ソシモリ様 | Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』

ソシモリ様



あけましておめでとうございます。


今年も元旦は、
近所にある、

南千住をはじめとする、
荒川区の守り神様、

新羅(現在の朝鮮)出身の、
牛頭天王(朝鮮名:蘇尸茂利(ソシモリ))様が、
祀られている、

素盞雄神社へ、初詣。


信じているから当たるのか、
当たるから信じてしまうのかは、
わからないが、

この素盞雄神社の、
元旦の御神籤が、

恐ろしいほど、よく当たり、

良かったことも悪かったことも、
全て御神籤に書いてある通りになっていて、

その御言葉を守れば良い結果になり、
守らなければ悪い結果が待ち受けてきた。

今年は、小吉で、
内容は、

『不幸なことはないけれど、
思うようには物事が進まない』

…というもので、

今年は、昨年に始められたことを、
どんどん進めていき、
後半では、新しい世界観も、
創り上げていきたいと思っているため、

不安にはなってしまうが、

御言葉を守りながら、
少しでも良い結果に、
導いていきたい。


そして今年も、
元旦の食事は、

素盞雄神社の境内の屋台で売られている、
荒川区発祥の、もんじゃ焼きから派生した、
お好み焼きと、

正月といえば餅料理ということで、
荒川区は朝鮮人の方々が非常に多く住んでいらっしゃるため、
朝鮮の餅料理・トッポギを、

おせち代わりに。


元旦に素盞雄神社の初詣をして、
お好み焼きを買って帰るようになったのは、
人生再起とともに移住して以降、
7年連続、毎年ずっと、

元旦にトッポギを食べるようになったのは、
再起後の人生を壊滅の危機から護り抜き、
新体制を樹立して以降、
3年連続、毎年ずっとで、

こうして、

壮絶な人生再起劇の果てに辿り着き、
移住・定住・永住し、
再起後の人生を歩んできた、
この、荒川区で、

荒川区らしい元旦を、
今年も、迎えることができた。


そして、元日に毎年、
もう一ヶ所、訪れる場所が、

お隣の足立区にある、
西新井大師。

西新井大師は、
初詣ではなく、厄除けで、

5年前の前厄に厄除けに行かなかったら、
恐ろしい年になってしまい、

翌年、4年前の本厄に、
初めて厄除けに行ったのをきっかけに、

その翌年、3年前は、
後厄の厄除けに、

そのさらに翌年、2年前は、
御札を納めに、

さらにさらに翌年、昨年は、
不治の病を患った直後ということもあり、
当病平癒の厄除けをし、

厄除けに行かなかった年は、
恐ろしい前厄の年になり、

御札を納めに行っただけで厄除けを受けなかった年は、
不治の病にかかり、

厄除けに行った年は、
災難もあったが、
何とか乗り切ることができ、

当病平癒の厄除けをした昨年は、
不治の病のため治ることはないものの、
容態は安定してきていて、

厄除けの効果も感じて、
毎年恒例と化した。

今年の厄除けの願目は、
『開運』。

昨年と同じ当病平癒や、
災難除けや心願成就と迷ったが、

治らない病気の治癒を、
いつまでも祈っても仕方がないし、
治らないながらも容態は安定し、

今の僕には、災難にも、
ある程度は対処できる対応力が身につき、
願い事も祈るではなく、行動して、
有言実行できる状況にあるため、

自力で出来ることを頑張って、
あとは、より良い人生の発展ができるよう、
幸運に恵まれることを願い、
開運の願目にした。

特に、前述の、
よく当たる素盞雄神社の御神籤の内容が、

『悪くはないが、思うようにはいかない』という、
内容であっただけに…


僕は、神道も仏教も信者ではないが、

神社は、神道の宗教施設というより、
“地域の守り神様”という認識で、
その土地の神社には、
敬意を表し尊重し、

神道に関係なく、
素盞雄神社だけは例外的に信仰し、

仏教は、宗教というより、
“哲学”という認識で、
自身の精神世界の創造に活かすための、
哲学的世界観として探究し、

仏教に関係なく、
西新井大師だけは例外的に信仰し、

また、荒川区には、仏教系新興宗教で、
世界の平和や社会の福祉などに貢献する、
創価学会の方が多いので

僕には独自の世界観があるため入信はできないが、
創価学会の方々の信教の自由などは、
擁護し、尊重したい。


そして、西新井大師の帰りは、

初めて行った4年前、
当時付き合っていた彼女と合流し、

