親善アイランド
人生再起5周年&新体制樹立1周年を迎えての、
『原点回帰キャンペーン』の、幕開けとして、
(※前回のブログ記事を御参照。)
再起後の人生を生きてきた地である、
荒川区と、所縁が深い地を、訪れてきた。
訪れたのは…
大韓民国・済州(チェジュ)市--
荒川区は、朝鮮人の方々が、非常に多く居られ、
朝鮮市場や朝鮮学校、
朝鮮総聯・東京都本部もあり、
朝鮮語や朝鮮文字が街中に溢れ、
朝鮮文化が身近な街であるのだが、
荒川区の朝鮮人の方々の多くは、
済州の御出身であり、
荒川区は、韓国の済州市と、
“友好都市”提携も締結しており、
荒川区役所には、友好の証として、
済州市から寄贈された、済州の伝統的な石像、
『トルハルバン』が建立されており、
済州は、荒川区民の、
故郷とも言える地である。
また、済州は、約67年前、
後に韓国政府となる、
アメリカ軍政統治下の南朝鮮の、
後に民主化までの軍事政権となる、
当時の政権により、
住民への大虐殺が行われた、
『済州4.3事件』が起きた、
悲しい政治的歴史がある地でもあるため、
地域で行なっている、政治活動も兼ねて、
関連する資料館等の、視察も行うことに。
…こうして、休暇を取得し、
人生再起記念日の前日、2日前から、
1泊2日で、済州へ。
前回の訪韓では、国際空港ではないが、
国際化が推進されている、羽田空港から、
韓国の首都、ソウルへ行ったが、
(※前回の訪韓については、
2012年3月29日のブログ記事を御参照。)
今回は、地方都市ということもあり、
羽田空港からの直行便はないため、
成田国際空港を、
利用しなければならない。
しかしながら…
成田国際空港は、農民の土地が奪われ、
建設が進められてきた空港であり、
現地の農家や住民の方々による激しい反対運動や、
一部の過激派によるテロ事件など、
『三里塚闘争』を引き起こさせたという、
政治的理由に加え、
日本植民地時代の朝鮮の済州からは、
大阪へ行く船が運航されていたため、
荒川区の朝鮮人の方々の中には、
済州から、大阪を経由して、
荒川区へ来られた方も多かったという、
歴史的背景も鑑みて…
…今回は、成田国際空港ではなく、
なんと、わざわざ、大阪へ行き、
関西国際空港から、
済州へ行くことに。
さらに…
前回は、フリープランながらも、
一応、旅行会社のツアーを利用したが、
今回は、航空券も、宿泊先も、保険も、
直接、個人で、手配し、
朝鮮語は、基本的な旅行・日常会話が解る程度だが、
現地では、自力で、全てに対処しなくてはならず、
外国へ渡航するというのに、
荷物はリュックサック1つだけと、
なかなか挑戦的な旅にもなった。
2日前、1日目…
よく利用する安価な夜行高速バス、
オリオンバスで、前夜のうちに、大阪へ向かい、
当日の朝、関西国際空港から、
現在、日本から済州への直行便を、
唯一、運航している、
韓国の旧・国営航空、大韓航空の、
飛行機に搭乗し、済州へ。
隣国で、より近い大阪からであったため、
所要時間は、僅か1時間半で、
短い時間ではあったが、
機内食も付いていた。
午前中に、済州国際空港に、到着し、
まずは、タクシーで、約1時間…
済州4.3事件に関連する、
『済州4.3平和公園』へ--
『済州4.3事件』とは、
約67年前、1948年4月3日、
旧・大日本帝国による、
植民地支配から、解放された後、
北は、共産主義の、
旧・ソビエト社会主義共和国連邦に、
南は、資本主義の、アメリカ合衆国に、
軍政統治されていた、朝鮮で、
後に韓国政府となる、南朝鮮の、
後に軍事政権となる、当時の政権が、
朝鮮を南北に分断してしまう、
