村まつり | Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』

村まつり



人生再起5周年&新体制樹立1周年を迎えての、
『原点回帰キャンペーン』、第1弾…
(※7月1日のブログ記事を御参照。)


…凄惨な、(第一次)転落人生により、
失ってしまった、“故郷”、

埼玉県上福岡市へ、

故郷での一番の想い出の日である、
今日(日付変更前)まで、1泊2日で、

奇跡の再訪を果たし、

失ってしまった、輝かしい青春と、
平穏な人生を、共に過ごしていた、

中学時代の友人達や、
生家の家族とも、

奇跡の再会を果たした--


埼玉県上福岡市は、

群馬県(西部)に近接する、
県北西部の田舎町で、

田園風景が広がり、大きな川が流れ、
遠くに山が見え、田舎ではあるが、

地域圏の中心的な地方都市である、
川越市に、隣接しているため、

川越郊外のベッドタウンとして、
住宅街も散在している。


まずは、東京駅へ向かい、

東京から、新幹線(上越新幹線)や、
長距離列車(東北線)で、遥々と、
(※今回は、時間の都合で、新幹線に乗車)

埼玉県の最大都市、大宮へ。

大宮からは、川越を経て、高麗川へと向かう、
4両編成・1時間3本のみ運行の、
故郷の地域圏を走るローカル線、

川越線に、乗車。

ちなみに、この川越線の、
下り方面の終点、高麗川からは、

県内で最も山奥の、秩父地域へ向かう観光列車、
秩父線の玄関口である、寄居を経て、

県境を越え、群馬県の、
藤岡を経て、倉賀野へと向かう、

1両編成・1時間1本のみ運行の、
県内で最もマイナーなローカル線、
八高北線が走っており、

この地域は、秩父地域ほどの田舎ではないものの、
秩父地域とは違い、観光地でもないため、
県内でも、最も閑散とした地域である。

故郷へ向かう列車の中で、
故郷の近くの群馬県藤岡市が地元である、
ロックバンド、BUCK-TICKの、

中学時代の一番の想い出の曲である、
感傷的なビートロックナンバー、『FLY HIGH』を、
iPodで聴きながら、懐かしさと感傷に浸り、

川越の1駅隣、川越市の郊外にある、
田園地帯に囲まれた小さな駅、

南古谷で、下車し、

南古谷駅から、バスで約10分…

上福岡に、到着。

到着先のバス停には、
南古谷駅行きのバスのバス停の他、
地域電車の越生線の停車場もあり、

ここから市役所へ向かう大通りには、
商店街や団地があり、
中心市街地となっている。


…この町で、僕は、生まれ育ち、

幼い頃から、個性的な部分があったり、
ビジュアル系のロック音楽が趣味で、
中学時代からバンド活動を始めたりもしていたが、

約11年前、中学時代までは、
勉強ができ、部活にも励み、学級委員も務め、
友達も多く、真面目で明るい性格で、

家族や友人達と、
平穏な人生を送っていた。

(※故郷で過ごした中学時代については、
2012年3月11日(部活のエピソードが中心)、
2014年8月31日(初恋の想い出)の、
各ブログ記事を、御参照。)


