旅路から夢路へ-2- | Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』

旅路から夢路へ-2-

《…前のページの続き》

…引き続き、僕が訪れてきた都市等を、
訪問目的別に、紹介する--


【失踪(2012年,2017年)】

行方不明になったことが、過去に2回あった。

当時は、ご心配をおかけして、
大変申し訳なかった。

◎第一次行方不明騒動(2012年5月4日~5月18日)
[潜伏先]滋賀県草津市(南草津)
(※当初は、京都府京都市(2回目)→京都府宇治市(ウトロ地区))
(※南草津は、何回も訪れているため、訪問回数カウント省略)

前述の、当時付き合っていた彼女が、
僕の職場(前々職)を巻き込み起こした事件により、
当時の仕事を最低最悪な形で辞めることとなり、
再起後の人生は、再び、崩壊し始め、
第二次転落人生が開幕して、絶望し、

深夜に、『旅に出る』と言い残し、行方不明となり、
オリオンバスの夜行高速バスで、京都へ向かった。
(何故、京都だったのかは、自分でも、わからない…)

最初は、京都市内に居たのだが、人が多く、
誰かに見つかってしまいそうな気がして、
人の少ないウトロ地区のあたりを経て、
最終的に、隣の滋賀県へ移動し、

結局、西日本に用事がある際の定宿、
草津市(南草津)のインターネットカフェに潜伏、

最終的には、隣の大津市で、
琵琶湖を眺めながら、色々と考えて、
リベンジを決意し、生きて帰還。

ただし、公的には失踪していたが、
その間、当時、プライベートでやっていた、
SNSにて、一部の知人等には、
非公式に、状況を伝えていた。

なお、当時の彼女とも、連絡は取っていたが、
何故か、彼女も、僕と同じく、仕事を辞め、
旅に出ると、(彼女の)ご家族に言い残し、
プチ家出をして、僕の行方不明騒動以上に、
大変な騒ぎになっていた。

◎第二次行方不明騒動(2017年1月2日~4日)
[潜伏先]茨城県高萩市

第一次転落人生たる高校時代の、同窓会が、
なんと、東京で開催されるという情報が入り、
(偏差値の高い進学校だったので、
東京の名門大学進学を経て、
東京の大企業や省庁に就職して、
東京に住んでいる卒業生も多いためかと思われる)

東京だが茨城寄りの東北部の下町の郊外で、
開催地の東京の中心街とは無縁の地域だが、
一応、同じ東京ということで、恐ろしくなり、

第一次転落人生のによる再侵略から、
再起後の人生を護るため、

咄嗟に、南千住から、常磐(快速)線の、
長距離列車で、乗り継ぎなしで一番遠い終点、
茨城県高萩市へ、何の宛もなく、臨時亡命。

インターネットカフェに潜伏したが、
福島県寄りの、ほぼ東北地方で、
室内でも、とても寒く、震えながら時を過ごした。

行方不明期間中は、仕事も正月休みで、
あまり大きな騒動にはならなかったものの、
僕にとっては第一次行方不明騒動の時より、
重大な歴史的な事件であったが、

この事件の半年ほど前に、
卒業から約8年,9年も経っていながら、

再起後の人生への、再侵略の危機に、
怯えさせられた、怪しい事件が、
2件発生していたのだが、

この事件により、それらの事件も解決し、
一旦終結の様相を窺わせ、気持ちに整理がつき、

後述する数々の清算への取り組みと合わせて、
後述の、第一次転落人生に関する、
不幸な過去の清算の完全終結へと導き、
良い側面もあった事件であった。


【乃木坂46イベント遠征(2014年~)】

前述の、鉄道一人旅が、完結したタイミングで、
ちょうど、第二次転落人生解放闘争勝利により、
新体制樹立となり、

第二次転落人生解放闘争を勝利に導き、
新体制樹立に導いた、乃木坂46は、
新体制下、神聖なる存在となり、

ファンとなったのみならず、
イベントには遠征もして、

青春18きっぷ利用や安宿泊まりで、
1年に2回ものペースで行くようになり、

後述の、余った青春18きっぷを、
利用しての、旅行と合わせて、

それまでの鉄道一人旅に代わって、
新体制樹立以降の旅に出る機会となった。

なお、乃木坂46では、個人的に推しメンの、
松村沙友理さんが、大阪が地元のため、

遠征先は、ほとんどが大阪となることに。

◎2014年(7月):ミニライブ付き握手会・京都会場遠征
(京都訪問3回目)

初の乃木坂46イベント遠征は、京都。
京都訪問は、3回目。

ファンになったばかりで、早く会いたかったのと、
前述の通り、シリーズ化していた鉄道一人旅が、
完結し、遠出する機会もなくなったので、
久々に、遠出したかったため。

行きは、青春18きっぷ利用可能期間開始前で、
オリオンバスの夜行高速バス利用だったが、

翌日からは、利用可能期間が始まった、
青春18きっぷを利用、
(後述の青春18きっぷの余りを使っての旅行も合わせて)

宿泊は、いつもの、
滋賀の南草津のネットカフェ泊まりで、
鉄道一人旅時代の慣習を継承。

◎2014年(8月):夏のライヴツアー・大阪公演遠征
(大阪訪問3回目)