人混みを避け、
最寄りの大師前駅とは逆方向の、
少し離れた場所にある、
西新井大師西駅へ向かったところ、

その駅がある、
舎人ライナー沿いの尾久橋通りに、
しゃぶしゃぶの食べ放題を見つけ、
食事行った名残からか、

その後も毎年、一人で、
尾久橋通りを散歩して帰り、

1時間程度、
北上してウォーキングし、

舎人ライナーの終点、
見沼代親水公園まで行くのが、
毎年の恒例。

意図して行くわけではなく、

一応都内とはいえ、
郊外の果ての郊外で、

まるで地方都市のように、
自然が広がり、歩道も広々しており、

舎人公園に見沼代親水公園と、
大きな緑地公園もあるため、

散歩やウォーキングには最適で、
思わず、歩いてしまうのだ。


そして帰宅し、夕方は、

今年は、普段あまり観ないテレビで、
正月特番を鑑賞。

『芸能人 格付けチェック』に、

なんと、GACKTさんと、
乃木坂46(しかも、松村沙友理さん含む4名)が、共演。

かつてビジュアル系などの、
ロックバンドをやっていたことがあり、
今でも、仕事の傍ら、
ソロで音楽活動をやっている僕だが、

GACKTさんは、
僕がヴォーカル面で、
最も影響を受けたロック歌手で、

(今は少し変わってしまったが…)
昔のGacktさんの、
物静かでミステリアスな雰囲気が魅力的で、
独特の語り口のシュールで面白いキャラなど、
人間的にも影響を受けた憧れの存在で、

かつては、Gackt信者だった僕…

そんなGACKTさんも、
かつては毎日テレビで見かけ、
彼の音楽も至る所で耳にしたものだが、

最近では、
あまり見かけなくなってしまい、

昨年には、数年振りに、
アルバムのリリースとライヴのツアーをなさったが、
(もちろん、アルバムは購入、ライヴも参加)

ツアー名が『LAST VISUALIVE-最期ノ月-』に、
アルバム名が『LAST MOON』と、
最後を匂わせるコンセプトで、

今では、年に一度、
この正月特番ぐらいでしか見かけなくなってしまい、

最近では、GACKTさんが、
ロック歌手や俳優などであるということも知らない人も多く、

『あぁ、あの、正月の格付けの人でしょ?』と、
言われてしまうほどだ…(笑)

そんな、かつてGackt信者だった僕も、
めっきり見なくなってしまった、
GACKTさんに代わるような形で、

当時付き合っていた彼女によって、
人生壊滅寸前に導かれ、
本当に本当に辛かった時、

アイドルにしては楽曲が良くて、
アイドルでは唯一楽曲を聴いていて、
唯一知っていたアイドルであった、

乃木坂46に、
心の支えを委ねて辿り着き、

乃木坂ファンになり、
今では乃木坂46に夢中で、

特に、その当時、
辛かった時に、元気をもらった恩で、
松村沙友理さんが、推しメン。

おそらく、この世で、
僕ぐらいしか存在しないであろう、

昨年、GACKTさんのライヴも、
乃木坂46のライヴや握手会も、
両方行ったという、

そんな、元ガクト信者で、
今さゆりんご推しの僕には、

その2人が同じ空間にいる画が、

何とも夢のようで、
何とも不思議な感覚であった。

GACKTさんの楽曲が、特に、
壮絶な人生再起劇の真っ只中の苦しかった時代に、
励みになったり、心の支えになったり、

乃木坂46の楽曲やバラエティ番組、
特に松村沙友理さんの笑顔や独特のキャラが、
新体制樹立過程の辛かった時に、
元気づけてくれた、

共に、大きな恩がある存在なだけに…


こうして、今年も、
一人でありながら、

楽しい、
お正月を過ごした。


2017年も、引き続き、

高校時代の転落人生で、
めちゃくちゃになった人生をやり直すため、
大学時代に家出し、自力で各地を転々とし、
壮絶な人生再起劇の果てに、
6年半前から始まった今の人生、

その人生を再びの壊滅の危機から護り抜き、
2年9ヶ月前に樹立した今の体制を、

再起後に移住・定住・永住し、
再起後の人生を歩んできた、
この荒川区で、

確固たる揺ぎない信念で、
護り、発展させ、

仕事に、副業に、
音楽活動に、政治運動に、

この期に及んでも平穏になることなく続く、
波瀾万丈で個性的な人生を、

進行すれば死に至る、
不治の病を抱えながらも、

独自の世界観と哲学で、

前進し、
建設していきたい。




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