気づいたら西新井 | Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』

気づいたら西新井



あけましておめでとうございます。


元旦は、毎年恒例、

近所にある、
素盞雄神社へ、初詣。

南千住をはじめとする、
荒川区の守り神様。


ちなみに、
素盞雄神社に祀られているのは、

『牛頭天王』という、
神様なのだが…

実は、牛頭天王は、
新羅出身。

新羅は、
現在の、朝鮮。

つまり、荒川区の神様は、
なんと、朝鮮の神様であったのだ。

韓国の済州市と、
友好都市を締結していたり、
在日朝鮮人の方々が、
多く住んでいらっしゃったり、
朝鮮総連の都本部や、
朝鮮学校があったりと、

戦後史レベルでは、
伝統的に朝鮮と関わりが深い、
この荒川区だが、

まさか、こうした、
古代文化レベルでも、
朝鮮と関わりが深いとは…


おみくじは、末吉で、

なかなか、幸先の良いことが書かれていたので、

波瀾万丈で壮絶な人生を、
長らく歩んでいるが、

悲観せず、前向きにいきましょう。


そんな僕の正月料理は、

素盞雄神社の境内の屋台の、
お好み焼きと、

自分で調理して作った、
トッポギ。

そして、夜の食事は、

牛モツと牛スジの、
ホルモン鍋。


初詣の後に、
素盞雄神社の境内の、
屋台で売られている、

荒川区が発祥の、
『もんじゃ焼き』から派生した、
お好み焼きを買って帰るのは、
毎年恒例。


加えて、昨年からは、
正月といえば、餅ということで、

荒川区と朝鮮の縁が深いことに因んで、
朝鮮の餅料理、トッポギを、
今年は、豊富に具材も加えて調理。


そして、今年は、
夜のディナーに、
牛ホルモン鍋。

知り合いの人権団体の方によると、

荒川区は、大昔に、
近江(滋賀)の被差別部落から、
差別などを理由に江戸(東京)へ移住した、
被差別部落出身者の方々が多く、

その方々の故郷で、
近江牛が特産品であるように、

食肉加工業に、
従事していらっしゃった方が多く、

荒川区には、昔、
屠殺場があった。

その方々は、普通の肉の部分は、
商品として出荷する一方で、

昔は気持ち悪がって誰も食べなかった、
牛などの腸やスジなどの内臓を、
自家消費するようになり、

元々は捨ててしまっていた牛などの内臓を
『捨ててしまうもの』という意味で、
関西弁で『放るもん』が語源で、
やがて『ホルモン』と呼ばれるようになり、

部落差別という人権侵害と闘いながら、
ホルモン食という、
被差別階級の誇り高き伝統的食文化を、
築いていった。


こうして、
5年半前の人生再起から移住した、
荒川区と、関わりが深いもので、
新年の幕開けをし、

毎年、初詣の際に、
素盞雄神社で賜る御札を祀る、
プチ神棚に、

毎年、南千住駅前の、
スーパーマーケット・Santokuで購入する、
鏡餅と共に、

元日のブランチとディナーで食した、
3つの料理を、

しっかりと、お供え。


そして、画像に、
もう一つ、御札が祀られているのを、
ご確認いただけると思うが、

元日の午後は、

お隣の足立区にある、
西新井大師へ、

厄除けをしに行ってきた。


4年前から2年前まで、
僕は厄年であったのだが、

4年前、前厄の年に、
厄除けに行かなかったところ、

その年は、
物凄く恐ろしい一年と、
なってしまったため、

3年前、本厄の年の正月、

宗教には無関心な僕が、

仏教の厄除けの世界へと導かれた。

関東の厄除け三大師(佐野・川崎・西新井)のうちの一つが、

ちょうど、西新井という、
とても近く身近な場所にあるということもあって、

本厄であった3年前に、
初めて西新井大師へ、
厄除けに行き、

それ以降、
おととしは、後厄の厄除け、
昨年は、御札を納めに、

毎年、西新井大師へ行っていた。