初の乃木坂46のライヴは、
東京が野外スタジアム公演のため、
(東京公演に比べれば)狭い会場で近い距離で、
涼しい室内で観られるため、

推しメン、松村沙友理さんの地元、
大阪へ、遠征。

青春18きっぷ利用、草津線経由のアクセスで、
鉄道一人旅時代の慣習を継承したが、

前述の通り、宿泊は、以降、
西日本に用事がある際の定宿は、
南草津のネットカフェから、
難波のカプセルサウナに代わっていく。

◎2015年(3月):ミニライブ付き握手会・京都会場遠征
(京都遠征2回目、京都訪問は4回目)

乃木坂ファン1年目は、乃木坂46に、
あまりに夢中になりすぎてしまったため、
しばらく、やるべきことに集中するため、

一区切りとして、
混雑の少ない地方会場へ遠征して、
全メンバーとの握手会を制覇。

行き慣れているため、京都会場へ、
前項同様、青春18きっぷ利用、

イベント前日は、翌日に京都のため、
京都に近い南草津のネットカフェ泊まり、
イベント終了後は、難波のカプセルサウナ泊まり。

◎2015年(7月):無料招待ライヴ&個別握手会・京都会場遠征
(京都遠征3回目・京都訪問5回目)

とあるCD購入特典の無料招待ライヴが、
複雑な事情により、京都会場での参加となることに。

せっかくの無料招待が、遠征では、
コストパフォーマンスが悪くなるので、
翌日に同会場で開催の個別握手会にも参加。

なお、この年の夏のライヴツアーは、
東京の野外スタジアムライヴに参加している。

青春18きっぷ発売期間外のため、
オリオンバスの夜行高速バス利用、

翌日の個別握手会も同じ京都会場のため、
南草津のネットカフェに宿泊。

◎2016年(2月):ミニライブ付き握手会・京都会場遠征
(京都遠征4回目・京都訪問6回目)

長年の苦労が祟ってか、抱えることとなった、
不治の病発症後、初の握手会は、
体調を考慮して、短時間での参加で、
握手券を余らせたため、

持病が少し容態安定との診断の後、
後述の富山訪問(4回目)とセットで、
握手券の余りで、京都の握手会に立ち寄る。

初の新幹線利用での遠征、さらに、
京都から富山へは、関西と北陸を繋ぐ、
特急『サンダーバード』で。

◎2016年7月:夏のライヴツアー・大阪公演遠征
(大阪遠征2回目・大阪訪問4回目)

恒例の夏のライヴツアーが、東京公演は、
半年遅れのデビュー4周年ライヴに代わり、
一日だけ参加だと中途半端になるため、
(デビュー何周年ライヴは数日かけて全曲披露)
通常のツアー公演の大阪公演に遠征。

慣例通り、青春18きっぷ利用、
カプセルサウナ泊まりだったが、

会場の関係で、難波ではなく、
梅田のカプセルサウナに宿泊。

大阪へは、一人旅等でも来たこともあり、
乃木坂46イベント遠征では、
観光や御当地グルメは、あまり楽しんでこなかったが、

この時は、ドヤ街の山谷地区(南千住)がある、
住んでいる東京の荒川区と地域特性が似ている、
釜ヶ崎(あいりん)地区がある西成区(新今宮)や、

荒川区と同じ朝鮮・韓国街の生野区も、
前述の鉄道一人旅以来、久々に再訪したり、

以降は、かすうどんや串カツなど、
大阪の御当地グルメを食べてみたり、
乃木坂46イベント遠征でも、
少し大阪を楽しむようになる。

◎2017年4月:ミニライブ&握手会・大阪会場遠征
(大阪遠征3回目・大阪訪問5回目)

日程の都合で、握手会へ遠征をしたが、

握手会の関西会場は、それまで京都であったが、
乃木坂46の人気上昇に伴い、大阪の大会場に変わり、

以降、関西遠征は、ライヴと握手会、
共に、大阪となる。

前日は、難波のカプセルサウナに泊まったが、
握手会の遠征でカプセルサウナ2泊は、
贅沢すぎるので、イベント終了後は、
久々に、南草津のネットカフェに宿泊。

◎2017年8月:夏のライヴツアー・大阪公演遠征
(大阪遠征4回目・大阪訪問6回目)

2014年8月と同じ理由で遠征。

さゆりんがメディアで紹介していた、
さゆりんの出身高校近くにある、
学校帰りにクレープを買って食べていたという、
お好み焼き店を訪問してみたり、

グッズ購入から開演までの空き時間に、
大阪人権博物館を見学したり、
遠征時も、聖地訪問や観光も少しするように。

(※なお、2017年8月には、
名古屋の握手会にも、遠出して参加したが、
これは青春18きっぷの余りの消費目的もあり、
乃木坂46イベント遠征に含めない(後述))

(※また、2018年4月にも、
やむを得ない事情により、
大阪の握手会に、遠出して参加したが、
遠征は年に2回までと決めているため、

やむを得ない事情であることと、
自宅近辺から会場近辺を繋ぐ、
夜行高速バスで、直行直帰し、
用事のみ済ませることとして、
乃木坂46イベント遠征に含めないこととした。)

◎2018年(6月):アンダーライブ・富山(金沢公演)遠征
(富山訪問5回目、金沢訪問2回目)

