螢の墓 | Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』

螢の墓



仕事の関係で、来年度の前半に、
TOEFLを受けることになった。

本当は、今年度の前半に受ける予定で、

ちょうど昨年の今頃、
その件についてブログ記事でも触れたのだが…

昨年末、救急車で運ばれ、
長期入院となってしまい、

不治の病を抱えることになり、
その後も、しばらくは、

仕事に復帰しつつも、
リハビリなども続いたため、

今年度は断念し、
1年遅れで受けることに。


仕事の近況としては、

本当に、転職してから、
これといって大きな成果も収められないなか、

出来ることに、一つ一つずつ、
取り組んでいこうとしていた矢先に、

大きな病気にかかってしまって…

仕事に目標を持って、
具体的に出来ることを考えて、

実行していこうと思っていた矢先に、

全てが病気で台無しになってしまって…

治らぬ持病として抱えながらも、

ようやく、日常生活をある程度取り戻したが、

もうここ最近は、
色々といっぱいいっぱいになってしまって…

病気を抱えても、
仕事を続けられていることは、

不幸中の幸い。

それでも引き続き、

やれることを、
やっていくしかない。


この1年間は、
TOEFLに対しては、
遅いペースながら、

中古で買った、TOEFLの概要解説書を読み、
そもそもどんな英語の資格試験なのかという知識を得て、

高校時代に大学受験のために使っていた、
駿台予備校の『システム英単語』を使い、
英単語だけをサラッとおさらいをして、

1年遅れにはなってしまったが、
ここからまた仕切り直しということで、

本格的に勉強に取り組んでいく、
ラストスパートということで、
新しい参考書を購入。


全く存じ上げなかったのだが、

駿台予備校のグループから、
TOEFLの参考書が出ていると知り、

お取り寄せで購入。


また、システム英単語の、
“Premium”なるものが、
出版されていたと知り、

こちらも、お取り寄せで購入。

いったい、何がプレミアムなのか?と、
プレミアム単語帳を開いて、

僕は思わず、
『うわぁ~…凄いなぁ~…』と、
声を漏らしてしまった(笑)

英単語を、
英単語の“語源”まで辿り、

一つの英単語を分解して、
語源の意味を覚える。

一つの単語に対して、
新しい面白い発見があって、

楽しみながら、
英単語を覚えていくことができる。


そして、もう一つ、

ラストスパートに、
文法もおさらいしておきたいと思い、

竹岡広信先生の、
英文法の参考書も、購入。

これは、参考書というよりも、

英文法に関する知識を書いた、
読み物といった感じで、

読書をするような感じで、
英文法の知識を頭に入れていくことができる。

ちなみに、短期講座ではあったが、
こちらの竹岡先生の授業を、

僕は、生で受けたことがある。

…完全に、駿台信者(笑)