しかしながら…

高校時代、色々とあって、不登校になり、
学力は低下し、生活も乱れ、心身共に不調となり、
日常生活も疎かとなり、人として落ちぶれていき、

高校は、故郷と同じ県内だが、
違う地域圏(南西部)で、離れてはいたものの、
当時の家族との関係も悪くなってしまい、
中学時代までの友達とも気まずくなってしまい、

凄惨な、(第一次)転落人生に、見舞われ…


…約7年前、大学1年生の秋、

(遠距離通学をしていた、栃木県に近接する、
隣県(群馬県(東部))の、大学の近くの、)
故郷と同じ県内だが、全く真逆の地方(北東部)へ、

家出をしての、

孤独で壮絶な、人生再起劇が、幕を開け…

…故郷も、友人も、家族も、
そして、自分自身さえも、

何もかも、全て、
失ってしまったのであった…


…しかしながら、その後、

(大学の所属学科のキャンパス移転に伴い、)
上京もして、各地を転々としての、

大学に通いながらの、
生活費や家賃や学費のための、
アルバイトもしながらの、

1年9ヶ月にも及んだ、人生再起劇の果て、

人生再起を、成し遂げ、

新たな地に移住・定住し、
新たな自分自身として、 

新たな人生を、スタートさせ、

その後、悲しいことに、付き合っていた恋人によって、
再びの人生壊滅の危機、第二次転落人生にも導かれるも、

過酷な闘いに勝利し、樹立した新体制の下、
改めて再スタートを果たし…

…こうして、失ってしまった、故郷へ、
奇跡の再訪を、果たすこととなった。


そして、個人的に想い入れ深い日であるため、
今日までの2日間に、故郷を訪問したのだが、

今回は、ちょうど、この2日間が、
土日と重なっていたということもあり、

仕事が休みの人が多かったため、

中学時代の友人達と、
奇跡の再会を果たすこともでき、

さらに、故郷には、
生家があるということもあり、

せっかくなので、生家に、
宿泊させていただき、

生家の家族とも、
奇跡の再会を果たすことができた。


中学時代の友人達とは、

友達が多かったことを証明するかのように、
今回は、2日間で、なんと、

3組ものグループと、
それぞれ再会することとなり、

早朝に出発し、昼下がりに故郷に到着し、

午後に、1組目のグループと再会し、
町を散策し、

夕方に、家族と再会し、
ファミレスで食事をし、

深夜に、2組目のグループと再会し、
カラオケで飲み会をし、

翌早朝から翌日の昼まで、
生家に宿泊し、睡眠をとり、

翌日の午後に、3組目のグループと再会し、
喫茶店でランチをし、

夕方前には故郷を出発し、深夜に帰宅という、

なかなかのハードスケジュールとなり、

…中学卒業以降の波瀾万丈な境遇ゆえ、

当時とは別人の、繊細な性格に、
変わり果ててしまった僕だが…

…輝かしい青春を過ごしていた中学時代に、
タイムスリップしたかのように、

当時と同じように、友人達と、
明るく、楽しく、素敵な時間を、
過ごすことができた。


生家の家族とは、

幼かった頃に、家族と、
中学時代には、友人達と、
高校時代から家出までも、一人で、
よく外食に行っていた、

故郷の地域圏の地方ローカルチェーンの、
ステーキファミリーレストラン、
『ステーキのどん』へ、食事に行き、

幼少期から、お子様ランチには目もくれず、
好んで食べてきた、『ミックスグリル』を食べながら、
(※ビーフ・ハンバーグ・チキンのステーキ盛り合わせ)

会話を交わし、

…家出した当時、

家族や友人達には、
家出の本当の理由は話せず、

『学校が遠いから、下宿する』と、
嘘の理由を話し、

家族の同意も得られないまま、
家出することとなってしまったということもあり、

両親の中では、その当時の僕のままで、
時間が止まっているようで、

自然と、不登校であった、
高校時代の話題にもなったのだが…

…『もう何年も昔のことだから、
理由は聞かないけれど、

あんなに行かなかったってことは、
学校で何かあったんでしょ?』と、

約9年もの時を越えて、母が、

僕の高校時代の不登校に対して、
理解を示す言葉をくれて、

無口で何も喋らないけれど、
とても優しい、父は、

その隣で、優しい表情で、
何も言わなかった。


…こうして、故郷で、
友人達や家族と再会を果たし、

楽しい時間を過ごしたり、
会話を交わしたりして、

改めて、想った--


…あの、高校時代の、
凄惨な転落人生さえなければ、

今も、この場所で、あの頃の僕のまま、
こうして、みんなと、

変わらず、平穏な人生を、
送っていたはずであったのに…

…非常に、心苦しい。


…失ってしまった、かけがえのないものの、
犠牲を、無駄にしないためにも、

過去の惨禍を、繰り返さず、

この再起後の人生を、
護り続けていきたい。




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