前述の通り、乃木坂46が、
第二次転落人生解放闘争の辛かった時代、
心支えた存在であるため、

いつか、第二次転落人生解放闘争勝利の聖地、
富山へ、乃木坂46のライヴ遠征をしたいと、
長年、願っていて、

残念ながら、富山公演はなく、
隣の石川県の金沢で、
ライヴも、選抜メンバーを除く、
アンダーメンバーのみの公演ではあったが、

奇しくも、過去の清算が全て完全終結した、
絶好のタイミングで、悲願が実現。

富山へは、地鉄(富山地方鉄道)の、高速バス、
もちろん、宿泊は、α-1。

あくまでも“富山遠征”のため、
ライヴだけ金沢へ行き、
それ以外は、富山で過ごしたが、

ライヴ開演までの空き時間に、
会場近くであったため、
金沢の観光名所、兼六園を見学。

◎2019年(2018年8月):夏のライヴツアー・大阪(名古屋公演)遠征
(大阪遠征5回目・大阪訪問7回目、名古屋訪問3回目)

2016年7月と同じ理由で遠征。

ただし、大阪公演が野外の大会場のため、
やはり涼しい室内がよかったのと、
ドーム会場だが、ツアーの中では、
一番狭い会場だったため、名古屋公演に参加し、

それ以外は、大阪に滞在で、いつもの、
青春18きっぷ利用、カプセルサウナ宿まり。

余生に突入し、大阪へ来る機会も、
もう、あまりないと思い、

さゆりんオススメの大阪の観光スポット、
天王寺動物園に、併設している、
(動物園が閉園時間であったため)
天王寺公園も、最後に見学。


【原点回帰キャンペーン(2015年7月~2016年6月)】

新体制樹立1周年を迎えた後に迎えた、
人生再起5周年を機に、

不安定であったことや建設途上であったことが、
ようやく確立しつつあったこともあり、

『原点回帰キャンペーン』として、
人生再起および新体制樹立に関連する、
遠方の地4ヶ所を含む、過去の所縁の地への再訪と、
縁の人物との再会を、1年間かけて行い、

改めて、再起後の人生の建設に協力した、
全ての原点に回帰し、それらを精神的城塞とし、

以降、完全に確立された新体制下で、
建設および前進を遂げていった。

※故郷ならびに滞在してきた都市等も、紹介する。

◎2015年8月:埼玉県上福岡市(※故郷)

もはや、故郷は、今の僕の原点ではないが、

故郷、友人、家族、かつての自分、
平穏な人生を、失ったことは、
あの、人生再起劇の、原点である。

群馬県(藤岡市など)寄りの、
埼玉県の奥地の小さな田舎町で、
北部は田園地帯、南部は畑が広がる一方、

隣接する故郷の地域圏の中心的地方都市、
川越市のベッドタウンとして団地もある、
地方都市の郊外の住宅街でもある。

故郷で最も想い入れ深い、
中学3年生(2004年)の夏の、
初恋の想い出の日である、
(その想い出をメインに、その想い出だけでなく、
あらゆる故郷の中学時代の想い出が甦る日)

8月31日の前日、
(当時の想い出が、8月31日に日付変更後の、
深夜であったため(8月30日の深夜))

新幹線も止まる故郷の県の最大都市・大宮から、
故郷の地域圏の中心的地方都市・川越市へ向かう、
最もローカルな路線・川越線で、
郊外の小さな駅・南古谷へ行き、
さらにバスに乗り換え。

家出したのは、故郷や友人や家族と、
不仲やトラブルがあったわけではなく、

(故郷と同じ県内の別の地域圏の、)
凄惨な高校時代の(第一次)転落人生により、
殲滅に至らしめられた人生の再起のため、
家出しての壮絶な人生再起劇に追い込まれたのであり、

故郷も、友人も、家族も、何も悪くない、
むしろ、共に被害者でもあるため、
中学時代までの友人達や、生家の両親と再会。

高校時代に変わり果ててしまい、
中学時代までの友人達には申し訳なく、

高校時代に殲滅した人生を、
再起するために、家出をすることになり、
両親にも申し訳ない気持ちでいっぱいで、

あの惨禍を、二度と繰り返さない
その犠牲を無駄にしないと、心に誓った。

ちなみに、人生再起後から考えたら、
あり得ないような話だが、

実は、家出から人生再起までは、
“地元は家出した故郷”という認識で、
(“実家”も当時は“家出した生家”という認識)
“帰る場所”という位置付けであり、

家出したという経緯から、当初は、簡単に、
故郷に足を踏み入れることは難しかったが、

ある用事を機に、あくまでも、
用事があったがために、帰郷し、

その後、家出後、初めて迎えた、
前述の、故郷で最も想い入れ深い日に、
1回だけ、用事もなしでの、帰省も果たし、

(この時は、せっかくの帰省の機会だったので、
故郷の県内で最も山奥の奥地の村であり、
故郷以上に田舎な、最果ての秘境の地である、
埼玉県大滝村の、三国峠へ、登山にも出かけた。)

さらに、成人式と同窓会に出席するための帰郷、

最後に、人生再起直前、
人生再起と共に、戸籍を、
自分一人だけ、分家(分籍)し、
新しい戸籍を創り、

本籍地も、人生再起と共に移住した、
東京・荒川区の南千住に、転籍するため、
(新たに創設した戸籍では、家紋と宗派も変えている)
故郷の市役所へ、戸籍謄本交付のため帰郷と、

用事があっての帰郷3回と、単なる帰省も1回、
約2年間で、計4回、帰郷・帰省をしていた。
(当時の基準で、帰るべき場所に、
帰っていただけなので、訪問回数ノーカウント)

なお、人生再起に伴う新戸籍創設は、
人生再起後も、不安定な日々、
忙しい日々、波瀾万丈な日々が続き、
なかなか区役所での手続きができず、

実際に、手続きできたのは、
ようやく一旦、落ち着いた時期の後、
人生再起後も残っていた、
故郷への未練が晴れた、2012年、
故郷への想い入れが最も深い、8月31日で、