不登校だった高校時代の末期、
たったの半年間だけ通った、
駿台予備校…

元々、偏差値が60あった僕。

偏差値60という数値は、

めちゃめちゃ勉強できるというほどではないにせよ、
そこそこ勉強できるという数値で、

東京大学などの超難関国公立は、
もう、別次元の話として、

私立でいえば、
早慶クラスというほどではないが、
MARCHクラスではあるという数値。

僕が通っていた高校も、
ちょうど偏差値60で、

当時の地元では、高校名を言えば、
『頭良いんだね~』と、
周囲から、持て囃された。

それが高校2年生から、
色々とあって、不登校になってしまい、

高校3年生の秋には、
なんと、偏差値は39まで落ちてしまった。

偏差値39という数字は、

名前を書けば入試に合格するような、
定員割れの学校の偏差値なのはもちろん、

そのような学校の中でも、
さらに勉強ができない生徒が叩き出すような数値である。


堕ちたのは、
勉強だけの話ではない。

中学時代は、

勉強もできて、
部活にも取り組んで、
学級委員も務め、
友達にもたくさん恵まれ、
明るい性格で、
平穏な人生を送っていたのに、

高校時代は、

色々とあって不登校になり、
勉強もできなくなり、
みんなの嫌われ者になり、

それによって、

当時の家族と関係が悪化して、
当時の家庭にも居場所がなくなり、

中学時代の友人達に対しても後ろめたくなって、
当時の地元にも居場所がなくなり、

一人で宛もなく彷徨い、
何処に居ても、
何かに怯え続けていた。

高校時代によって、
人生そのものが、
転落してしまったのだ。


壮絶な高校生活の果て、
最後は、密かに、
自殺未遂までいってしまい、

死ぬことすらできなかった、
高校3年生の夏が明け、

高校3年生の秋…

僕は、大学から人生をやり直すため、

アルバイトも辞め、
バンド活動も辞め、

そして、人生がめちゃくちゃになった、
高校生活の再建も諦めて、

そのまま時が過ぎるのを待ち、
卒業を待つことにして、

染めていた髪も、黒髪に戻し、

こうして、取り組んでいたことの全てを辞めて、

最後の半年間だけ、
駿台予備校に通った。


不登校だったため、
同じ高校の人間と会いたくなかったのと、

高校で悲惨な状況になってしまったのが後ろめたくて、
当時の地元の中学時代の人達とも、
あまり会いたくなかったので、

河合塾、駿台予備校の、
大手老舗の2大予備校の内、

当時の地元と、隣接する地方都市や、
高校のある地方都市と、その地域圏に、

一切、存在しない予備校ということで、

消去法で、駿台予備校が残った。


そして、駿台予備校の、

当時の地元の地域圏でも、
高校のある地域圏でもない、

当時の地元の県内の、
県内最大都市の校舎に通った。

しかしながら、当時、
高校の人間達には、
邪魔をされたくなかったので、

その校舎ではないと、
噓をついたり、

また、講座によっては、
その校舎に無かったり、

誰もいないところで、
集中したかったという心理状態もあり、

その校舎に無い講座は、
別の校舎へ受けに行き、

冬期講習や直前講習などは、

講座によっては、
電車で1時間,2時間かかる別校舎に、

受けに行ったりもした。

なので、その校舎自体には、
あまり深い思い出はない。


高校時代の最後の半年間は、

それまでとはまた違った理由で、
学校へ行かない日々が続き、

とにかく予備校へ通って、

色々と心に闇を抱えながらも、
自分なりに大学受験の勉強に取り組んだ。


特に、通常授業の、
英語の文法の先生の指導が、

勉強法としても、
精神論としても、
心に響き、

その先生の教えを、
その後も、実践していて、

大学時代のテスト勉強や、
社会人になってからの資格試験の勉強などにも活かし、

勉強を教える仕事をしている今、

その先生の指導法を、
僕なりにアレンジしたものが、

僕の指導法となっている。


最後の模試での結果は、
偏差値52~54くらい(正確には覚えていない…)で、

落ちるところまで落ちた、
偏差値39からは、

大きな復活とは言えたが、

残念ながら、偏差値60への、
完全復活とはならなかった。


そして、大学入試の結果--

受験科目数の関係で、
当時の僕には、

国公立は無理で、
私立しか厳しく、

当時の地元の県内には、

有名で名門で難関な、
私立大学の附属高校としては、

早稲田、慶應義塾、立教の、
附属高校があった関係で、

その3大学には、
幼い頃から、憧れが強くて、

早慶クラスは無理でも、
MARCHクラスは目指したいと、

立教大学が、第一志望になり、

僕は、社会科の選択科目が、
地理だったということもあり、

(立教に限らず、)
地理で受験が可能な学科は、
非常に限られているため、

地理で受験できる、
観光学科を受験することに決め、

立教大学・観光学科を第1志望とし、

その次の志望校として、
やはり地理で受験が可能な学科を選び、

立教と同じ、MARCHクラスから、
明治大学・地理学科を第2志望、
法政大学・地理学科を第3志望、

滑り止めに、日東駒専クラスから、
日本大学・地理学科を第4志望、
東洋大学・国際観光学科を第5志望、

念のため、大東亜帝国クラスから、
東海大学・北欧学科を第6志望とし、

一般入試を受け、

東洋の国際観光と、
東海の北欧学科の、

志望下位2校しか合格できず、

第5志望の大学に進学という、
