御礼参り | Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』

御礼参り



1日遅れてしまったが…

あけましておめでとうございます。

年に一度の、ブログ読者の皆様お待ちかね、
一人で楽しく過ごした、お正月レポート(笑)


今年も元旦は、近所にある、

南千住をはじめとする、荒川区の守り神様、
新羅(現在の朝鮮)出身の、
牛頭天王(朝鮮名:ソシモリ)様が祀られている、

素盞雄神社へ、初詣。

そして、今年も、
恐ろしいほど、よく当たる、
元旦の御神籤--

今年は、末吉で、

内容は、
『じっくりと時間をかけて、物事に取り組むように』
…というもので、

昨年は、長年の壮絶な闘いに終止符が打たれ、
凄惨な過去の清算から、新たな未来の夢まで、
何もかも全てが完全なる終結を果たし、

今年からは、残された余生で、
再起後の人生を過ごした地域や、
活動等で共に過ごした人々に、

恩を返しながら、
生涯を全うしていくのみとなったが、

だからこそ、最後の最後で、
晩節を汚すような失態はあってはならないので、

何事も早めに計画を立て、
じっくりと時間をかけて、
しっかりと取り組んでいきたい。


そして今年も、元旦の食事は、

素盞雄神社の境内の屋台で売られている、
荒川区発祥のもんじゃ焼きから派生した、
お好み焼きと、

荒川区は在日朝鮮人の方々が多く、
正月といえば餅料理ということで、
朝鮮の餅料理・トッポギであったが、

昨年同様、組合員として参加している、
韓国の生協とも交流がある、
生活クラブ生活協同組合で、
正月限定の海鮮キムチを注文したため、

今年は、その海鮮キムチを、
トッポギの具材として使い、海鮮トッポギを作り、

さらに、今流行りの、
チーズタッカルビと同じスタイルで、
チーズをトッピングし、
チーズ海鮮トッポギにアレンジ、

何もかもが完全なる終結を果たし、
迎えた正月ということもあり、

祝盃として、
韓国焼酎の『鏡月』も用意して、

おせち代わりに。

元旦に素盞雄神社に初詣をして、
お好み焼きを買って帰るようになったのは、
人生再起と共に移住して以降9年連続、毎年ずっと、

元旦にトッポギを食べるようになったのは、
再起後の人生を壊滅の危機から護り抜き、
新体制を樹立して以降5年連続、毎年ずっとで、

こうして、今年も、
壮絶な人生再起劇の果て、
辿り着き、移住・定住・永住し、
再起後の人生を歩んできた、この荒川区で、

荒川区らしい元旦を、迎えることができた。


そして、もう一ヶ所、元日に毎年、
初詣ではなく、厄除けのために訪れる、

お隣の足立区にある、
西新井大師へ、

昨年同様、混雑を避け、元日ではなく、
1日遅れて、2日に訪問。

今年も、厄年ではないが、

7年前の前厄に厄除けに行かなかったら、
恐ろしい年になってしまい、

翌年、6年前の本厄に、
初めて厄除けに行ったのをきっかけに、

その翌年、5年前は、後厄の厄除けに、
そのさらに翌年、4年前は、御札を納めにだけ、

そのさらに翌年、3年前は、
不治の病を患った直後ということもあり、
『当病平癒』の願目で厄除けをし、

そのさらに翌年、おととしは、
新体制樹立以降で一番の最高に良い年にしたいと願い、
『開運』の願目で厄除けをし、

そのさらに翌年、昨年は、
何もかもが完全終結に向かう一年の平穏無事を願い、
『災難除け』の願目で厄除けをし…

厄除けに行かなかった厄年は、
恐ろしい前厄の年になり、
御札を納めに行っただけの年は、
不治の病にかかり、

一方で、厄除けに行った厄年は、
大きな災難もあったが、なんとか乗り切ることができ、

当病平癒の厄除けをした年は、
不治の病ながらも以降は容態が安定し、
開運の厄除けをした年も、
新体制樹立以降では最高の一年となり、
災難除けの厄除けをした年も、
平穏無事に何もかも全てを終結させることができ、