南朝鮮単独での独立に、
反対した、済州の住民に対し、
弾圧の対象としていた、
『ソ連・北朝鮮の協力者』、
『共産主義者』と見做し、
大虐殺を行なった事件である。
公園内には、犠牲者の名前が刻まれた墓石が、
虐殺された人数分、一面に広がっており、
非常に、衝撃を受け、
併設の資料館では、事件について、
心が痛むほどに、詳しく知ることができ、
民主化前の韓国の軍事政権の、
恐ろしさを、痛感し、
民主化を果たした韓国の、
民主主義の存続・発展と、
朝鮮南北平和統一を、願った。
ここからは、バスで移動。
済州には、鉄道は通っていないが、
代わりに、バス路線が充実しており、
運賃の支払いには、
前回の訪韓の際に入手し、
ソウルの鉄道で使用した、
交通系電子マネーカード、
『T-Money』が、
済州のバスでも使えるため、
コンビニでチャージし、
今回も使用。
済州4.3平和公園視察後は、
観光路線バスで、済州バスターミナルへ。
この移動の際にしか乗車しなかったが、
5000ウォン(約600円)で乗り放題の、
様々な観光地を巡る、お得なバスであった。
済州バスターミナル到着後、
待合室内の食堂で、昼食。
『コギグクス』という、
豚肉が乗った温麺を、注文。
豚肉が、よく食される、
済州の、郷土料理で、
豚肉や豚骨スープの素材の旨味に、
唐辛子の辛味やゴマの香味も効きつつ、
あっさりとしていて、食べやすかった。
昼食後は、郊外へ向かう、
市外バスに、乗車。
市外バスは、運賃一律ではないが、
降車時に精算ではなく、
乗車時に、行き先を申告し、
先払いをするシステムなので、
行き先のバス停名を、
正しい朝鮮語の発音で伝え、
運賃の金額を朝鮮語で聞き取り、
支払わなくてはならないうえ、
郊外へ向かうローカルなバスということもあり、
外国人観光客向けでもないため、
乗車の難易度は、少し高めであった。
続いて、東部の朝天(ジョチョン)地区にある、
『済州抗日記念館』を、視察--
…戦前の日本、旧・大日本帝国による、
朝鮮植民地支配に対する、
済州での、朝鮮独立運動に関する、
資料が展示されており…
…日本人として、戦前の軍事帝国主義と、
過去の朝鮮植民地支配を、心から反省し、
戦後の平和主義と民主主義を、
護っていかなければならないと思った。
視察後は、運賃一律1200ウォン(約144円)の、
市街地を走る、市内バスに乗車し、
『東門(トンムン)市場』へ。
農産物や海産物などの市場と共に、
洋服や生活雑貨や土産物のなどの露店や、
軽食の屋台などが並ぶ、大きな商店街で、
夕食に、ホットック(餅粉のパンケーキ)や、
砂肝の唐揚げなどを、屋台で食べ歩き、
物価が安いため、御土産も安く購入でき、
済州バスターミナルへ戻り、
近くの、宿泊先に、チェックイン。
今回は、『ゲストハウス』に、宿泊。
ゲストハウスとは、
大きめの戸建住宅を、
宿泊者同士が共用して宿泊する、
安価な宿泊施設で、
基本的には、一つの部屋に、
複数の宿泊者が、共同で宿泊するのだが、
宿泊したゲストハウスには、
ビジネスホテルのような、
ユニットシャワー付きの個室があり、
宿泊料金は少し高くなるが、
ビジネスホテルよりは安いため、
泊まり心地の良い、
個室で、宿泊。
ゲストハウスには、
初めて泊まってみたが、
共用のリビングには、
キッチンやソファーがあり、
夜は、冷蔵庫の中のドリンクを、
1本サービスで、飲むことができ、
シャワー後に、冷えた、
済州の名産品である、みかんを使った、
オレンジジュースが、とても美味しく、
ソファーでは、宿泊者が、
それぞれ、くつろぎながら、
