ソルミョンジョル | Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』

ソルミョンジョル



1年前と同じく、今回の年末年始も、
年末年始に仕事等であったうえ、

年始の1週間後から、当初は5日前までの予定で、
新型コロナウイルス感染再々拡大に伴う、
2回目の緊急事態宣言が発令され、

その後、深刻な感染症流行は、落ち着くことはなく、
緊急事態宣言は解除されず、1ヶ月間の延長となり、
現在も、発令が続いており、

元日から1ヶ月半近くも、
遅くなってしまったが…

あけましておめでとうございます。


正月から約1ヶ月半もが経ったものの、
実は、今日は、ちょうど、

中国や台湾をはじめ、
朝鮮・韓国、ベトナム、モンゴル、
日本でも沖縄の一部では、

旧暦で祝われている正月、
『旧正月』であり、

朝鮮においては、朝鮮民主主義人民共和国では、
『ソルミョンジョル』として、祝日、
大韓民国では、『ソルラル』として、連休であり、

荒川区は、在日朝鮮人の方々が多く居られ、
朝鮮学校があったり、韓国の済州市とも友好都市で、

荒川区民として、今年は、
朝鮮の旧正月に、休暇を取得し、

(元々、混雑は避ける傾向にあったが、)
今回は、新型コロナウイルス感染症流行情勢下、

日本では普通の平日なので、昼間の初詣等において、
感染防止のため、混雑を避けられるということもあり、

正月休みの振替気分で、
毎年恒例の正月行事を行おうと、

思っていたのだが…


…前述の通り、緊急事態宣言が、
解除されず、延長となっており、

深刻な新型コロナウイルス感染症流行情勢下、
不要不急の外出は自粛が呼びかけられているため、

せっかく休暇を取得したのに、残念ではあるが、
今日は軽く大掃除をするのみで、
毎年恒例の正月行事は、延期することとして、

(※昨年からの、お正月の過ごし方については、
昨年の年始、2020年1月12日のブログ記事を、

それ以前に毎年恒例であった、
お正月の過ごし方については、
2019年1月2日をはじめ、
各年の年始のブログ記事を御参照。)

前回の年末年始と同じく、
年末にブログを更新しなかったため、
年末の総括&年越しエピソードと、

元日から1ヶ月半近くもが経っているため、
ちょっとした近況報告も併せて、

先に、年始の御挨拶だけ--


まずは、昨年の総括から--

昨年、2020年は、

既に、何もかも全てを失った、
凄惨な(第一次)転落人生からの、
壮絶な人生再起劇の果て、

最終的に辿り着き、移住・定住した、荒川区にて、
人生再起後も、波瀾万丈が続き、
紆余曲折しながらも、苦悩を抱えながらも、
築き上げていった、この再起後の人生も、

その後、再びの人生壊滅の危機に追い込まれるも、
(『第二次転落人生』)
再起後の人生を護る、過酷な闘いに勝利した果て、

『新体制』として、改めて再スタートし、
苦労が祟り、途中からは、不治の病を抱えながらも、
新体制下で、建設と前進を続け、

第一次・第二次転落人生共に、凄惨な過去の清算から、
かねてからの悲願や、新たな未来の夢まで、
何もかも全ての、完全なる終結をも、
生きて果たせ、もう思い残すこともなくなり、

人生再起8周年を迎えた、
前々年の後半(2018年7月)からは、
“余生”に突入し、

人生再起9周年を迎えた、
前年の後半(2019年7月)には、
余生すらも、生き終え、

残すは、“身辺整理”のみとなり、

前年(2019年)中には、
人生再起(2010年7月)以前の全ての過去に関係する、
全ての身辺整理を完了させており、

前半は、身辺整理の続き、
そして、ラストスパートといった感じで、

仕事等の傍ら行なってきた、
音楽活動や政治活動等は、
頻度や規模は半減に半減を重ねつつも、
身辺整理突入後も、引き続き、行い、

音楽活動では、前年に放送終了した、
インターネットラジオでの、
冠音楽トークバラエティー番組の、
1日限定復活特番の放送や、

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、
無観客ライヴの、インターネット配信による、
ディレイ・ビューイングにはなってしまったが、
ソロデビュー6周年ライヴを行い、

初の試み、ライヴ終了後の、“握手会”も、
“オンライン飲み会”にはなってしまったが、
ファンやリスナーの皆様との交流の機会となり、

音楽活動において、もう楽曲は、
最後にリリースしたアルバムCDをもって、
全て創り切ったと、宣言してから、
約2年振りに、奇跡的に出来た新曲も、
そのライヴにて、披露させていただき、