厄除けの効果を大いに感じ、毎年恒例と化している。

今年の厄除けの願目は、
『祈願御礼』。

何もかもが完全なる終結を果たした昨年が明け、
こうして新年を迎えた今年は、

もう、悔いも思い残しも何もなく、
これといって、願うことは何もなく、

ただただ、長年の壮絶な闘いに終止符が打たれ、
凄惨な過去の清算から、新たな未来の夢まで、
何もかもが完全なる終結を果たせたことへの、
感謝の気持ちでいっぱいで、

残された余生で、再起後の人生や活動等を、
共に過ごした地域や人々へ、
恩を返していきたいという想いで、

御礼参りの厄除けをした。


そして、例年、
西新井大師での厄除けの帰りは、

初めて行った6年前、
当時付き合っていた彼女と合流し、

人混みを避け、最寄りの大師前駅とは、
逆方向で、少し離れた場所にある、
西新井大師西駅へ向かったところ、

その駅がある舎人ライナー沿いの尾久橋通りに、
しゃぶしゃぶの食べ放題を見つけ、
一緒に食事をして帰った名残から、

その後も毎年、一人で、尾久橋通りを散歩して帰り、

都内でも郊外の果ての郊外で、
地方都市のように、自然が広がり歩道も広々しており、

舎人公園に見沼代親水公園と、大きな緑地公園もあり、
散歩やウォーキングには最適で、

思わず、1時間程度、北上して、
舎人ライナーの終点の見沼代親水公園まで、
行ってしまうのが、恒例なのであるが、

今年は、西新井大師西駅から、徒歩ではなく、
舎人ライナーに乗って、尾久橋通りを北上し、
終点の見沼代親水公園駅まで行き、

実は、一度も行ったことがなかった、
見沼代親水公園を、散策。

前述の通り、見沼代親水公園は、例年、
駅までは行ったことがあったのだが、
いつも長々と歩いて最後に辿り着くため、
歩き疲れて、すぐに駅から帰路に就いてしまうのと、

見沼代親水公園は、一般的な広場型の公園ではなく、
水路沿いの遊歩道型の公園で、
長い距離に真っ直ぐ続いている公園なので、
散策に時間もかかるため、行ったことがなかった。

駅の西にも東にも、
長い水路と遊歩道が伸びていて、

遊歩道は、樹木や草花に包まれ、
水路には、水中植物や水鳥も生息し、

長閑な自然を観賞し、のんびりと癒されながら、
散歩やウォーキングが楽しめるスポットであった。

こうして、今年も、一人でありながら、
楽しい、お正月を過ごした。


年末に書いた前回のブログ記事でも述べた内容とも、
一部、重複し、繰り返しになるが、

昨年は、長年の壮絶な闘いに終止符が打たれ、
凄惨な過去の清算から、新たな未来の夢まで、

数年前からは病を抱えながらも、
生きて果たすことができ、

もう人生で何も思い残すことはなく、
何もかも全てが完全なる終結となり、

僕の一年の区切りは、
人生再起を果たし、新たな人生を歩み始めた、
(2010年)7月や、
再起後の人生を護り抜いて、新体制が樹立した、
(2014年)4月なので、

それまでの数ヶ月ほどは、今年も、引き続き、
何もかもが完全終結を果たしたことに伴う
身辺整理的総括が続き、

あとは、病を抱える体が持つ限り、
傷だらけになった心が持つ限り、

引き続き、仕事や活動等を続けながら、
余生を過ごすのみとなっており、

残された時間では、
活動を応援してくださった、
ファンや支持者の皆様等や、

再起後の人生を共に過ごしてきた、
荒川区の、地域と人々に、

恩を返していきたいと、思っているが…


…あれだけ、凄惨な過去、壮絶な人生再起劇、
波瀾万丈な生涯を、概ね生き終えた、この僕が、

まさか、最後の最後の余生で、

平穏に恵まれ生き長らえた末の老後のように、
悠々自適な晩節を過ごすような、

線香の火が消えていくように、
静かに、ひっそり、終わっていくような、

普通の一般的な終わり方をするわけは、
当然、ありえなくて、

最後まで、最期まで、
僕らしい、個性的な、

地域や人々への恩の返し方、
余生の過ごし方、生涯の終え方で、

終わりに向かっていくつもりなので、

所詮は、もう余生を過ごすだけの、
一線からは退いた、終わった人だと、
目を離すことなく、

最後の最期まで、御一緒に、

最後の最期まで、
お楽しみに。




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