デモクラティック・コリア-2- | Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』

デモクラティック・コリア-2-



《…前回の続き》

2日目--

早朝5時半に、釜山のチムジルバンを出発。

釜田から朝6時発の、
木浦(モッポ)行きの長距離列車で、
光州へ向かう。


幾つかの路線を経由するが、
基本は、慶全(キョンジョン)線で、

名前の通り、
釜山を中心とする慶尚(キョンサン)道地域と、
光州を中心とする全羅(チョルラ)道地域を繋ぐ、
慶全線だが、

同じ朝鮮南部の地域でありながら、
この東西の地域を往来する人は少なく、
双方の地域を繋ぐ交通網が全く発展しておらず、

この釜山と光州を結ぶ重要な鉄道路線も、
なんと、1日1往復のみ、

それも、高速鉄道などではなく、
レトロな車両が、何時間もかけて走る、
ローカル列車のみで、

そんな、現地の韓国人の方々にとってすら、
かなりレアなローカル列車に乗車し、

かつて、日本で、JR普通列車乗り放題の、
青春18きっぷを使い、ローカル列車に乗って、

鉄道の旅をするのが好きだった、
いわゆる“乗り鉄”だった僕だが、

5年前に、(鉄道がない沖縄を除いて、)
それで全都道府県を巡ることを制覇してから、

鉄道の旅に興味が薄れてしまっていたが、

やはり、国外の鉄道となると新鮮な気分で、

レトロな車両、1日1往復のレアな列車、
地方の田舎のローカル線と、

鉄道ファンを喜ばせる要素だらけで、
久々に鉄道関連でワクワクした気分に(笑)


車窓から見える外の景色は、
どこまでも自然が広がり、長閑で趣があったが、

さすがに6時間という長時間乗車に加え、
前夜が仮眠のみであったため、

半分以上の時間は眠ってしまっていたが、

普通の外国人観光客が乗らないような、
レトロでレアな地方の田舎のローカル列車に乗車でき、

大変貴重な体験となった。

ちなみに、運賃は、こんなに長距離乗車して、
なんと20100ウォン(2010円)と、とても安い。


光州の鉄道ターミナル駅である、
光州松汀(クァンジュソンジョン)に到着。

ソウルからの高速鉄道も停車する大きな駅で、
観光案内所や食堂なども併設されている。

光州は、地方都市だが、
全羅道地域では、最大都市で中心地で、

1路線だけだが、地下鉄もあるので、
地下鉄にて移動。


今回は、政治活動も兼ねて、
韓国軍事政権時代の民主化運動や、
日本植民地時代の独立運動に関連する、
スポットを訪ねるが、

この光州という街は、“芸術都市”でもあり、

2年に一度行われる、韓国最大の美術展、
『光州ビエンナーレ』でも有名で、

若い頃、ビジュアル系ロックバンドをやっていて、
今も仕事の傍ら、音楽活動もやっているということもあり、
芸術も僕の分野のうちの一つなので、

せっかくなので、まずは、
『芸術ストリート』を訪れることに。

光州松汀から、地下鉄に乗車。

光州の地下鉄は、車内の壁も、
アーティスティックなデザインで、

早くも芸術都市を雰囲気を感じられた。

文化殿堂(ムナジョンダン)で下車し、外に出ると、
大きな美術作品が飾られており、

芸術ストリートには、
壁沿いに芸術的なオブジェが立ち並んでいて、

芸術都市の名に相応しい街であった。


一方、駅名にもなっている同名の施設、
『文化殿堂』は、

現在は、国際的で革新的な文化の、
発展と交流のための施設となっているが、

ここは、旧・全羅南(チョルラナム)道庁があった場所で、

現在も残る、この施設の前の噴水広場に、
民主化を求める光州市民が集まり、

軍事政権による凄惨で激しい弾圧と闘った、
『光州民主化抗争(光州事件)』の舞台であり、

駅前には『民主の鐘』という、
鐘楼も建てられている。


その民主化の軌跡を学ぶべく、

文化殿堂から、地下鉄で光州松汀方面へ戻り、
金大中(キムデジュン)コンベンションセンター駅で下車、

徒歩10分ほど歩き、
『5.18自由公園』へ。

1980年5月18日から始まった、
光州事件に関する資料が展示されている公園で、

軍事政権下の韓国政府により不当逮捕された、
民主化を求めた韓国国民が、

裁判にかけられた法廷、拘束されていた牢獄、
拷問を受けた部屋などと、それらの様子が、
完全再現されて建てられており、

併設の資料館で、より詳しく、
資料展示や解説がなされている。
(入場料は、全て無料)


