平和憲法の護り方
荒川区の社会民主党系護憲団体、
平和憲法を守る荒川の会(荒憲)の、
年に一度の、総会であった。
この一年は、残念ながら、
あまり荒憲での活動に参加することができなかったが、
唯一参加できた学習会では、
社会民主党の幹部の方から色々と教わる機会をいただき、
非常に貴重な体験であった。
荒憲での活動に参加できなかった一方で、
荒憲とは別組織(メンバーはほぼ同じだが…)の、
荒川区の脱原発団体・脱原発 荒川の会が主催する、
荒川区民が大結集の脱原発集会&デモに参加したり、
参議院議員選挙では、
荒憲が応援する候補者ではなく、
(同じ党ではあるが)自分が支持したいと思った別候補者を、
個人的に応援したり、
荒憲や社民党とは関係のない(社民党とは間接的に若干関係あり)、
左派系の政治思想で運営されている、
生活クラブという生協に加入したり、
昨年、朝鮮半島へ個人的に出向き、
荒川区のルーツのうちの一つである、
韓国の済州市を訪問し、
韓国政府による済州民迫害の資料が展示された4.3平和記念館や、
過去の日本の植民地支配の資料が展示された抗日記念館を視察し、
朝鮮人の方々の人権問題について学習したのに引き続き、
今年は関西地方へ個人的に出向き、
荒川区のもう一つのルーツである、
滋賀県のとある被差別部落の跡地を訪問し、
部落解放同盟の前身である全国水平社についての資料が展示された、
奈良県の水平社博物館を視察し、
被差別部落の人権問題について学習したりと、
荒憲の外での政治活動や、
単なる護憲に囚われない、
幅広い分野の政治問題に対して、
学習や行動ができた。
護憲というのは、基軸であって、
仮に憲法が改正されずに護られたとしても、
憲法で定められている、
平和、人権、福祉といった理念が守られないことで、
戦争、差別、貧困…
様々な社会問題が起きている。
そして、昨今は、
原発の問題も、深刻だ。
だから、憲法を守ろう!という、
単純な運動に終始せず、
身近な憲法理念に反した数々の社会問題に、
幅広く取り組むことで、
憲法を護っていく、
地域での政治運動を、
展開していきたい。
さて、今回も、
外部の講師の方をお招きして、
学習会が行われた。
テーマは、
『憲法9条の意義と≪限界≫』
まさかなぁ…
護憲の会で、
9条の“限界”などという、
キーワードを聞く日が来るとは…
こういった問題提起ができるのは、
逆に素晴らしいことだ。
戦後の日本は、
戦力を持たない、
戦争を放棄するという、
憲法9条があったことで、
戦争のない平和社会が続いてきた。
しかしながら、現実には、
在日アメリカ軍基地が置かれ、
考え方によっては、
アメリカの軍事力に守られ、
考え方によっては、
アメリカの軍事力に支配され、
自衛隊という、
考え方によっては、
合憲の国防組織を持ち、
考え方によっては、
違憲の軍事組織を持ち、
日米安全保障条約という、
日本国とアメリカ合衆国との、
軍事同盟まで結ばれ、
ベトナム戦争では、
沖縄の在日アメリカ軍基地からアメリカ軍が出撃し、
湾岸戦争では、
130億ドルもの戦費をアメリカに提供をし、
アメリカの戦争に加担してきた。
これが、現実だった。
そして、戦後日本が平和憲法下で、
国内(沖縄を除く)では平和社会を享受してきたなか、
日本の植民地支配から解放された、
朝鮮半島や中国などアジア諸国では、
その後も日本の侵略戦争と植民地支配の、
“遺産”ともいうべき混沌たる戦乱が続き、
前述のように、
日本はアメリカによるベトナム戦争に間接的に加担し、
今なおベトナム社会主義共和国ではその傷痕が残り、
冷戦下でアメリカと対峙していた旧・ソビエト社会主義共和国連邦(現・ロシア連邦)は、
アメリカ軍のいる日本をも脅威として対峙することになり、
