幸福太郎 | Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』

幸福太郎



人生再起5周年&新体制樹立1周年を迎えての、
『原点回帰キャンペーン』、第5弾…
(※2015年7月1日のブログ記事を御参照。)


第二次転落人生解放闘争勝利の、
通知が届いた日から、
ちょうど2年が経った、昨日、

苦悩の、第二次転落人生を、
共に過ごした、

前職の仕事の、

当時の通勤先の地を、訪問し、
当時の職場の方とも、再会してきた。


約4年前…

大学を卒業して就職した、
前々職の仕事を、

当時に付き合っていた彼女が、
僕の当時の職場をも巻き込んで大事件を起こし、

最低最悪な酷い辞め方で、
退職することとなってしまい…

…リベンジとして、

“同業他社(医薬品小売業)に転職し、
受験要件の実務経験を経て、

公的専門資格(『医薬品登録販売者』)の、
試験合格・取得”を、決意し、

前々職と同業他社である、
前職の勤務先に、転職したのであった。


…その後、当時の彼女は、
ニートになり、プチ家出を繰り返し、
僕に病的に依存し、

僕の日常生活や仕事を、
妨害してくるようになり…

…向き合っては、裏切られ続け、
苦悩と困難が続き、

日常生活、仕事、時間、お金、夢、
僕と関係する周りの人々も、
全てが犠牲となり…

…ただでさえ、凄惨な(第一次)転落人生からの、
孤独で壮絶な人生再起劇の果て、
築き上げた、再起後の人生は、

再びの壊滅の危機、
『第二次転落人生』へと、導かれ…


…困難な環境のなか、苦悩も抱えながらも、

当時の勤務先の皆様方に、
たくさんの支えをいただきながら、

1年後、資格試験の受験要件である、
実務経験を、満たすことができ、

残念ながら、その年の秋に受験した資格試験は、
またしても、当時の彼女が、試験前夜に、
迷惑電話を繰り返してきた、影響もあって、
不合格という結果にはなってしまったが、

全都道府県の中で、唯一、
年に2回、試験が実施されている、
富山県へ、遠征して、再受験することとなり、

年明けの冬は、失業給付を受給しながら、
資格試験の再受験と転職活動に専念し、

年度明けの春から、異業種の、
新たな仕事に、再転職をするため、

その年の年末をもって、
前職の仕事は、退職したのであった。

(※前職の仕事については、2013年12月16日、
第二次転落人生については、2014年3月22日の、
各ブログ記事を、御参照。)