新戸籍創設日は、人生再起と同じ、
2010年6月28日が、公式な日付だが、
(※人生再起記念日はキリよく2010年7月1日)
書類上の分籍・転籍の日付は、
2012年8月31日となっている。

人生再起後は、帰るべき場所ではなくなり、
地元ではなく、“故郷”という位置付けとなり、
(生家も実家ではなく、単なる“生家”に)
原則、訪れることのできない地となり、

単なる地方都市のうちの一つとして、
このような機会に、訪問することとなる。

◎2015年9月:埼玉県宮代町(※家出先)

凄惨な高校時代の(第一次)転落人生により、
殲滅に至らしめられた人生の再起のため、
故郷と同じ県内の全く別の地方へ家出しての、
壮絶な人生再起劇が始まった地へ、

家出した日から7周年であった、9月29日の、
直前の日曜日に、上京で去って以来、初の訪問。

故郷と同じ県内だが、全く違う地方で、
栃木県(小山市など)に隣接する北東部の果てで、
田畑だけが広がる故郷以上に田舎な小さな町。

新幹線も止まる故郷および家出先の県の、
最大都市・大宮から、
栃木県へ向かう長距離列車・宇都宮線で、
県境手前の田舎町・栗橋町から、
さらに山奥へ向かう日光線に乗り換え。

家出先に選んだ理由は、
後述の、当時の大学の所属学科が所在した、
キャンパスの最寄り駅へ、快速で1駅であり、

全く別の違う地方だが、一応、故郷と同じ県で、
少しだけだが、安心感があったから。

想い出のスポットを訪れ、
あの時の苦悩と苦労の日々を忘れず、
再起後の人生を護っていくと、心から誓った。

ちなみに、家出した日は、
公式には、2008年9月29日だが、

家出後は、壮絶な日々が続き、なかなか、
家出先の町役場に、転入届を提出できず、

家出したため、故郷の市役所で、
転出証明書の交付も受けておらず、
郵送で取り寄せなどもしていたため、

年が明けて、落ち着いてから、
約3ヶ月遅れで、ようやく提出したため、
(14日以内に提出しない場合、法律に抵触するが、
家出先の町役場では、注意も処罰も受けなかった)
書類上の転入の日付は、2009年1月9日となっている。

※遠出ではないが、このキャンペーンでは、
人生再起劇時代の所縁の地として、

前述の家出先から、通っていた大学の所属学科の、
東京のキャンパスへの移転に伴い、上京した、

上京先であった、中央区の馬喰町と、
キャンパス移転後に通った、文京区の白山も、
上京した日から7周年であった、3月13日に訪問し、

訪問とは関係ないが、人生再起劇時代を共にした、
大学時代の友人達やバンド時代のメンバー達とも、
再会を果たした。

東部の下町寄りの都心の問屋街の、
馬喰町を、上京先に選んだ理由は、

当時の大学の所属学科の移転先キャンパスがあった、
文京区の白山まで、(都営地下鉄の三田線で、)
混雑の少ない下り方面への通学となる、
同じ都営地下鉄の乗り換え駅である神保町まで、
(新宿線で)急行で1駅であったから。

経緯はどうあれ結果的に、前述の上京の夢や、
時間はかかるが、乗り換えなしで、
都営地下鉄で新宿へ行ける点も、
かつての夢が叶ったのだが、

地下鉄の新宿線ではなく、総武快速線で、
隣の駅が、東部最大の街・錦糸町ということもあり、

錦糸町の独特の雰囲気が好きになり、
前述の、東京に憧れさせた、
BUCK-TICKの『TOKYO』の歌詞にも、
新宿より錦糸町の方が近く、

その後、東北部の郊外に移住する、
人生再起後も含め、生活の中心となる、
錦糸町と出会わせてくれた地であり、

さらに、人生再起劇の果て辿り着き、居場所となり、
人生再起と共に移住することとなった、

東京だが、茨城県(取手市など)寄りの、
千葉県(松戸市など)に隣接する、東北部の郊外の、

奇しくも、前述の通り、
多様な人権的に弱い立場の方々の、
居場所となっている、荒川区へ、

そういう地だとも知らず、運命的に導いたのは、
馬喰町から、南千住行きのバスがあったからであり、

想い入れは、他の地に比べて浅めだが、
実は、馬喰町は、とても重要な地なのだ。

◎2016年2月:富山県富山市(4回目)
(※第二次転落人生解放闘争勝利の聖地)

第二次転落人生解放闘争勝利の聖地、
富山へは、このキャンペーンでは、
あの最後の闘いの日から2周年であった、
2月26日の直後の土日に、

第二次転落人生解放闘争の辛かった時代、
心支えてくれた、乃木坂46の、
前述のイベント遠征(京都)と合わせて、訪問。

当時の想い出のスポットを訪れ、
開通したばかりの北陸新幹線に初乗車で帰宅。

苦悩と苦労の果てに再起した人生を、
再びの壊滅の危機から護り抜き、
新たに樹立させた新体制の下、

今後も、建設と前進をしていくと、心に誓った。

※東京東部で千葉に隣接する荒川区に住んでおり、
こちらも、遠出ではないが、
第二次転落人生解放闘争の所縁の地として、

第二次転落人生を共に闘った、当時の職場(前職)の、
本社がある、千葉県鎌ケ谷市(新鎌ヶ谷)を訪問、

また、配属先の事業所があった、
同じ東京東部の下町、江東区の門前仲町も訪問し、
当時の職場の方々との再会も果たした。

◎2016年3月:群馬県板倉町(2回目)
(※第一次転落人生解放の聖地)