(ちなみに、その無観客ライヴの、
ディレイ・ビューイングは、動画サイトにて、
期間限定で配信の予定であったが、

新型コロナウイルス感染症流行情勢が続き、
外出自粛の傾向が続いたことを鑑みて、
皆様に御自宅で御楽しみいただけるよう、

告知なしで、公開期間を延長してきたのだが、

新型コロナウイルス感染症流行の、
長期化と終息の見通しがつかない情勢を鑑みて、

昨年末頃に、公式に、配信期間の限定を解除とし、
無期限で配信させていただくこととなったので、

まだ、御覧いただいておられない方も、
もう一度、御覧になられたいという方も、
いつでも何度でも、是非とも御視聴を。

◎配信URL
https://www.youtube.com/watch?v=YECATmgv8dk )

政治活動では、荒川区内での、
部落差別問題に関する駅前街頭宣伝、

朝鮮幼稚園無償化除外差別問題や、
日韓関係悪化問題に関する学習会、

新型コロナウイルス感染症流行以降も、
(1回目の)緊急事態宣言が解除され、
感染症流行が少し落ち着いていた時期には、

ちょうど、東京都知事選挙もあり、
感染防止策も講じながらの、
社会民主党(当時)支援候補者の選挙支援など、

引き続き、被差別部落があった歴史があったり、
前述の通り、在日朝鮮人の方々も多い、
荒川区にて、社会民主党(当時)での、
人権運動や選挙支援に、地域密着で取り組み、

そして、身辺整理は、
この再起後の人生10年間の、

所有物の整理から、心の整理までも行い、
安らかな終末に向け、環境も整備し、

最後に、天涯孤独である僕の、
遺産の寄附先や、死後の葬り方の希望等を、
書き連ねた、“遺言書”も作成し、

『自筆証書遺言』として、
法務局に、提出・保管し、

この再起後の人生は、
身辺整理をも、全て完了させ、
何もかも全て、完全なる終結を迎え、

人生再起10周年(2020年7月)をもって、
再起後の人生は、せめてもの悔いなき、
綺麗で円満で平和的で祝賀的な、
一旦の終結の宣言がなされ、

以降は、引き続き、
新体制樹立と共に始まり、続けてきた仕事や、
前職で取得した資格を活かした副業を続けながら、

それらの傍ら行なってきた、
ソロでの音楽活動や、地域での政治活動も、
ひっそりながらも続けながら、

ファンや支持者の皆様、仕事等の関係者の方々、
第二次転落人生から救ってくれた存在、
そして、地域の皆様方と共に、

再起後の人生を共に歩んできた、
この、荒川区(および近隣地域)にて、

それらの地域や人々に、
感謝の恩を返し続けながらの、

安らかな“終末”へと突入し、

後半は、安らかな終末に、
突入したということもあったが、

ちょうど、新型コロナウイルスの感染が、
再び拡大の情勢となったこともあり、

夏の間は、史上初、
特に何もせず、慎ましやかな日々を過ごし、

秋には、新型コロナウイルス感染再拡大が、
再び、少し落ち着いたところで、

それでも、やはり、感染症流行が続いた影響で、
フィルム上映やインターネット生配信といった、
その情勢下で可能な形態での代替イベントにはなったが、

好きなロックバンド等の、
ライヴやコンサート(のようなもの)にも、
久々に、参加(鑑賞・視聴)でき、

毎年、秋には、不幸な出来事が起こるのだが、
昨年も、残念ながら、秋の暮れに、

長年、地域での政治活動を共にしてきた、
社会民主党が、事実上の分裂、
一部を除き、立憲民主党へ合流となり、

色々と考えた結果、社会民主党を離党し、
立憲民主党へ合流もせず、立憲民主党の一部等を、
党外から支援・連帯・共闘していく方針となり、
独自の道を選択することとなったが、

前述の通り、この終末も、引き続き、
ひっそりながらも、変わらず、
地域での政治活動に取り組み続け、

壮絶な人生再起劇の果て、
最終的に辿り着き、居場所となり、

奇しくも、多様な社会的に弱い立場の方々の、
居場所ともなっている、この荒川区が、

後世にとっても、居場所となり、
人権が護られる街であり続けるように、

地域での政治活動に、
取り組み続けていく所存であり、

この再起後の人生と、
(第二次転落人生解放以降、)
それを支えてきた新体制が続く限り、

容態が安定し続けて、
不治の病を抱える体が持つ限り、
長年の壮絶で波瀾万丈な境遇に、
傷だらけになった心が持つ限り、

あれだけの波瀾万丈な生涯であった、
この僕のことなので、

最後まで、僕らしく、
また何かしら劇場的で個性的な結末で、
迎えるであろう最期まで、

この安らかな終末も、
よろしく御願い申し上げたい。


さて、そんな、遺言書の作成をも終え、
身辺整理が全て完了した昨年は、
年末に、締め括りとして、

遺言書の作成の際、
専門的な法律知識の資料として、

遺言執行や遺産相続に特化した法律資格、
『遺言執行士』の、参考書を用いたため、

せっかくの機会なので、その参考書で勉強をし、
その資格の試験を受験し、そして、合格し、

『遺言執行士』の資格を、取得した。

(※遺言書の内容については、2020年7月31日、
自筆証書遺言の法務局への提出・保管については、
2020年9月30日の、各ブログ記事を御参照。)