今回は、前職の仕事を退職して以来、
約2年振りの、再訪・再会…

まずは、前職の勤務先の本社がある、
千葉県鎌ヶ谷市へ--

東京だが、千葉県に隣接する、東部の、
荒川区に、住んでいるため、

最寄り駅の、南千住からは、
常磐快速線で、2駅隣の、松戸(千葉県)で、
新京成線に乗り換えて、僅か18分で、

鎌ヶ谷市のターミナル駅、
新鎌ヶ谷に、到着。


前職の勤務先は、一応、プライバシー保護のため、
企業名は非公表とさせていただくが、

企業名を非公表にしたところで、何の意味もない、
鎌ヶ谷の代名詞的存在となっている、

千葉県と、隣接する東京都・東部に、
事業所を展開する、ローカル企業であり、

人生再起と共に、荒川区に移住し、
地域への想い入れが深いため、

当時は、地域のローカル企業で、
地域密着で働けることが、とても嬉しかった。


鎌ヶ谷は、長閑な風景が広がりつつも、
ショッピングモールやマンションが散在する、
郊外型の街並みの地方都市であるが、

長閑な街並みの中に、街を代表する企業として、
前職の勤務先の本社ビルが、聳え建っており、

…当時、本社での研修や講習の際には、
いつも、駅前にあるベーカリーで、
昼食用にピロシキを購入してから、
本社へ向かっていた、

懐かしい想い出が甦り、感慨深かった。


続いては、当時の配属先の事業所がある、
江東区・門前仲町へ--

同じ東京東部地域内であるため、
自宅から通勤しやすかったが、

隣接する地域であるため、
本社からも行きやすく、

新鎌ヶ谷から、新京成線で、北習志野(千葉県)へ行き、
東葉線に乗り換えて、門前仲町へ。

…実は、現在、錦糸町から、
門前仲町行きのバスで、通勤しているのだが、

終点まで行くことはないため、
前職の仕事を退職して以来の訪問である。


下町ながら、オフィス街や繁華街も混在し、
観光客やレジャー客も多い、都会的な街であり、

深夜でも営業している店も多く、

当時は、勤務時間帯(・曜日)が固定ではなく、
深夜までの遅番もあったため、

遅番の日は、深夜23:00に退勤した後、
終電までの短い時間ながら、
みんなで軽く飲みに行くことも多かったが、

今回も、当時の職場の方とは、
その方の退勤後、深夜23:00から、
再会し、軽く食事へ。


…もう、当時の配属先の事業所には、
当時に所属していた社員やアルバイトスタッフは、
異動や退職により、ほとんど所属していなかったが、

当時の職場の方の中では、数少ない、
現在も、その事業所に所属しておられる、

声優の養成所に通いながら働いておられる、
年上のアルバイトスタッフの方と、再会。


当時、在職中に資格試験に合格できなかったことが、
とても悔しかったため、

退職後、富山県の第2回試験にて合格したことや、
現在も、副業で、取得した専門資格を、
活かせていることを、話すことができ、

また、昨年末に僕が病院へ救急搬送され、
持病を抱えることになったことを、

Facebookを通じて知ったという、
一部の当時の職場の方々から、聞いていたとのことで、
とても心配していてくださり、

異動や退職をなさった方々の、
その後の動向なども、聞くことができ、

終電までの短い時間ではあったが、
とても有意義な再会であった。


…前職の仕事を退職した後は、

またしても、当時の彼女によって、
非常に大きな事件が起こされ、

ついに、当時の彼女に対し、連絡手段を遮断し、
面会も拒否するという、強硬な措置を講じ、

もはや、前々職の退職へのリベンジではなく、
当時の彼女との闘いと化した、

再起後の人生を、当時の彼女によって導かれた、
再びの壊滅の危機から護る、

第二次転落人生解放闘争が、幕を開け…


…とても、辛かった時、苦しかった時、

女性アイドルグループ、
乃木坂46と、出会い、

ピュアで感傷的な世界観が、
元気をくれて、心の支えになってくれて、

過酷な闘いを、勝利に導いてくれて…


…この、乃木坂46との、出会いも、

実は、前職の仕事が、きっかけで…

…当時、職場の飲み会の二次会のカラオケにて、
上司が御歌いになられた、

乃木坂46の、当時の最新曲、
『制服のマネキン』を、聴き、

流行りの女性アイドルグループらしからぬ、
激しく繊細な音楽性に、衝撃を受け、

女性アイドルグループでは、
唯一、例外的に、楽曲を聴くようになり…

…その後、第二次転落人生解放闘争の、
辛かった時、心の拠り所を求めた結果、

楽曲を少しだけ聴いていたため、存在を知っていた、
唯一の、女性アイドルグループである、

乃木坂46に、辿り着いたのであった。


…そして、第二次転落人生解放闘争勝利の結果、

樹立された、新体制の下、
再起後の人生は、改めて再スタートし、

彼女と別れ、新たな仕事に再転職し、
取得した専門資格を活かした副業も始め、

ソロで音楽活動も再開し、
地域での政治活動も本格化し、

乃木坂46と共に過ごす日々が始まり…

…再起後の人生は、再建されていき、
新体制も、確立されていき、

苦労が祟ってか、昨年末より、
不治の病を抱えていくことになってしまったが、
なんとか、復帰することができ、

持病と上手く付き合っていきながら、
前進していくこととなった。


前職の勤務先の皆様方に、
改めて、感謝を申し上げるとともに、

前職の仕事での実務経験を経て、
第二次転落人生解放闘争に勝利し、

護られた、この再起後の人生を、護り続け、

樹立された、この新体制の下、
前進していきたい。




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