今年は、厄年は既に過ぎ、
手元に御札もないが、

昨年の終わりに、
倒れて救急車で運ばれ、
緊急長期入院となり、

一生治らない大きな病気を、
抱えて生きていくことになってしまったため、

病気という厄を除けに、
厄除けに行ってきた。


厄年でない場合は、
御題目が選べるのだが、

言うまでもなく、
チョイスしたのは、

『当病平癒』。

まぁ、治ることはない病気なのだが、

進行しなければ、
普通に生活はしていけるので、

進行しないようにという意味で。

当病平癒だけが僕の願いではないが、

他のことは、
自分の努力で、どうにかなる。

この病気だけは、努力では治らないし、

そして、現状、

波瀾万丈で壮絶な人生を歩んできたが、

その苦労の甲斐があってか、

病気さえなければ、

一通り、築き上げた基盤の下で、
前進していくのみという状況にまで、

築き上げることができている状況にあるため、

もう今回は、
当病平癒しかないと。


厳かな御堂の中で、

僧侶の方々が、御経を唱えながら、
様々な神聖なる儀式を執り行い、

厄除けを受ける側も、
御経を唱えたり、
合掌をして瞑想をしたりして、

儀式が終わると、
心が優しく解されるような、
ありがたい御言葉もいただいて、

御札を賜り、厄除けを終えた。


境内の出店の屋台で、
甘酒を飲んで温まり、

真冬にしては暖かい日差しの下、

広大な快晴の青空を眺めながら、

厄除けで悟りを開いたような心で、

西新井の郊外にある舎人公園を、
少しだけ、一人散歩。


そう…

こうして、なぜか、毎年、
西新井大師へ行った帰りには、

真っ直ぐ帰らず、
散歩をして帰る。

しかも、西新井の市街地ではなく、
人の少ない郊外へ。

3年前、初めて厄除けに来た際、
当時付き合っていた彼女と、
西新井大師で合流をして、

西新井の郊外にある、
しゃぶしゃぶの食べ放題のお店で、
一緒に食事をして、

近くにあった、
日暮里・舎人ライナーの、
西新井大師西駅から、
一緒に帰ったのが、始まり。

その駅名とは裏腹に、
西新井大師西駅は、
西新井大師や市街地から若干離れていて、

郊外なので人が少なく、
都内23区とは思えない、
広々とした歩道や緑地が広がっていて、
良い散歩スポットなので、

その翌年、おととしも、
『今年も、ちょっとあっちの方まで、
散歩して帰ろうかなぁ…』と、
西新井大師西駅方面へ歩いていき、

そのまま、日暮里・舎人ライナー沿線に北上し、
気づいたら、舎人公園の方まで、
1時間ぐらい歩いてしまい、

昨年も、御札を納めに行った帰りに、
同じ感じで歩いていき、

昨年は、舎人公園をも越え、
沿線で最北端の、
見沼代親水公園まで行ってしまった。


今年も、同じように、
新年の西新井の郊外や舎人公園の、
一人散歩を長々と楽しみたかったが、

まだ持病が落ち着いていないこともあり、
寒い中を長時間歩くのは、
まだ控えたほうがいいので、

西新井大師西駅から、
日暮里・舎人ライナーで、
見沼代親水公園まで行き、

舎人公園まで、30分ほど散歩し、

舎人公園から、
足立区民バスで西新井駅へ戻り、

電車で、南千住へと、
帰っていった。

こうして、今年も、
無事に、僕の正月は、
終わったのであった。


引き続き、人生再起5周年の、
原点回帰キャンペーンが続くと同時に、

2年前に樹立した新体制から、
始動・再開し、
前進してきた活動や仕事も、

引き続き、さらなる前進のため、
一生懸命、頑張っていく。

そして、抱えて生きていくことになった、
一生治らないこの病気と、

上手く付き合っていく。


2016年…

引き続き、

独自の哲学と、
世界観を。




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