クライマックス・トゥギャザーしようぜ | Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』

クライマックス・トゥギャザーしようぜ



1日遅れてしまったが…

あけましておめでとうございます。


今年も元旦は、近所にある、

南千住をはじめとする、
荒川区の守り神様、

新羅(現在の朝鮮)出身の、
牛頭天王(朝鮮名:ソシモリ)様が祀られている、

素盞雄神社へ、初詣。


そして、今年も、

良かったことも悪かったことも、
全て書いてある通りになり、

その御言葉を守れば、良い結果になり、
守らなければ、悪い結果が待ち受ける、

恐ろしいほど、よく当たる、
元旦の御神籤--

今年は、なんと、大吉!

内容は、

『不穏に感じるかもしれないが、
心配しなくていい』

…というもので、

個別の項目で、
全体的に共通して書かれていたのは、

『前半は嫌な予感がするが、後半には安心できる』、
『しっかりと準備や計画すること』
『早めの行動が吉』、

…という内容で、

先行き不安になりすぎず、
一方で、楽観視して準備を怠らないようにもして、
早めの行動を心がけ、

珍しく良い一年であった、
昨年に引き続き、

今年も、せめて、
災難なき一年にしていきたい。


そして今年も、元旦の食事は、

素盞雄神社の境内の屋台で売られている、
荒川区発祥のもんじゃ焼きから派生した、
お好み焼きと、

荒川区は朝鮮人の方々が、
非常に多く住んでいらっしゃるため、

正月ということで餅料理で、
朝鮮の餅料理・トッポギ、

それから今年は、

組合員として利用している、
韓国の生協とも交流がある、
生活クラブ生活協同組合で、

お正月限定の特別なキムチということで、
一般的な白菜や大根に加え、
エビ、タコ、イカなどが漬けられた、
海鮮キムチを注文し、

おせち代わりに。

元旦に素盞雄神社の初詣をして、
お好み焼きを買って帰るようになったのは、
人生再起とともに移住して以降、
8年連続、毎年ずっと、

元旦にトッポギを食べるようになったのは、
再起後の人生を壊滅の危機から護りぬき、
新体制を樹立して以降、
4年連続、毎年ずっとで、

こうして、

壮絶な人生再起劇の果てに辿り着き、
移住・定住・永住し、

再起後の人生を歩んできた、
この、荒川区で、

荒川区らしい元旦を、
今年も、迎えることができた。


ちなみに、
この元日を終えて、就寝し、

昨晩に見た、記念すべき、
新年の初夢に、

なんと、韓国の、
文在寅・大統領が御登場(笑)

新羅出身の地域の守り神様、
朝鮮系の多い地域の住民の方々、

それらを尊重して、
正月の餅も朝鮮料理、
生協で正月特別キムチを注文と、

朝鮮づくしの、
新年であったからであろうか…(笑)


