先週からすっかり更新をお休みしておりました。


その理由と、ご報告を。


先週金曜日の夜、わが家の長にゃん・けろさんが


亡くなりました。


2月終わりに17歳になって、たった1ヵ月


昨年から甲状腺、腎臓、肥満細胞腫と


いろいろな問題が起こり、通院を繰り返して闘病してきましたが


とうとうお別れのときがきたのです。


かれこれ半年以上毎日8錠もの薬を飲みながら


少し持ち直したり、また悪くなったり


食事も少しずつを1日に10回近くに分けて、


それでも最後まで自力でご飯を食べ、トイレにも行ってました。


でも3月に入ってからかなり病状は悪化し


点滴も1日おきになり、


先週水曜日の夜に急変


朝方に救急病院に飛び込み、数時間後に帰宅。


運悪くかかりつけの病院は休診日だったので


電話で先生とやりとりをしながらなんとか自宅で対応。


ワタシがfaceの生放送に行ってる間は旦那さんにみてもらい


生放送終了後に大急ぎで帰宅し、駆けつけてくださった主治医のもとへ。


なんとか最後の可能性にかけようと話し合い


できることはやって、帰宅、ひと晩じゅうつきっきりでした。


金曜日の朝、また主治医のところへ行き、数時間の点滴。


でも、今回は効果はみられず


もうこれ以上は頑張らせなくていいのではないか、と


最後のときはゆっくり自宅で、と決めて連れて帰りました。


自宅に戻ってからはずっと隣にいて、ただただ話しかけていました。


けろさんは小さいころからおしゃべりで


ホントにいつもよくワタシに話しかけてくれました。


最後もやっぱり、声にならない声で返事をしてくれてました。


また必ず会おうね、また一緒に暮らそうね


そう言ったら、もう首も動かせず声も出ない状態なのに


ちゃんと瞬きをして、口を開けて「ひゃあ」と息を吐いて


返事をしてくれました。


痛がらず、苦しまず、静かな最期だったと思います。


最後の最後にした呼吸のときは


大好きな抱っこをせがむしぐさで


ワタシの腕をぎゅっと引き寄せて


「ひゅう」を息を吸い、吐き、ワタシの目を見つめたまま


動かなくなりました。


4月3日金曜日 夜9時半でした。




金曜日、ワタシがけろさんのそばにいたいと言ったら


ちび鉄たろうくんは「うん、わかった」と言って


ほとんどワタシにかまわず、ひとりで過ごしてくれました。


もちろん朝の登園、午後のお迎えはいつもどおり行きましたが


帰宅後はひたすらけろさんの隣で泣いていたワタシ


ちび鉄たろうくんは、けろさんが逝ってしまう悲しさよりも


母親が見たこともないくらい憔悴しきった状態で


ただただ泣いている、という状況にショックを受けていたと思います。


息をしなくなったけろさんを抱いてわんわん泣いているワタシのそばにきて


「かか、かなしいの? さみしいの?」


そればかり言ってました。


でも、動かなくなったけろさんを撫でながら


「いっぱい生きていてくれてありがと」


そう言ってくれました。


それからしばらくして旦那さんが帰宅


どうしてもワタシとでなきゃお風呂に入らないと言うので


旦那さんにけろさんのそばにいてもらい、ちび鉄たろうくんとお風呂に。


お風呂の中で「かかにおはなしがある」というので聞いてみたら


「かかに、楽しいこともいっぱいあるよって教えたいの」


そう言われました。


4歳児なりに、悲しむばかりの母親を精一杯気遣った


とってもやさしいことばだと思います。


そして、まだ4歳の息子にそこまで思わせてしまった


ただ悲しむばかりではいけない、反省、気づかされました。



日曜日の午後にけろさんの葬儀。


立ち会って火葬したので、ちび鉄たろうくんも


一緒にお骨を拾いました。


土曜日のハピリーを終えて帰宅してから


けろさんのカラダが冷たくなり、


硬直が解けてまた柔らかさを取り戻していく様子、


すべてをちゃんと見てもらい、触れてもらい、


あらゆることを話しました。


そのときに火葬の意味や葬儀のことも説明し


参加するかどうか本人の意思に任せましたが


「けろの最後をちゃんと見る、骨も見る」


そう言ったので、家族で見送ることにしたのです。


けろさんの骨はホントにキレイでした。


標本のように細かいものまでしっかり残り


ひとつひとつ斎場のかたがしっかり説明してくださったので


ちび鉄たろうくんもちゃんと理解できたと思います。


「ちゃんとけろの骨をおうちに連れて帰ろうね
 かか抱っこしてあげてね」


そう言いながらまだまだ使いこなせない箸で


一生懸命いくつかの骨をちゃんと拾ってくれました。


いま、けろさんはリビングにいます。


たくさんの写真、花に囲まれて


ぶーさん・ジャムちゃん・たんちゃんがいるわが家に。


ワタシはまだ何をしても涙が流れてくるし


旦那さんやちび鉄たろうくんに「大丈夫?」と聞かれても


「全然大丈夫じゃない」と答えるばかり。


いつ大丈夫になるのか? 


この先ずっと大丈夫になる日なんてこないんじゃないのか?


さみしくて、かなしくて、けろさんに申し訳ないことだらけで


そして、感謝ばかりで


でも


こうやって泣いているあいだもちび鉄たろうくんや


ぶーさんやジャムちゃん、たんちゃんはお腹をすかせ


トイレに行くと声がかかり、家の中を散らかしたりする。


ワタシの日常は容赦なく流れて行く。


ワタシの日常には、まだ多くの守りたい命がある。


だから、いつまでも悲しんでいるだけではいけないんだよね。



ここにきてくれるみんなからも


たくさんのけろさんへのことばをもらってきました


ホントにありがとう。


17年、ワタシのところにきてくれてからずっと


ことあるごとにラジオでネタにされw


みんなにも愛してもらったにゃんこでした。


ワタシの東京での生活すべてをそばで支えてきてくれた


けろさん。


さいごまでワタシに手をかけさせない、できすぎた子でした。


人間の子供みたいに抱きついてくるあの感触が


もうここにないことはまだ現実じゃないみたいで


かなしい、さみしい、そんな言葉しか出てこないけど


しばらくは泣いて暮らします。


それでいいと思ってます。



それと


こういう状況ではあったけれど


マイクの前では、


生放送は、番組は、いつもどおりに


そのために打ち合わせ時間を短くしてもらって


少しわがままを言わせてもらいました。


多くを聞かず、言わず、いつもどおりにいてくれた


face-とハピリーのスタッフみんなに


心から感謝しています。






華やかな新年度、個人的なご報告でごめんなさい。


読んでくれてありがとう。






               たま