原点回帰キャンペーンの最後は、
全ての始まりであった、第一次転落人生解放の聖地、

通っていた大学の所属学科の、
東京移転前のキャンパスの所在地へ、
前述した卒業記念に訪れて以来の、再訪。

故郷が所属する県の隣県の東端の田舎町だが、
前述の、この町の近くである、
故郷と同じ県内の別の地方の家出先と同様、
栃木県に囲まれ、3県の県境が入り乱れる地方の、
(鉄道アクセスは、前述の家出先と同様、日光線。)

ただただ田園風景が広がる、何もない場所で、
家出前は、故郷から3時間近くかけて通っていたが、
のんびりと長閑な風景を眺めながらの通学も、
広々とした学校での生活も、とても快適で、

大学では、人生を殲滅に導いた凄惨な、
(第一次)転落人生たる高校時代とは、
真逆の、明るいキャンパスライフに恵まれ、

ここから解放されて始まり、
人生再起劇と再起後の人生を共にした、
大学時代に、心から感謝した。


【過去の清算(2012年,2014年~2017年)】

2012年3月、当時、付き合っていた彼女と、
(第一次)転落人生時代の悲劇の地へ、
一緒に旅行デートに出かけ、不幸な過去を清算した。

しかしながら、悲しいことに、
その彼女により、第二次転落人生に導かれ、
その清算は無効と化し、

第二次転落人生解放闘争を経て、彼女と別れ、
新体制樹立後、年に一度のペースで、

不幸な過去により、良くない想い出や、
訪れられなくなっていた地へ、
清算行為を伴う再訪をしての、

前述の清算無効化により、第一次も含め、
第二次と共に、2回の転落人生の、
不幸な過去の清算に、取り組んだ。

◎2012年3月:埼玉県所沢市
(※(第一次)転落人生時代の不幸な過去の清算)
(※2014年4月に清算無効化)

故郷と同じ県内だが、別の地域圏の、
(前述の家出先とも県内最大都市とも別の地域圏)
中心的地方都市で、

(第一次)転落人生時代を過ごした出身高校は、
市内郊外の、山奥の湖畔のほとりの茶畑の中にあり、
近くの森の中に、遊園地と野球場があり、

凄惨な、(第一次)転落人生時代を過ごした、
出身高校の近くの、遊園地へ、
彼女(当時)と旅行デートへ出かけ、
悲劇の地を、幸せな想い出の地へと清算した。

当時の彼女には感謝しているが、
残念ながら、まさかの、本来ならば、
共に幸せになれるはずの存在のはずの、
恋人により、第二次転落人生へと導かれ、

この清算は無効となり、新体制樹立後の、
不幸な過去の清算案件として、
第一次転落人生時代に関するものも、
含まれることとなり、

後に、もう一度、訪問することになるため、
詳しくは、また後述する。

◎2014年4月:神奈川県横浜市
(※第二次転落人生時代に関係する不幸な過去の清算(開幕))
(※少し遠い程度の都市で、何度か訪れてもいるため、訪問回数カウント省略)

第二次転落人生解放闘争勝利の果て、
樹立された、新体制下で始まった、
不幸な過去の清算の幕開けとして、

悲しいことに、第二次転落人生へと、
導いた存在となってしまった、
当時付き合っていた彼女との、

第二次転落人生時代の末期、
辛い解放闘争が始まる直前、
最後のデート先であった、横浜で、

前述の通り、第二次転落人生解放闘争の、
辛かった時代、心の支えとなった、
乃木坂46の、個別握手会に、初めて参加し、

当時の彼女と向き合い、優しくすれば、
感謝の気持ちを持って、行いを正してくれると思い、
もう限界は既に越えていて、
別れることも考え始めていた中でも、
デートに連れていったのだが、

やはり恩を仇で返すように、事件を起こされ、
ついに、次に事件を起こされたら別れようと決めた、
辛い想い出の地であったのだが、

第二次転落人生解放闘争を乗り越え、
彼女と別れ、新体制が樹立した春に、
横浜で、第二次転落人生を心支えた、

乃木坂46(松村沙友理さん)と、直接、
握手をして、話せた、あの喜びと感動は、
今でも忘れられず、

こうして、新体制下での、
不幸な過去の清算はスタートした。

ちなみに、千葉に隣接する地域に住んでおり、
遠出ではないが、横浜での事件の後、

前述もした、ついに、別れることを決め、
彼女からの、連絡も面会も全て遮断し、
第二次転落人生解放闘争が始まる、
きっかけとなった、最後の事件が起きた地、

千葉県の西船橋(船橋市)は、
これまた乃木坂46が、定期的に、
ミニライブ付き全国握手会を開催する、
幕張メッセに行く際に、いつも通るので、

新体制下で、自然と、
不幸な過去としては清算されており、

乃木坂46が、新体制樹立に、
導いた存在ということもあり、

以下、新体制下での、遠出しての、
不幸な過去の清算は、全て、こうして、
乃木坂46と共に、行なっていくこととなる。

◎2015年2月:埼玉県所沢市(2回目)
(※第一次転落人生時代に関係する不幸な過去の清算)