しかしながら…

僕も、勉強不足だったもので…

てっきり、この光州事件、

警察とデモ隊が、激しくぶつかり合った、
大規模なデモ程度としか、

激しい弾圧というのも、
警察が市民を殴ったりして逮捕した程度としか、
思っていなかった。

現地で、資料を拝見し、想像を絶する、
凄惨な事件であったと知り、驚愕した。

それは、警察とデモ隊との、
ぶつかり合いなんてものじゃない。

軍が、市民を、大量虐殺したのだ。

前述の駅の名前にもなっている、
金大中・元大統領も、

現在では、こうして駅や施設の名前になるほどの、
全羅南道出身の民主化運動の英雄的存在であるが、

当時の軍事政権によって、
暗殺未遂に遭ったり、

なんと、不当に死刑判決も下され、
処刑される危機にも遭った。

初代の李承晩(イ・スンマン)・大統領の時代から、
軍事政権であった韓国だが、

その後、軍事クーデターにより、
新たな軍事政権を樹立した、
朴正熙(パク・チョンヒ)・大統領が暗殺され、
民主化運動の機運が高まっていた中、

後に大統領となる、
全斗煥(チョン・ドゥファン)・陸軍少将が、
軍部を掌握し、またもや軍事クーデターにより、
さらに新たな軍事政権を樹立し、

この新軍部により、民主化運動は、
徹底的に弾圧が行われ、

民主化運動出身の有力国会議員であった、
金大中さんが不当逮捕され、

金大中さんの地元の全羅南道では、
これら一連の独裁政治に反対する、
民主化デモが加速し、

光州には、警察ではなく軍がやってきて、
民主化デモを、暴力的に弾圧、

軍の市民に対する狂暴さは、
日に日にエスカレートし、

やがては、光州が街単位で政権から敵視され、
ただ光州にいるだけで何もしていない一般市民に、
軍人が暴力を振るうようにまでなってしまい、

抵抗すれば、拘束され、投獄されて、
凄惨な拷問を受けるという事態に。

そうした事態に、光州市民は、
自分達の街や家族を守るため、
銃を持って闘う(兵役があるため出来た)も、

ついに、軍は、光州市民に向けて、
一斉に発砲して銃撃、大量虐殺をした。

そして、この事件を、
情報統制されていたマスメディアは、

武装した反政府グループの暴動、
軍が鎮圧し数名が死亡と、歪曲して報道し、

民主化のために闘った市民達は、
北朝鮮のスパイ、共産主義者、
扇動された暴徒だとされ、

事件は闇に葬り去られた。


…これ、僕が住む荒川区に居られる、
多くの在日朝鮮人の方々の故郷で、
荒川区の友好都市でもある、

済州で起きた、凄惨な事件、
『4.3事件』と、非常に似ている事件で、
※2015年7月2日、2017年4月23日のブログ記事を御参照

済州で起きた悲劇が、約30年後に、
光州で起きたということになる。

軍事政権とは、本当に恐ろしいものだ。


その後、軍事政権は、さらに7年ほど続いたが、
ソウルオリンピックを控えるなかでの、
軍事政権に対する国際的非難もあり、

民主化を求める国民の声が、
今度は国際社会が味方について再び高まり、

再び、光州市民は立ち上がり、
そして、韓国全土が立ち上がり、

ついに、民主化を成し遂げたのであった。


激しい弾圧や凄惨な拷問に苦しめられ、
多くの市民が友人が家族が虐殺され、

それでも闘い続け、民主化を成し遂げた、
光州民主化抗争の、

民主主義のために闘い、
平和と人権を重んじる精神は、

記憶にも新しい、キャンドルを掲げた、
民衆による平和的デモにより、

軍事政権の流れを汲む、
朴槿恵(パク・クネ)・前大統領を辞任に追い込んだ、

『キャンドル革命』、

つい最近の、民主化運動の流れを汲む、
文在寅(ムン・ジェイン)・大統領による、

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の、
金正恩(キム・ジョンウン)・朝鮮労働党委員長との、