そして、もう一ヶ所、

元日に毎年、初詣ではなく、
厄除けのために訪れる、

お隣の足立区にある、
西新井大師だが、

今年は、元日ではなく、
1日遅れて、今日訪れてきた。

毎年、元日の昼下がりに行くのだが、
毎年、一時間待ち近い、
長蛇の待機列と大混雑なのだが、

今年は、2日に行ったうえ、
夕方遅い時間に行ったので、

待機列なしで普通に入場でき、

それなりに人は多かったが、
驚くほどの混雑ではなかった。

厄年ではないが、

6年前の前厄に厄除けに行かなかったら、
恐ろしい年になってしまい、

翌年、5年前の本厄に、
初めて厄除けに行ったのをきっかけに、

その翌年、4年前は、
後厄の厄除けに、

そのさらに翌年、3年前は、
御札を納めにだけ、

そのさらに翌年、2年前は、
不治の病を患った直後ということもあり、
『当病平癒』の願目で厄除けをし、

そのさらに翌年、昨年は、
新体制樹立以降で、一番の、
最高に、良い年にしたい(後述)と願い、
『開運』の願目で厄除けをし…

厄除けに行かなかった厄年は、
恐ろしい前厄の年になり、

御札を納めに行っただけの年は、
不治の病にかかり、

一方で、厄除けに行った厄年は、
大きな災難もあったが、
なんとか乗り切ることができ、

当病平癒の厄除けをした年は、
不治の病のため治ることはないものの、
容態は安定してきていて、

開運の厄除けををした年も、
新体制樹立以降では最高の一年となり、

厄除けの効果も感じて、
毎年恒例と化した。

今年の厄除けの願目は、
『災難除け』。

非常に波瀾万丈な人生であったが、

もう、ある程度、
悔いなく生き終えかけており、

まだ、終わりではないが、
終わりに向かっていくにあたり、

最後の最後くらい、
幸せに終わりに向かっていきたい。

昨年は、努力の結果が実ってか、
とても良い一年であったが、

一方で、小さな災難が、
ちょいちょい、あった年でもあった。

もう、物凄く大きな発展や、
物凄く大きな飛躍は、

この期に及んでは、
望んでいない。

ただ、災難なく、無事に、円満に、
この一年を、過ごしていきたい。


例年であれば、
西新井大師の帰りは、

初めて行った5年前、
当時付き合っていた彼女と合流し、

人混みを避け、最寄りの大師前駅とは、
逆方向で、少し離れた場所にある、
西新井大師西駅へ向かったところ、

その駅がある舎人ライナー沿いの尾久橋通りに、
しゃぶしゃぶの食べ放題を見つけ、
食事行った名残からか、

その後も毎年、一人で、
尾久橋通りを散歩して帰り、

都内でも郊外の果ての郊外で、
まるで地方都市のように、
自然が広がり、歩道も広々しており、

舎人公園に見沼代親水公園と、
大きな緑地公園もあり、

散歩やウォーキングには最適で、
思わず、1時間程度、
北上してウォーキングし、

舎人ライナーの終点、
見沼代親水公園まで行ってしまうのが、
恒例なのであるが、

今年は、夜遅い時間で、
真っ暗で、気温も寒く、
土地柄、あまり治安も良くないうえ、

つい先々月、
音楽活動のMusic Video撮影で、
舎人公園へロケにやってきたので、

また、わざわざ行く機会がないだけで、
近場で、気が向いたら、
いつでも行ける場所でもあるので、

今年は別にいいか…と、
真っ直ぐ、帰宅。


こうして、今年も、
一人でありながら、

楽しい、
お正月を過ごした。


一人では過ごしたものの、

最近は、数枚ではあるが、
地域の方や仲の良い先輩等から、
年賀状が届くようになり、

LINEなどで、友人から、
新年のメッセージも、
送られてきたりするようになった。

そして、こうして、毎年、
一人で、正月を楽しむ様子を、

ブログやSNS等で見るのを、
楽しみして待ってくださっている、

読者やフォロワーの方々も、
いらっしゃるようで…


全てを失い、孤独な状態から始まり、
その後、築き上げたものも、また失い、

出会いもあったが、
離れていってしまった人や、

今の僕なら縁があったであろうに、
その時は通り過ぎて行ってしまった人もいた、

そんな長年の、
孤独に歩んできた人生も、

気づいたら、たくさんの、
また新たな出会いがあって、

今は、たくさんの、
ファンや支持者の方々がいらっしゃる。

心から感謝したい。


昨年は、とても良い年で、

長年背負い続けてきた過去や、
抱え続けてきた心の闇に、

一定の気持ちの整理や、