凄惨な、第一次転落人生を過ごした、
出身高校の近くの会場で、

第二次転落人生解放闘争の辛い時代に、
心の支えとなった存在である、
乃木坂46の、ライヴが開催され、

乃木坂46は、第二次転落人生解放に貢献した存在で、
第一次転落人生とは関係ないが、

前述の通り、第一次転落人生時代に関する過去の清算は、
清算に同行した元カノが第二次転落人生に導き、
第二次転落人生により無効化し、やり直しとなったため、

凄惨な第一次転落人生時代の地へ遠征し、
第二次転落人生時代を心支えた乃木坂46と一緒に、
第二次転落人生により無効化した清算をやり直し、
良き想い出の地へと清算することに。

前述の通り、故郷と同じ県内だが、別の地域圏で、
(前述の家出先とも県内最大都市とも別の地域圏)

第一次転落人生時代を過ごした出身高校は、
高校の地域圏の中心的地方都市だが、
市内郊外の、山奥の湖畔のほとりの茶畑の中にあり、

高校時代は、故郷から、前述もした、故郷の隣の、
故郷の地域圏の中心的地方都市・川越市へ行き、
高校の地域圏へ向かう長距離列車に乗り換え、

高校の地域圏の中心的地方都市・所沢市へ行き、
さらに、山奥へ向かうローカル線に乗り換え、
市内郊外の高校の最寄り駅へと通学しており、
(2年生からは不登校だったので、
あまり通学していなかったが…)

前述の無効化した清算時には、
彼女(当時)が同伴したことと、
いずれにせよ、一般的には、
何処からアクセスしても、他に経路がないため、

新幹線も止まる故郷の県の最大都市・大宮から、
故郷を通るローカル線の川越線で川越を経由し、
高校時代の通学経路と同じ経路も経由して、
出身高校の最寄り駅も通って、その近くの森の中の、
遊園地へ、旅行デートへ行ったのだが、

この乃木坂46ライヴ遠征による清算時は、
一人での再訪であり、

過去の忌々しい記憶を思い起こさせる、
当時の通学経路を経由した経路であり、
誰かに会うかもしれない一般的な経路で、
アクセスすることは、精神的苦痛であるため、

高校の地域圏は、山梨寄りの地域圏で、
山脈を隔て、山梨寄りの東京の山奥の奥多摩の方とも、
あくまでも、山脈を隔てて、接しているため、

山梨寄りの東京の山奥の方へ行き、
一般的なアクセス経路とは逆側から、
ローカル線を乗り継ぎ、遠回りをして、山を越え、
森の中の湖沿いを走る観光路面電車で、

ライヴ会場である、第一次転落人生時代を過ごした、
出身高校の近くの、野球場へ辿り着き、

寒さのせいか、過去のせいか、終始、
ネックウォーマーで顔を隠し、震え続けていたが、

第二次転落人生時代に心支えてくれた、
乃木坂46のスタジアムライヴを楽しみ、

第二次転落人生により、やり直しとなった、
第一次転落人生時代に関する、不幸な過去の清算を行い、

第一次転落人生時代を過ごした悲劇の地を、
良き想い出の地へと、清算した。

※なお、第一次転落人生に関する過去の清算は、
前述の、最後に起きた関連する大騒動ながら、
数年もが経って起きた、関連する事件が解決した、
第二次行方不明騒動をもって、概ね完了とし、

その翌年度の年度末、2018年3月、ちょうど、
あらゆる全てのことが完結するタイミングで、

第一次転落人生は、当時、色々と、
不運が重なってしまった結果であり、
決して、高校そのものや、
当時の誰かが、悪いわけでもなく、

むしろ、偏差値が高い進学校で、
校則も自由で、政治的にもリベラルな校風の、
あの高校が、本当は大好きで、

だからこそ、あんな、凄惨な高校時代になり、
中学時代までの平穏な人生から一転し、
何の関係もない故郷・友人・家族まで全て失い、
人生が殲滅に至ったのが、悔しかった…との、

最終見解声明が発せられ、

最後の事件であった、第二次行方不明騒動が、
同窓会に関係する事件であったため、

最後に、出身高校の同窓会事務局に連絡をして、
卒業生名簿から全てのデータを抹消していただき、
高校時代とは完全に絶縁する事務的な手続きをして、

第一次転落人生時代に関係する、
全ての清算は、完了が宣言され、

そして、前述の、その記念旅行も兼ねての、
忌々しき記憶の高校時代の修学旅行先でもあった、
沖縄への訪問にて、終結となった。

さらに、この1年間の身辺整理の一環で、
当該時代の身辺整理として、
数少ない、高校時代の友人との再会も果たし、
身辺整理をも完了となった。

◎2016年(2017年2月):埼玉県川越市
(※第一次転落人生により失った故郷への想いの清算)

不幸な過去の清算は、(第一次)転落人生、
そのものに対する清算のみでは、
終わらせられなかった。

第一次転落人生により失い、
壮絶な人生再起劇に追い込まれ、
家出することになった故郷--

故郷と同じ県の県内最大都市にて、
奇遇にも、第二次転落人生から解放した、
乃木坂46の、ライヴが開催され、

この清算案件は第一次転落人生に関係し、
第二次転落人生とは関係ないが、
これも一つの機会として、遠征して参加し、

ライヴ開催地でもある、新幹線も止まる、
故郷の県の最大都市・大宮から、
前述もした、故郷の地域圏へ向かう、
一番ローカルな川越線で、

(宿泊の関係もあり、故郷だと田舎すぎることと、
家出以降、訪れていなかったため、)

