気づきの瞑想。。きっかけ | なにげない日々の風景。

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描いた絵、家の動物のこと、健康に良さそうなこと、
一個人の日々のできごとなどをのんびり綴ってゆこうと思います

気づきの瞑想(ヴィパッサナー瞑想)のことを書こうと思います



気づきの瞑想をやろう!と思ったきっかけは1冊の本です


「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方  カンポン・トーンブンヌム著

amazonでも購入できます


という本を読んで私もやってみようと思いました


それまでヨガを習ってたときに自分を観察するのは面白いなと

思ってたのですがこの本はさらに後押ししてくれました


本の著者は大ケガで障害を負いながらも「気づきの瞑想」を自分のものとし、

感情、体や心の苦しみから解放されてゆきます。

その体験が読んでいてあまりにも素晴らしかったニコニコ



普段、自分のからだや感覚、感情、思考に気付く、ということは

あまりないとおもいます



私は感情に支配されたらされっぱなし 怒ったら怒りの中に巻き込まれる。。

あるときは悲しみに暮れ、恐怖のどん底に落ちる。。

また喜びにただ舞い上がって周りが見えず また新たな喜びを

求める。。それの繰り返し。。

何一つ「自分」を客観的に見ることができていないなと思いました



本の著者は気づきの瞑想が熟達するにつれて自分の中に

「大きくて広い居場所ができたように感じた。とても気持ちよく安らげる場所です」

といってます。どんなに悲しいことがあってもそこに立ち戻ることができる、

というのです



私もそんな安心できる居場所を見つけたいと思いました

もう感情に体に心に振り回されるのはイヤだ!と思ったのです

それで自分を観察してみようと思ったのが始まりです



ヨガをやっているとき、ゆっくりした動きを観察するととても面白いです

ヨガは「観察」が第一番の目的だと別の本にもありました ナットクできます


体の動き、ひとつとっても自分の意志が動かしているのはほんの少しだけです

おおざっぱに命令するだけ。その動きを成し遂げるのに自動的に様々な動きが

なされます

食べているとき、自分の意志で口を動かしていると思いますか?舌はどうですか?

舌の動きはほとんど自動的に食べ物を左右に回すように混ぜながら動いています


--ということに今まで気づきませんでした

体は自動的に動いていて全然意志はついていってませんあせる


何をするでも、です。立ち上がるとき、足の裏に重心がかかるけど

微妙に体全体でバランスをとっています。両手も腰も頭の位置も。


からだってすごいです。ほとんどが自動的なんですよ-目



あと、本当に勝手に思っていたのですが「観音」「観世音」「観自在菩薩」

って「音を観る」「世の音を観る」「自分が在るのを観る」と書いてあるので

これをやると観音さまに近づけるのかな-?など勝手に思っています




ヨガや坐禅をやっている人だったら気づきの瞑想はかなりされていると思います。

私はまだまだですが次からはこのカテでは体一つ一つの観察を書きたいと思います