テレビを観たり、複数人で会話をしたり、
一人で読者をしたりなど、自由に楽しんでおり、
朝食は、キッチンで、宿泊者が、
パンや卵などを、自分で調理し、
食後は、食器も、自分で洗い、
洗濯も、業務用のコインランドリーではなく、
生活家電の洗濯乾燥機が備え付けられており、
自由に使うことができ、
ゲスト“ハウス”の名の通り、
“家”で生活するように過ごす宿泊施設で、
なかなか面白い体験ができた。
翌日、昨日、2日目は、
市外バスで、西部にある地区、
『高内里(コネリ)』を、訪問--
荒川区の朝鮮人の方々の多くは、
この、高内里地区が、故郷であるのこと。
市街地から離れた郊外ということもあり、
南側には、雄大な山(漢拏(ハルラ)山)が聳え、
北側には、綺麗な海が広がり、
周囲には、長閑な草原が広がる、
とても自然豊かな場所であった。
1日目は天候が雨であったのだが、
2日目は快晴であったということもあり、
空気も綺麗で、居心地が良かったので、
長閑な景色を眺めながら、
iPodで音楽を聴きながら、
2時間ほど、ウォーキング。
…日本での旅と同じことを、
外国の地方都市でもやっている僕…(笑)
昼下がり、空港へ戻り、
空港内の食堂で、昼食に、
ヘムルスンドゥブチゲを、注文。
海に囲まれた、済州ならではの、
アサリやタコやカニなど、
海鮮が入った、豆腐鍋で、
素材のエキスと唐辛子が効いた、
濃厚な旨味と辛味のスープの中に、
メイン具材の豆腐と、卵も加えられ、
マイルドな味わいも感じられ、
とても美味しかった。
帰りは、離陸した飛行機の窓から、
遠ざかっていく済州の地を眺めていたら、
なんだか、寂しくなってしまった(笑)
前回は、ウォン安で、1万ウォン=800円で、
今回は、ウォン高で、1万ウォン=1200円と、
少し割高にはなったものの、
それでも日本に比べれば、
さらに地方都市ということもあり、
物価は安めで、お得に旅をすることができ、
前回に訪れた、大都会のソウルとは違い、
自然豊かな地方都市の済州は、より居心地が良く、
今回は、個人手配で、不安もあったが、
より自由に、様々な経験をすることができた。
今回は、訪問理由もあり、
旧来の済州の街を訪れたが、
済州は、韓国最南端の島、済州島にあり、
温暖な気候で海が綺麗な南の島ということもあり、
日本の沖縄やアメリカのハワイのような、
リゾート観光都市として、再開発もなされているため、
観光都市として新たに開発された、
新済州(シンチェジュ)地区や、
北部の済州市と共に、済州島の都市である、
南部の西帰浦(ソギポ)市の、
リゾート地として再開発された、
中文(チュンムン)地区などにも、
今度は、一人ではなく、誰かと一緒に、
1泊2日ではなく、のんびりと長期、
訪問や視察ではなく、旅行で、
機会があれば、
訪れてみたいものだ。
戦前は、日本から、植民地支配され、
戦後は、自国の韓国からも、迫害され、
植民地支配下、日本に移住することになるも、
戦前は公的に、戦後も社会的に、差別され、
困難な境遇に苦労しながらも、
少数民族として、
荒川区で生活なさっている、
済州出身の朝鮮人の方々…
…そんな、荒川区に、僕も、
凄惨な(第一次)転落人生により、
何もかも全てを失い、
孤独で壮絶な人生再起劇の果て、
奇遇なことに、辿り着き、移住し、
困難な境遇に苦労しながらも、
個性的に生きている。
同じ立場の区民として、
共に、人権を護っていき、
荒川区で、再起後の人生を、
生きていきたい。
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