前述のアジア諸国も、
アメリカ軍と自衛隊による強大な軍事力の保有は、
自分達を侵略した戦前の大日本帝国を想い起こさせ恐怖し、
国内でも、沖縄では、
戦後もアメリカによる統治が続き、
日本への返還後も多くの在日アメリカ軍基地が押し付けられ、
こうして、地域を異にして、
朝鮮、中国、ベトナム、ロシア、沖縄などから、
戦後日本を見た場合、
戦後日本の9条平和主義など、
“虚構”ではなかったのだろうか…
9条の平和理念は大切であるが、
それを唯一の拠り所とせず、
戦後の“虚構の9条平和”という仮面の裏の、
軍事やアメリカに頼る思想を、
根底から覆し、
9条の平和理念を、
実現していくことが大切で、
それは決して簡単なことではなく、
講師の方も答えは出せないとのことであったが、
具体的に何ができるかを、
考えていくことが、
課題とのこと。
明らかに、今までの学習会とは違う、
非常に深いテーマであり、
色々と考えさせられた。
護憲派には、たしかに、
9条を魔法の呪文のように唱えていれば、
それで平和なんだと言う人も、
一部にはいらっしゃる。
しかしながら、現実には、
そうはいかない。
前述のように、
実際、戦後は9条平和主義と言いながら、
アメリカ軍と自衛隊という、
軍事力によって、
虚構の平和が続いてきた。
だから、実際に今、
それが真の平和だと勘違いし、
アメリカと軍事力に頼ることを支持して、
改憲派が多くなっている。
いっそのこと、憲法の方を、
実態に合わせて改正してしまおうとか、
9条の平和理念の実現など非現実的だと放棄して、
軍事力による平和が現実的なんだとか、
もっと強大な軍事力を持って、
自衛戦争によって国を守ろうとか。
しかしながら…
この戦後憲法が制定された背景には、
戦前の日本が保有した、
強大な軍事力によって行ってきた、
数々の侵略戦争や植民地支配--
日清戦争、日露戦争、
日中戦争、太平洋戦争…
北海道に対する蝦夷地併合、
沖縄に対する琉球処分、
朝鮮に対する韓国併合、
旧・ソ連に対するシベリア出兵、
中国に対する満州事変…
軍国主義と帝国主義によって、
国内外問わず、
犠牲になった多くの命、
侵害された数々の人権…
その反省に立って制定された戦後憲法の、
平和や人権や福祉の理念を、
否定するということは、
過ちを繰り返さないと国際社会に誓い、
ここまで歩んできた平和国家として、
決して、許されないことであろう。
だから、戦後憲法の、
平和理念を護って、
現実的に、具体的に、
何ができるかを、
考えていかなければならない。
ほんの一例になるが、
実際、社民党は、
国際紛争は、軍事ではなく、
話し合いで、平和的に解決という、
従来の平和理念を、
従来、反対派からは、
口先で理想論を言うばかりだと批判も受けてきたが、
吉田忠智党首率いる、
社民党訪中団や訪韓団を派遣し、
実際に、中国共産党の大物幹部や、
韓国の左派政党の正義党と会談し、
関係が悪化している、
中華人民共和国や朝鮮半島との、
話し合いによる平和外交を、
具体的に、実現させてみせた。
今回の画像は、荒川区役所にある、
『荒川区平和都市宣言』の碑。
…平和都市を宣言している、
荒川区の区民として、
戦後憲法が護られ、
平和・人権・福祉が大切にされ、
戦争・差別・貧困の無い、
自由・共生・平等な社会となることを、
心から、願っている。
--しかしながら…
ただ単に願うだけでは、
ただ単に憲法が改正されないだけでは、
それらは、実現しない。
微力なことでも、
そのためにできる、
現実的なことを、
具体的なことを、
考えていき、
取り組んでいきたい。
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