試験内容は、
『民法』(遺言と相続に関するもの)、
『遺言執行』、『相続税』と、

遺言執行や遺産相続に特化されており、
出題の範囲は狭いものの、

試験の難易度が高い資格であり、
知識や教養の高い、崇高な肩書きでもある、
弁護士・司法書士・行政書士と同様、
法律資格ということもあり、なかなか難しかったが、

残念ながら、僕は、逆に、
遺言執行士等に、遺言を執行される側なので、
僕が遺言執行士として、資格を使う機会はないものの、

遺言書作成の際は、遺言書の書き方や様式をメインに、
参考書の一部を、少し参考にしただけであったため、
相続に関する法律で、疑問が残った点もあったのだが、

参考書の内容を、全て勉強してみたら、
疑問が残っていた点も解決して、ひと安心し、

遺言執行や遺産相続に関することのみと、
担当できる範囲は狭く、
国家資格ではなく民間資格なので、
担当できる行為も限られている資格ではあるが、

大学時代から、様々な資格を取得してきたものの、
以前から憧れであった資格のうち、
法律資格だけは、保有していなかったので、

試験難易度や知識や教養の高い、
崇高な資格や肩書きでもある、弁護士等と、
一応は同じである、法律資格を、
取得することができ、とても嬉しく、

遺言書の作成をも終え、身辺整理が全て完了した、
昨年の年末の締め括りに、相応しかった。


そして、昨年も、大晦日は、
前述の通り、年末年始も仕事等で、
翌朝に新年の元旦もなかったため、

年越し蕎麦は、正月の餅も兼ねて、
両方同時に食べるため、

少し早かったが、混雑を避けるため、
(一般的な)仕事納め前の最後の平日の昼下がりに、

荒川区内のネパール料理店で、
ネパールの蕎麦粉で作った餅、
『ディド』を食べてきた。

(※2019年7月1日のブログ記事にて、
紹介したネパール料理店と同一で、
当該記事にて紹介したネパール料理の、
ライスがディドに替わったメニュー。)

前述してきた通り、荒川区は、
在日朝鮮人の方々が歴史的に多く、
都内2位の人口割合(2010年)であるが、

近年は、在日ネパール人の方々が、
都内3位の人口割合(2019年)にまで急増しており、

ネパールはインドと隣国で文化的に近く、
エスニック料理でも日本人に人気の高い、
インド料理の店を経営なさるケースが多いが、

在日ネパール人の方々が急増した荒川区では、
インド料理とは似て非なる、ネパール料理の店が存在し、

こうして、ネパールにしか存在しない、
隣国で文化的にも近いインドですら珍しい、
日本では、御目にかかるのも貴重な、
ディドを、食べることができるのだ。

ネパールの主食は、主に米であるが、
世界最高峰の山であるサガルマータ(エベレスト)、
それを擁するヒマラヤ山脈が存在するように、
標高が高く険しい山岳地帯もあり、

稲作が困難な山間部で、米に代わって、
主食として食べられていたのが、
蕎麦粉を練って作られた、ディドであり、

さらに、現在は、地方にも米が流通し、
ディドは、あまり食べられていないらしく、

ネパール国内ですらも、地方の田舎にしかない、
昔懐かしいレトロな食べ物で、

そんなマイナーすぎるものが日本で食べられるとは、
さすが、マイノリティーの聖地、荒川区…

ディドは初めて食べたが、
ギー(バターオイル)が、かけられているものの、
これ自体には、味はなく、

ライスなどと同じように、主食として、
ダル(豆のスープ)やカレーなどと一緒に食べ、

餅状の固形のわりには、カレーをかけても、
タルカリ(おかず)やアチャル(漬け物)等々を、
チャツネ(調味料)などと共に混ぜても、
水分が多めで、意外と、馴染みやすく、