少し残念な結果には終わったものの、

東洋の国際観光で、
大学生活から、

高校時代にめちゃくちゃになった人生を、
再建すると決意し、

その後、大学に通いながら、

家出をし、各地を転々としながら、
自力で生活をし、

壮絶な人生再起劇が始まった。

入学当初、第5志望ということで、
入学式にすら行かなかった卑屈さで、

かつての第1志望への、
3年次編入試験も受験するつもりで、

ちなみに、この時、編入試の際に、
TOEFLスコアの提出が必要で、
TOEFLも受験するつもりであったが、

僕が3年生になる年度の3年次編の入試が、
その年は開催されないことになり、
不戦敗となり、TOEFLの受験も中止したが、

その後の大学生活は、

プライベートでは、

当初は当時の地元から、
移転前の地方キャンパスに、
2時間以上かけて大学に通っていたが、

めちゃくちゃになった人生を再建するため、
まず当時の地元の県内で家出をして、

その後、東京へのキャンパス移転などもあり、
上京もしたりして、

アルバイトをしながら生活費を稼いでの、
自力での壮絶な人生再起劇の傍らで、

大学では、

国際観光学科でも、地理を専門的に学べ、
ゼミでは、自然地理学を専攻し、

政治的思想にも目覚め、卒業論文では、
共産主義哲学について、研究し、

学業や研究に真面目に取り組んだり、
たくさんの学友にも恵まれ、
大学生活が心の支えにもなり、

人生再起を成し遂げ、

新たな地へ移住し、
新たな人生を歩み始めることができ、

人生再起後も、
波瀾万丈は続いたが、

その後、
またバンド活動をやったり、

残念ながら、前述の環境から、
金銭的都合等もあり、卒業後に志望していた、
他大学の大学院(修士課程)への進学は、
諦めることとなかったが、

代わりに、無事に、
卒業後の就職が決まったり、

恋愛どころの人生じゃなかった僕に、
彼女ができたりと、

波瀾万丈ありながらも、
恵まれたものとなり、

また、東洋大学は、今では中堅大学だが、
実は、早慶クラスの、早稲田、慶應義塾、
MARCHクラスの、中央と並び、
歴史的には、4大私立大学の一つであり、

特に、哲学の学校が源流ということで、
結果的に、自分に合っていて、

(早稲田は政治、慶應義塾は経済、中央は法律で、
東洋の哲学は、政治や経済や法律に比べ、
実社会で直接的利益にならないと軽視されたため、
歴史的4大私立大学ながら、中堅レベルとなったと言われている…)

卒業する頃には、僕の中で、
東洋大学の国際観光学科は、
誇り高き存在になっていた。

だから、駿台には、感謝している。


その後、バンドは脱退することになったが、
ソロで音楽活動は続けており、

仕事もブラックまがいの労働環境に、
すぐに辞めることになり、

当時付き合っていた彼女の妨害(後述)もあり、
社会人として最低な形で辞めることになってしまったが、

同業他社に転職し、
実務経験を経て、専門資格試験に合格し、
リベンジを果たし、

その後、また今の仕事に転職したが、
その資格を活かして、副業もやっていて、

ようやくできた彼女にも、
せっかくできた彼女だからと、
大切にしてあげたのだが、

優しさが裏目に出て、
かなり病的な依存をされてしまい、

人生が壊滅寸前までいって、
別れることにはなったが、

それをきっかけに、
女性アイドルグループの、
乃木坂46と出会って、

コンサートに握手会にと、
楽しい日々を過ごし、

乃木坂繋がりで、
良い出会いもあったりもしたり、

※余談だが、
乃木坂46で僕が一番応援しているメンバー、
松村沙友理さんも、駿台予備校に通っていたとの噂…

こういった苦労をしてきた経験から、
平和や人権や福祉が大切にされる社会を創るため、

人生再起後に移住した地域の、
護憲団体で政治運動を始めたりと、

このように、
再び、ピンチに陥っても、

過去の人生再起経験を、
全て活かすことができ、

乗り切ることができている。


この僕の過去の人生再起の功績を、

同じような想いをして、
辛い想いをしている誰かのために、
活かしたいと思い、

不登校生支援という職種、

その中でも、
家庭教師による学習指導をメインとし、
カウンセリングなどのメンタルケアも行う、

今のNPO関連事業所に、
転職をした。


何も大きな成果を収められないまま、
惰性に過ごして、

生活は成り立っても、
それで僕は満足なのだろうか。

だったら、この仕事は、
もう、辞めた方がいい。

そういう気持ちでやる仕事じゃないし、
やっていい仕事でもない。

辛い青春時代に苦しんでいる子ども達の、
未来が、かかっている。

青春時代の傷痕は、
大人になっても永久に心に残り続け、
人生を左右する。


僕は、高校時代はもちろん、

大学進学後や、
壮絶な人生再起劇に、

人生再起後から、
現在に至るまでも、

波瀾万丈な人生を生きてきたし、

その苦労も祟ってか、
今は不治の病も抱えていて、

もう長くないかもしれないし、
僕自身は、どうなったっていい。

ただ、病める不登校生達に、

僕のような苦労はしてほしくないし、
明るい未来を生きてほしいから、

最後に、出来る限りを尽くして、
未来を託したいと思っている。


だから、常に、

過去を、初心を、
信念を、想いを、

決して、
忘れてはならない。




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