歴史的な南北首脳会談と、
『板門店(パンムンジョム)宣言』と、

現在の韓国の政治にも、脈々と受け継がれ、
朝鮮南北平和統一への道のりも、前進している。


金大中コンベンションセンター駅へ戻り、
駅前から、今度はバスに乗車。

『光州学生独立運動記念館』バス停で下車し、
同名の施設へ。

こちらは、日本植民地時代に、
光州の学生達によって起きた、
独立運動についての資料が展示されている施設。
(こちらも、入場料は無料)

旧・大日本帝国植民地時代の朝鮮、光州にて、

日本人学生が、電車の中で、
朝鮮人学生を、バカにしたため、ケンカになり、

なぜか、朝鮮人学生の方だけが、逮捕され、
それに抗議する朝鮮人による学生運動が始まり、

やがては、植民地支配からの独立運動へ発展し、
朝鮮全土に広まった。

この学生運動自体は、数年ほどで収まり、
これが植民地支配からの独立に繋がることはなかったが、

この光州市民の、不当な差別や抑圧と闘う精神は、
後々の民主化抗争に、受け継がれたことであろう。

日本人としては、
朝鮮に対する植民地支配をはじめとする、
過去の軍事帝国主義を深く反省し、

同じ過ちを繰り返さぬよう、
過去の反省に立って制定された、
戦後平和憲法を護り、

民主的で平和的な日本社会を、
国際社会の中において、
建設していかなければならないと思った。


しかしながら、近年の日本は、
再軍国主義化が進んでおり、
貧困・格差も拡大し、

軍事政権から民主化したのみならず、
今では、住民参加により民主的に、
福祉政策が実現してきている地域もある

韓国とは、真逆の道を歩んでおり、

その行く末は、かつての韓国の、
恐ろしい軍事政権であり、

やがては、日本でも、光州事件のように、

反対する国民を、国家権力が暴力によって、
弾圧する日が来るかもしれないと思うと、
とても恐ろしい。

そうならぬよう、平和や人権の大切さ、
それを保障する戦後平和憲法の重要性を、
これからも、訴えかけていきたい。


目的地を視察し終えたところで、

この日の光州は、気温なんと40℃と、
猛暑の炎天下を歩き回ったので、

韓国のコンビニには、基本的に、
イートインコーナーがあるため、

バス停の近くのコンビニで、水分補給と休憩。

ここで、ささやかではあるが、
またまた韓国にしかないものを体験。

韓国のコンビニでは当たり前のように売っている、
袋入りジュース。

常温の袋に入ったジュースが並んでいて、
その下の冷凍ケースに、氷入りカップが入っており、
袋入りジュースと氷カップがセットになっており、

レジで購入後、袋を開け、氷カップに注げば、
冷たく冷えたジュースの完成。

ザクロジュースをチョイスしたが、
甘くてスッキリしていて、

何より、氷カップに注ぎたての、
冷えたジュースが、

猛暑の炎天下を歩き回った後であったので、
とても美味しかった。


その後、バスで、
光州総合バスターミナルへ。

光州総合バスターミナルは、
ただのバスターミナルではなく、

ショッピングモールやフードコートなど、
とても大きな商業施設が併設されている。

まずは、翌日の空港行きの高速バスの切符を購入。

自動券売機で購入しようとしたところ、
当日の切符しか購入できないようで、

前日の釜田駅での鉄道切符購入同様、
窓口にて、頑張って朝鮮語で会話し、

翌日の高速バスの切符を購入。


その後、フードコートにて、食事。

中華料理店で、
炸醤麺(チャジャンミョン)を注文。

韓国で中華料理?と、お思いであろうが、

チャジャンミョンは、
中華料理のジャージャー麺をアレンジした料理で、

起源はジャージャー麺にあるが、
ジャージャー麺のように辛くないどころか、

むしろ甘い黒味噌ベースの味付けで、
全くの別物の独自の朝鮮料理に仕上がっており、

辛い料理が比較的多い朝鮮料理の中で、
異彩を放っており、

甘くコクのある黒味噌で炒められた、
挽肉や野菜が絡んだ中華麺で、
とても美味しい料理であった。

このチャジャンミョンという料理も、