食感は、餅のようだが粘り気は少なく、
すいとんのようだが噛みごたえも少なく、
不思議な感じで、

個人的には、京都銘菓の、生八ッ橋あたりが、
一番近いかなと思うような食感であった。

また、僕は普段、ネパール料理店では、
セットのドリンクに、甘くもスパイシーな、
インドやネパールのミルクティー、
『チャイ』をチョイスするのだが、

いつもは、冷たいアイスチャイをチョイスするが、
年末の冬の寒い時期ということもあり、珍しく、
温かいホットチャイをチョイスしてみたところ、

アイスチャイよりも甘さ控えめで、
チャイ独特の、不思議なスパイシーさが、
より際立っていて、とても体が暖まり、

新型コロナウイルス感染症流行情勢下で、
感染拡大防止のため、外食は控えるよう、
呼びかけられてはいたが、

ただでさえ、混雑の少ない時間帯に、
さらに、荒川区というローカルな地域の、
マイナーなネパール料理店ということもあり、

来客は、僕一人だけで、感染の心配もなく、

異国の珍しい不思議なエスニック料理に、
一人、世界観に浸り、悟り開かれた気分になり、

身辺整理を終え、安らかな終末に突入した、
昨年の終わりに相応しい、年越しの食事となった。


こうして、年が明け、緊急事態宣言再発令下、

それに伴い、一部のみだが、業態の変化や、
休業補償が支給され、勤務時間の短縮もありつつ、
仕事や副業に追われ、1ヶ月半ほどが経ったが、

この間に、“初買い”というほどではないが、
(緊急事態宣言発令下のため、
インターネット通信販売等を利用し、)

もう終末に突入したことを鑑みて、
使用を切り替えるため、新たに購入した、
ヘアコスメ関連の愛用品があるので、紹介する--

(※従来のヘアコスメ関連の愛用品については、
2019年1月13日のブログ記事を御参照。)

まずは、ビジュアル系ロックバンド時代の名残りで、
ソロになってからも、音楽活動では、
少しだけメイクをしてきて、

ビジュアル系以外でも、韓流アイドルも、
男性がメイクをする点に着眼し、

韓流コスメブランド、『MISSHA』の、
BBクリームやアイシャドーなどの、
化粧品を使用してきたが、

もう、歳も歳で、メイクは、
ほぼ完全に、無しになっており、
化粧品を使用する機会もなくなったので、

代わりに、愛用してきた化粧品と、
同じブランドである、MISSHAの、

リップクリームと、日焼け止めを、
今後は使用していくことに、切り替え、

リップクリームは、色付きではないが、
成分の効果で、唇を自然な色で良くしてくれる、

『グルーミングセンス・リップバーム』、

日焼け止めは、ファンデーション入りではないが、
成分の鎮静作用により、自然な顔色で明るくしてくれる、

セーフ・ブロックRXシリーズの、
『ヒアルロン・スージングSUN』と、

共に、化粧品ではないながら、
自然な成分の効果で、化粧品のような作用もある、
リップクリームと日焼け止めを、チョイスした。

次に、愛用の香水、
CHANELの『EGOISTE PLATINUM』は、

余生に突入した、約2年半前より、
既に、もう、わざわざ香水をつけるような、
特別な機会も、少なくなり、
おまけに、肌も老化してきていたため、

香水と同じ、EGOISTE PLATINUMの、
“アフターシェーブ・エマルジョン”との、
併用に、切り替え、

香水は、時々、特別な時に、少しだけつけるにとどめ、
普段は、エマルジョンで、肌を保湿しつつ、
ほのかに香らせる程度になっていたが、

ついに、香水をつける機会は、ほぼ完全になくなり、
肌も、完全に老化したため、

代わりに、同じ、EGOISTE PLATINUMの、
“アフターシェーブ・ローション”に、
統合して一本化し、切り替え、

よりしっかりとした、肌ケアをメインとし、
香りは、自然に微かに香らせる程度に。

最後に、余生に突入した、約2年半前より、
既に、歳のせいか、髪質が酷く劣化してしまい、

洗い流さないトリートメント、
Aujuaの『QUENCH Serum』の、
“ヘアオイル”を、使用し始めていたが、

ついに、髪質どころか、ハゲてしまい、
髪そのものが、少なくなってしまったので、

同じ、AujuaのQUENCH Serumの、
“ヘアミスト”に、切り替え、

残された少ない髪のケアは、軽くシュシュッと、
ヘアミストを、髪全体にかける程度にとどめ、

新たに、ハゲてしまった頭皮のケアとして、
老人らしく、中高年男性御用達でレトロな香りの、

『AUSLESE(アウスレーゼ)』の、
ヘアトニックを、使い始めることに。

こうして、身辺整理を終えた年が明けた新年より、
従来の愛用ブランドは継承しつつ、
安らかな終末に相応しいラインナップへと、
ヘアコスメ関連の愛用品は、切り替えとなった。


この安らかな終末と、

第二次転落人生解放以降、
再起後の人生を支えてきた、
この新体制が、

いつまで続き、

この再起後の人生が、

どのような劇場的な結末で、
個性的な終焉を迎えるのかは、

予測も予想も、全く不可能であるが、

今は、終わる時なんて忘れて、
こうして、迎えることができた、

2021年も、
よろしく御願い申し上げたい。




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