し、
廃校になるとのことで、

最後に行かないか?と、
大学時代の友人達が、誘ってくれた。


…当初、私は、もう、
人生を生き終えており、

残り僅かの余命を、ひっそりと、
過ごしているということもあって、

あまりノリ気ではなかった。


しかしながら…

そんな、生き終えた、
この、現在の人生は、

…故郷・友人・家族、自分自身さえも、
何もかも、全てを、失った、
凄惨な、高校時代の、(第一次)転落人生から、

大学時代の始まりと共に、
この、板倉で、解放され、

その後、遠距離通学をしていた大学の、
近隣地域へ、家出をしての、

さらに、所属学科のキャンパス移転に伴い、
後に上京もして、各地を転々としての、

大学に通いながら、
生活費や家賃や学費のための、
アルバイトもしながらの、

孤独で壮絶な、人生再起劇の果て、

人生再起を成し遂げ、
新たな地に移住・定住し、

新たな自分自身として、
新たに、スタートした。


…板倉は、この、
再起後の人生にとって、

前史である、人生再起劇の、

さらに前史である、
第一次転落人生から解放された、

“全てが始まった地”…


…なので、最後に、

全てが始まった地を、
訪れてみてもいいかな…と、

激動の時代を共に過ごした、
大学時代の友人達が一緒なら、
なおさら、そう思い、

誘いに乗ることにしたのであった。


また、個人的に、一人で、

当時、人生再起のため、家出をして、
秋から半年間、滞在していた、大学の近くの町、

埼玉県宮代町も、
その道中に、訪問し、

その当時、生活費や家賃や学費を稼ぐため、
大学に通いながら、働いていた、
アルバイト先があった、大学の近くの街、

栃木県栃木市に、
その日の夜は、宿泊し、

ちょうど、翌日も仕事が休みであり、
せっかく、遠出する機会に恵まれたため、
近くの温泉地、

湯西川温泉に、
帰りに立ち寄り、保養もしてきた。


まずは、板倉へ向かう道中、

大学1年生の秋から、
人生再起のため、家出をして、
半年間、滞在していた、

孤独で、壮絶な、
人生再起劇が、幕を開けた地、

埼玉県宮代町を、訪問--


東京からは、新幹線や長距離列車で、
遥々と、埼玉県の最大都市、大宮へ行き、

東北線に乗り換え、
栃木県との県境の町、栗橋へ行き、

日光鬼怒川線に乗り換え、
板倉とは逆の春日部方面へ向かい、

宮代に、到着。


栃木県に近接する、埼玉県北東部の、
長閑な田園風景が広がる、田舎町で、

通学先の板倉まで、快速列車(※現在は廃止)で、
1駅で行くことができたため、家出先に選び、

当時は、快速停車駅があるだけあって、
昔ながらの街並みではあるものの、
市街地は栄えており、

生活に必要な店は、少ないながらも、
揃っている町であった。


ところが…

久々に訪れた宮代の町は、

駅前にあった、
コンビニも、ネットカフェも、

当時の滞在先のアパートの近くにあった、
スーパーも、コインランドリーも、

想い出の、弁当屋も、銭湯も、
全て、閉店しており、

駅前通りに建ち並ぶ、昔ながらの商店は、
軒並み、シャッターが下りているか、
空家や更地になっており、

残っていたのは、市街地から離れた郊外にある、
郊外型のホームセンターとファミレスだけで、

何もなくなった町には、
遠方へ買い出しに行くためであろうか、

(当時から車社会の田舎町ではあったが、)
当時よりも明らかに、車通りが増えており、

狭い田舎道を、次々と車が行き交い、
常時、車を気にしながら、散策しなくてはならず…

…せっかく、想い入れ深い町への、
再訪を、果たしたのに、

感傷に浸るどころではなかった…


一方で、新たにドラッグストアが開店していたり、
駅裏(西口)の再開発がなされていたりと、
新たな町の発展の様子も窺えたものの…

…いずれにしても、なんだか、

もう、あの当時の宮代は、
ここには無いような、

虚しさを感じてしまった。


しかしながら…

当時の、一番の想い出である、

遥か遠く離れた、(故郷も田舎であったが、)
故郷以上に田舎である、見知らぬ町へ、
家出をし、孤独な人生再起劇が始まり、

とてつもなく不安であった当時、

ボリューム満点の、
手作り感と昔懐かしさを感じさせる弁当で、
お腹も心も満たしてくれた、

ローカルチェーンの弁当屋、
『日本亭』が、

駅裏と駅前通りの2店舗とも、
閉店していた代わりに、

表通りから離れた場所に、
新店舗が開店していたため、

当時に、よく食べていた、
弁当を、購入し、

その日の深夜、宿泊先で、夕食として、
購入から12時間が経ち、冷めきっていた弁当を、
ラウンジの電子レンジで温め直して、食べると…

(※私は管理に慣れており、自己責任で食べたが、
本来は消費期限切れなので、非推奨)