区切りのつく出来事が相次ぎ、

長年の果たせなかった目標も達成でき、
仕事や活動等でも成果を出せ、

一般であれば、
人生これからと言いたいところだが、

残念ながら、

もう、終わりは、
そう遠くはない--


清算は義務として果たしたに過ぎず、
それによって心の傷が、
全て消えるということはなく、

凄惨な転落人生からの、
壮絶な人生再起劇からの、
再びの人生壊滅阻止の闘いからの、
その果てに患った不治の病を抱えての、
過去の清算を終えての、と…

長年の苦労で、
心身共に傷だらけで疲れ果て、
不治の病まで抱えており、

精神も極限を超越して、
悟りを開いてしまい、

今さら、ようやく、
良い人生になったところで、

長年の苦労と持病による、
心身へのダメージと異常な老化により、

もう、終わりの時は、迫っている。

だから、昨年は、
最後に悔いのないように、

『新体制樹立以降で、一番の、
最高の、良い一年にしたい』と思い、
その想いが、ある程度、結果に繋がり、

そうして結果を出せたことが、
幸か不幸か、

最後に悔いのないように、
最後に果たしたいことも、

(まだ完全にではないが、)
ほぼ無事に終えかけてしまい、

その終わりに、
また一歩近づいてしまった。

そして、そもそも、
この再起後から続く今の人生が、

一般的な、
生まれてから自然と続いてきた、
自然と存在しているものではなく、

自然と続いていた人生が、
一度、完全に終了し、

その後、人生はもちろん、
人格さえも、

新たに人工的に創ったものなので、

自然に存在することができず、

常に、崩壊の危険性があり、
常に、体制を維持するため処置が必要で、

また、その人生終了は凄惨で、
再起劇は壮絶であったがゆえ、

この人工的な、
現在の人生と人格は、

過去の否定に立って創り上げ、
成立したという経緯である以上、

そのイデオロギーに基づく、
人生でなければならない宿命であり、

例えば、人生を存続させるため(生きるため)、
そのイデオロギーに反しなければならないなら、

そのイデオロギーを貫いて、
死を選択する結末にならざるを得ないという、

宿命を背負った人生でもあるため、

その存続は、容易なものではない。

さらに、この再起後の人生は、既に、
一度、壊滅寸前に追い込まれたことがあり、

それを阻止し、新体制を樹立でき、
現在も維持できていることは事実ではあるが、

人生再起が、
自力であったのに対して、

再起後の人生が、
壊滅に追い込まれた当時に関しては、

僕の力では、完全に、
死に追いやられる以外の結末は、
絶対に100%ありえず、

それにもかかわらず、
それが阻止された結果となったのは、

僕の力ではなく、

当時、僕を救ってくれた、
心の支えとなった存在の力であり、

その存在は、この体制の、
正統性の象徴であり、

その存在がなくなったとき、

この体制は、一夜にして、
再び崩壊に向かう危険性がある。

なお、体制の崩壊の可能性が、
近いうちにあることが、
予想されるのであれば、

それに対して、対策を考え、
出来る限り、万全を尽くし、
出来ることはやる。

ただ、それで、力が及ばなかったのが、
前述の再起後の人生が壊滅へ向かった、
あの時であった。


なので、先は長くないかもしれない。

しかしながら、まだ、
終わることはできない。

僕を応援してくださる方や、
必要としてくださる方のためにも、

もう少しだけ、この人生を、
生きさせていただきたい。


2018年も、引き続き、

高校時代の転落人生で、
めちゃくちゃになった人生をやり直すため、

大学時代に家出し、
自力で各地を転々とし、

壮絶な人生再起劇の果てに、
7年半前から始まった今の人生、

その人生を再びの壊滅の危機から護り抜き、
3年9ヶ月前に樹立した今の体制を、

再起後に移住・定住・永住し、
再起後の人生を歩んできた、
この荒川区で、

確固たる揺ぎない信念で、
護り、発展させ、

仕事に、副業に、
音楽活動に、政治運動に、

波瀾万丈で個性的な人生を、
独自の世界観と哲学で、

前進し、創造していきたい。


そして、ファンや支持者等の皆様、

“共に”前進し、
“共に”創造し、

“共に”、
闘っていきましょう。




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