少し離れた場所ではあったが、
前述もした、故郷の田舎町に隣接する、
故郷の地域圏の中心的地方都市・川越市を訪れ、

想い出のスポットを散策し、
前夜に、旧友たちとの再会も果たせ、

ちなみに、ライヴ開催地の、
新幹線も止まる、故郷の県の最大都市・大宮も、

第一次転落人生時代末期、高校時代末期に、
前述の、大学から人生やり直そうと、
半年間だけ通った、駿台予備校があり、

第一次転落人生解放後、大学時代初期も、
家出前まで、故郷から3時間近くかけて、
通っていた、当時の大学の所属学科の、
東京移転前のキャンパスへの通学では、
乗り換え駅で、よく立ち寄っていたため、

想い出の地でもあるので、
そこも訪れられたことも嬉しく、

もう訪れられない地となっていた、
故郷の地域圏は、乃木坂46のおかげで、
再訪、そして、旧友たちとの再会も叶え、

(前述の原点回帰キャンペーンでは、
一度、故郷も訪れているが、本来なら、
もう訪れられない地に、あくまでも、
キャンペーンに伴い、訪問を強行した形)

第二次転落人生から解放した乃木坂46は、
第一次転落人生に関係する清算案件をも、
手助けしてくれた存在となった。

◎2017年(2018年4月):千葉県柏市
(※第二次転落人生時代に関係する不幸な過去の清算(終結))
(※近所だが、出入禁止(後述)と長年なっており、
過去の清算のための訪問のため、この訪問のみ遠出扱い)

前述の当時付き合っていた彼女が起こした事件により、
第二次転落人生が始まった悲しみの地であり、

最寄り駅の南千住から常磐快速線、すぐ3駅隣の、
住んでいる、東京東北部・千葉北西部・茨城南部と、
3県の郊外が入り乱れる、地域圏の中心都市ながら、

長年、出入禁止となっていた禁断の地、柏にて、

第二次転落人生を解放した乃木坂46の、
その象徴的メンバーであった、生駒里奈さんの、
卒業コンサートのライヴ・ビューイングに参加。

第二次転落人生が始まった、『柏事件』以来、
約6年振りに、柏への無期限出入禁止は解かれ、
禁断の悲しみの地は解放され、

第二次転落人生時代に関係する、
全ての清算の完了と終結が宣言なされた。

また、その後、元カノによる、電撃訪問等もあり、
その後の元カノは、当時を深く反省し、
仏罰が下されたかのように、酷い目にも遭い、
今なお、苦労なさっていることを知り、

反省し、仏罰も下り、苦労している人に対し、
もう必要以上に責めるつもりはなく、
むしろ応援したいという最終見解声明を発し、

僕以外の元カノによる犠牲者の方々へも、
元カノに対する恩赦を呼びかけた。

こうして、不幸な過去の清算は、
全てが完了と終結が果たされた。


【観光・保養(2014年~)】

前述の通り、2014年以降は、青春18きっぷが、
単なる安価な移動手段と化したため、

主に、乃木坂46のイベント遠征に使うのみでは、
5日分、使い切れず、余るようになり、

主に、余った青春18きっぷを消費するため、
せっかくなので、観光や保養に、出かけるようになり、

鉄道一人旅や用事や遠征等で、
各地へ遠出する機会に恵まれ始めてから、
6年もが経ってから、ようやく、

普通の人々と同じような、一般的な旅行に、
出かけるようになったのであった。

◎2014年(8月):富山県富山市(2回目)[保養]

前述の、2014年7月の乃木坂46の、
握手会・京都遠征の帰りに、
青春18きっぷの余りの消費も兼ねて、

その乃木坂46が心支えてくれたおかげで、
勝利できた第二次転落人生解放闘争の、
最後の闘いの聖地、富山を再訪。

数時間ほど、立ち寄ったのみだが、
新体制樹立後の僕にとっては、
富山は、ただ訪れるだけで、保養になる。

◎2015年(2月):富山県富山市(3回目)[保養]

北陸新幹線の開通に伴い、
前述の上越や富山へのアクセスで、
特急利用時に、何度か乗車した、

想い入れある特急列車、『はくたか』が、
廃止になるため、最後に乗車し、

行き先は、どこでもよかったのだが、
やはり、最大の想い入れ深き聖地、富山へ。

はくたか乗車がメインであったことと、
冬の北陸で寒かったこともあり、
城址公園など、市街地を少し散歩しただけで、

あとは、富山での定宿、ビジネスホテルの、
α-1で、サウナ付き展望大浴場に入ったり、
客室で、のんびりと、くつろいだり、
富山郷土料理の健康朝食ビュッフェを、
味わったりしていただけであったが、

充分に、とても良い保養になった。

◎2016年(8月):千葉県南房総市[観光]