日本では一般的ではなく、
あまり食べられる機会がない朝鮮料理だが、

韓国では出前のメニューの定番であり、
一般的な料理である。

帰りに、お土産を購入し、
宿泊先のゲストハウスへ向かう。


共用のリビングルームや洗濯乾燥機や、
共用キッチンがあり、

キムチ、ラーメン、卵、ご飯、海苔、
パン、ハッシュドポテト、ジュース、牛乳など、
セルフサービスの食材が用意され、
自分で調理して自由に食べて良い、

(僕は時間の都合と外食をしてきたので、
ジュースだけ飲ませていただき、
ラーメンと海苔を一つだけ持ち帰ってきたが…)

オーソドックスなゲストハウスで、

シャワーやトイレが共用で、
二段ベッドが幾つか置かれている、
共同ベッドルームと、

ホテルのシングルルームのような、
個室があるが、

僕は個室に宿泊。

とても綺麗な個室で、
ベッド、テレビ、エアコン、Wi-Fi完備、

トイレと洗面台にシャワーのみがついた、
韓国型三点ユニットだが、
バスルームも個室にあり、

アメニティも充実して揃っており、

これで25000ウォン(2500円)とは、
非常に安価。


前夜が仮眠のみ、早朝から長距離列車移動、
日中は猛暑の炎天下を歩き回り、
疲れ果ててしまったので、

シャワーを浴びて、早めに就寝。


翌朝は、早朝4時に、
ゲストハウスをチェックアウト。

光州総合バスターミナルから、
高速バスで、

光州郊外の全羅南道・務安(ムアン)郡にある、
務安国際空港へ。

高速道路を1時間以上走るバスだが、
運賃は、3800ウォン(380円)と、
どこまでも物価が安い。

念のために、前日にバスの切符を購入したが、
なんと、乗客は、僕一人だけであった。

それもそのはずで、

務安空港は、一応、
全羅道地域における国際空港だが、

山奥にある小さな地方空港で、

小さなカフェのような食堂と、
小さな外貨両替所(どちらも朝は閉店していた)、

コンビニが一軒あるだけ、

出国審査後の出発ロビーに、
物凄く小さな免税店があるのみで、
これといって土産物店もなく、

国際空港というわりは、
韓国人以外の外国人も居ないようで、

そもそも、人が居なくて閑散としており、

空港内のアナウンスは朝鮮語のみ、
案内表示も併表は英語のみ、

当然、日本語が通じる気配は一切なく、

最後の最後まで、
普通の外国人観光客が体験しない、
ローカルな韓国の旅となった。


路線は違えど、同じ済州航空に乗り、
関西国際空港へ、帰国。

もう若くもない男が一人で、
預け荷物もなくリュックサック一つのみ、

東京から出国して、釜山で入国したのに、
帰りは、違うルート、

それも、務安空港という、
日本人が利用するには珍しい空港から出国し、、

なぜか、大阪に帰国するという、
謎のルートであったこと、

必要書類の職業欄に記入した、
『NPO関連事業所職員』や『団体職員』の肩書きが、
会社員や公務員に比べてマイナーであること、

あとは、おそらく、
僕の独特の、普通の人じゃないオーラで(笑)、

少し怪しい人物だと思われてか、

帰国した際に、
取り調べのようなものがあったが、

無事に帰国ゲートを出ることでき、

関西空港直営外貨両替所にて、
スタンプカード割引で、
韓国ウォンを日本円に両替し、

(関西空港を利用したのは、
これも一つの理由であった)

今夏に余る予定の青春18きっぷで、
長々とJR普通列車に揺られ、帰路に就いた。


こうして、何もかも全ての、
凄惨な過去の清算も、新たな未来の夢も、

果たし終えての、記念の一人旅は、
無事に、終了。

特別な想い入れや目的や、
何らかのコンセプトやイデオロギーに、
基づくものでもなく、

普通に旅に行くとなれば、
また韓国を訪れることにはなると思う。

それは、いつになるのか、
その機会があるのかすら、わからないが、

その時まで、より朝鮮語の学習に励み、
より朝鮮文化に親しんでいきたい。

日本でありながら、
朝鮮が身近である、

人生再起後から住む、
この荒川区にて。




Android携帯からの投稿