…当時と変わらない味で、

宮代で、不安を抱えながらも、
人生再起のため、孤独に闘っていた、
あの日々の、記憶が甦り、

感傷に浸りながら、弁当を食べ、

日本亭の弁当だけは、裏切ることなく、

こうして、15年後も、
お腹も心も、満たしてくれた。


続いて、今回のメインイベント、

大学時代の友人達と、
群馬県板倉町を、訪問--


(私が住んでいる東京・東北部の、)
近隣地域(千葉県)に住んでおり、
現在でも、よく連絡をくれる、
当時は板倉で下宿もしていた友人が、主催し、

もう1名、板倉に隣接する栃木県の、
宇都宮に住んでいる友人も、参加し、

板倉で、再会。


…宮代では、町の変化に、
ショックを受けてしまっていたが、

板倉は、何も変わっておらず、ひと安心。

…板倉は、広大な田園風景だけが、
ただただ果てしなく、
一面に広がっているだけの町なので、

変わりようがない…


そして、みんなで、かつて通っていた、
板倉キャンパスを、見学。

所属学科のキャンパス移転以来、
15年振りに訪れたが、

キャンパス内の様子は、全く変わらず、

授業、サークル、大学祭、
昼休みや放課後のことまで…

当時の記憶が、次から次へと甦り、

大学生活の4年間のうち、
1年間しか通っていなかったのに、

3年間も通った東京のキャンパスよりも、
想い出も、想い入れも、深くて、

想い出話に、花が咲いた。


別れ際、友人達に、私は、
残り僅かの余命を過ごしているため、

『もう生きて会えるのも最後かもしれないな』
…と、言うと、

『そんなこと言わないでくださいよ』、
『また会いましょう』と、言ってくれて、

もう、その御言葉だけで、充分で…


…16年前、大学入学当時、

高校時代の凄惨な転落人生の影響で、
第5志望の大学という受験結果となったため、
学歴コンプレックスを抱いていたり、
周囲に不信感を抱き、警戒していたうえ、

ただでさえ、派手な風貌と、
独特な世界観やライフスタイルで、
強烈な個性を放っていた私と、

この板倉キャンパスで出会った、
非常に多くの人々が、友達になってくれて、

学外では、孤独で壮絶な人生再起劇に見舞われ、
人生再起後も波瀾万丈が続いていったなか、

この板倉キャンパスでも、キャンパス移転後も、
共に学習・研究し、共に教養・知性を培い、
楽しい大学生活を、共に過ごしてくれて、

卒業後も、最期まで、
生涯で最も長い期間、
生き様を見送ってくれた、

大学時代の友人達には、改めて、
(今回に再会した友人達以外も含め、)

心から、この上ない、
感謝を、申し上げたい。


夕方、友人達と別れ、
栃木県栃木市へ--

板倉からは、日光鬼怒川線で、
さらに先へ進み、4駅。

由緒ある古風な街並みと、
夜の暗さと冬の肌寒さが、

宮代に滞在していた当時、肌寒い季節に、
放課後の夜、栃木のアルバイト先で働き、
勤労学生として、苦労した日々の、記憶を甦らせ、

感傷に浸りながら、宿泊先へ向かい、

この日の夜は、栃木駅の近くの、
ユースホステル(簡易宿泊所)に、宿泊した。


翌日は、せっかく、
鬼怒川温泉の近くまで来たので、

帰りに、温泉に立ち寄り、
保養をすることに。


しかしながら…

私は、もう、人生を生き終えており、

陽の当たるような場所には、
姿を現すことができないので…

…多くの観光客で賑わう有名温泉地の、
鬼怒川温泉ではなく、

鬼怒川温泉の“奥座敷”と言われている、
川治温泉…でもなく、

さらに奥にある、
“秘湯”と言われている、

『湯西川温泉』に、
ひっそりと、立ち寄ってきた--

(本当は、さらに最奥地にある、
中三依温泉に行きたかったのだが、
秘境すぎて、冬は営業していなかった。)


栃木駅から、日光鬼怒川線で、さらに奥へ。

同じ路線とはいえ、
長距離列車で、約2時間…

…予想通り、いや、予想以上に、

乗客は、多くが、鬼怒川温泉で、
一部が、川治湯元で、下車し、

湯西川温泉で下車したのは、
私を含め、僅か2名のみで、

残りは、終点の、
会津高原尾瀬口(福島県)まで、
行くようであった。


駅に併設している、日帰り温泉へ行くと、

さすが、奥座敷の、さらに奥の、秘湯…

…まさかの、誰も居らず、貸切状態で、

一人きりで、のびのびと、
誰もいない、露天風呂で、

雪山と湖の美しい景色を眺めながら、
澄んだ綺麗な空気に包まれながら、
天然温泉に入浴し、

とても心地よかった。


遠出をしたのは、約2年振りで、

その後、大怪我をして、
足に後遺症を抱えてきたため、

少し不安もあったのだが、
特に問題はなく、

良いリハビリにもなった。


…かつては、こうして、
鉄道で旅をするのが、趣味であったが、

思い返せば、
鉄道や旅に興味が湧いたのも、

大学の所属学科が、
国際観光学科であった影響であり、

…その他、長年、
音楽活動を行なっていたが、

それまでもやっていたバンド活動を、
新たなバンドを結成し、本格的に始めたのも、
大学進学と共にであり、

人生再起後、移住した地域で、
政治活動も行なってきたが、

政治的な思想・哲学や運動と出会ったのも、
(キャンパス移転後ではあったが、)
大学時代であり、

仕事も、前職までは、大学時代のアルバイト経験、
現在の仕事は、大学時代の人生再起の経験を、
活かした仕事に従事してきて、

(その後、再びの人生壊滅の危機に、
当時の彼女によって、導かれたことは、さておき…)
恋愛どころではなかった境遇の私に、

初めて彼女ができたのも、
(学外ではあったが、)大学時代であり、

私の全ては、大学時代と共に、
板倉で、始まった。


そんな、全てが始まった板倉で、
最初に見た景色を、

こうして、全てが終わった今、
最後に見ることができて…

…安らかに、眠れそうだ。


板倉で大学時代を共に過ごした、
当時の全ての関係者の皆様方に、

末永い御健康と御多幸を、
心より御祈り申し上げたい。




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