前述の元カノと別れて以降、もう、
しばらく恋愛はしたくないという感じで、
乃木坂46にも夢中となり、恋愛から遠ざかっていたが、

約2年半振りに、まさかの、
乃木坂繋がりで、仲良くなって、
好きになってしまった女性ができたものの、
残念ながら、相手は彼氏持ちで(元から知っていた)、

田舎に帰るとのことでの送別の日、
(あくまでも餞別の)プレゼントを贈り、
好きだったという気持ちだけ伝えて、
とても喜んでくれて、

実らぬ恋には終わったが、
人生で一番幸せだった恋にも終わり、
お別れをした、その夏…

青春18きっぷの余りを消費しての旅で、
どうしても、1ヶ所しか、行き先が思い浮かばず、

前述した理由から、前述の通り、最初から、
気持ちを伝えて終わりのつもりだったので、
別に失恋というものではないのかもしれないが、

一応、“失恋傷心旅行”と称して、
その好きだった人の地元である、
千葉県南房総市へ、一人旅へ。

僕が住む東京東部と隣接する千葉県だが、
県の最南端で、遠いが日帰りできて、
程よく遠出しての旅が楽しめる距離で、

乃木坂46メンバーの高山一実さんも南房総出身で、
(ちなみに、なんと、その人と同じ高校出身)
乃木坂46に関連するスポットもあり、
乃木坂46関連の聖地巡りも含め、

南房総地域の中心的地方都市の館山市で、
南房総の観光名所を訪れたり、
観光都市の鴨川市(安房鴨川)で温泉に入ったりして、

あとは、感傷に浸りながら、
広大な海と平野と青空が広がる、
豊かな自然の中を、ひたすら散策し、

海も景色も空も綺麗で、
とても素敵な場所であった。

…まるで、あの人の、
清らかに澄んだ、瞳と心のように。

ちなみに、この時の、想い出は、
自身のソロでの音楽活動でリリースした、

『南国』(2ndシングルのカップリング、
および、2ndアルバムに収録)で、
歌にもしている。

◎2017年(8月):愛知県名古屋市(2回目)[観光]

乃木坂46のイベント遠征だが、日帰りで、
青春18きっぷの余りの消費も兼ねてのため、観光扱い。

混雑の一番少ない名古屋会場の握手会へ遠征し、
当時、新たに加入した3期生との握手会を、
全メンバーと行なった。

青春18きっぷで名古屋に日帰りとなると、
始発で出発して、終電で帰宅となり、
なかなかハードで、疲れたが、

夏の季節であったこともあり、帰りに、
名古屋駅のホームの立ち食い蕎麦屋で食べた、
冷たい名古屋名物のきしめんが、
とても美味しかった。

ちなみに、前述の通り、関西へアクセスする際、
僕は、名古屋で関西線に乗り換え、
三重から滋賀を走る草津線経由で行くのだが、

朝から青春18きっぷで行くと、
ちょうど名古屋で、昼飯時になり、
関西線がローカル線で待ち時間もあるため、

その後も長旅が続くので、
駅のホームのコンビニの軽食ではあるが、

味噌カツおにぎり、天むす、
名古屋コーチンのチキン南蛮サンド、
ひつまぶしの駅弁など、

いつも関西への旅の道中の食事は、
ささやかながら、名古屋めしである。

◎2018・2019年(2018年9月):山梨県身延町[観光]

再起後の人生も、凄惨な過去の清算から、
新たな未来の夢まで、何もかも果たし、
突入していた余生さえも、生き終えつつあり、
以降、身辺整理に着手していくため、

最後に、青春18きっぷの余りを消費し、
いつか、一度、訪れようと思っていた、
山梨県身延町にある、

人生再起後に改宗した宗派、
日蓮宗(荒川区に日蓮宗の分派の分派の新興宗教、
創価学会の信徒が多いため)の、総本山、

身延山・久遠寺を、参拝および登山へ。

登山は、ほぼ初めてだったが、身延山は初心者向けで、
持病は容態が安定しており、
普段からウォーキングもしており、

なかなか良い運動になったが、自分のペースで登り、
問題なく、身延山を登りきり、

山頂の久遠寺の奥之院をも参拝し、

帰りは、ロープウェイに乗車して下山し、
下部温泉にも立ち寄り、

最後に、御釈迦様が悟り開かれた星月菩提樹と、
インド翡翠のパワーストーンを使った、
日蓮宗の数珠を、仏具店で授かり、

これを最後に、行くべき場所、行きたかった場所は、
全て、行き終えたとしている。

※それ以降は、身辺整理の訪問目的で、
2019年12月に、故郷(2回目・最終訪問)へ、
1回だけ遠出して、訪れた。


既に、余生に突入した、2018年7月以降は、
全ての活動の、頻度あるいは規模が、半減となり、

以上で紹介してきた遠出の機会も例外ではなく、
年に一度のペースでの機会の遠出は、2年に1回、
年に2回のペースでの機会の遠出は、年に一度に、
半減しており、

身辺整理に突入した、2019年7月以降は、
身辺整理のため、さらに半減し、

前述の、身延山久遠寺への参拝登山を最後に、
全ての、行くべき地は、行き終えたこともあり、
身辺整理目的での遠出1回を除き、

あんなに各地へ遠出していたのが嘘のように、
全く遠出することもなくなっており、

もう身辺整理も完了した今後は、
あまり遠出する機会もないと思うが、

(もう数ヶ月間、世界的に長らく続いている、
新型コロナウイルス感染症流行もあって、
特に感染者の多い東京や国外などとの越境を伴うと、
なかなか旅行も難しい情勢とはなっているが、)

半減に半減を重ねただけで、
希少な頻度や、縮小した規模で、
遠出する機会はあるかもしれないし、

機会があれば、あくまでも、機会があれば、
(行けずに終わったとしても、悔いはない)
行ってみたいかなという場所は、何ヶ所かあるので、

もしも、また機会があれば、
何処かへ、旅に出かけてみたいと思う。


生涯で訪れてきた、
数々の素敵な旅、ならびに、
旅先で出会った人々、

全ての訪問・滞在した都市に、
心から感謝する。




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