書こうかどうしようか迷ったのよ。


3月11日


みんながいろんな言葉で思いを語ってる。


そんな日に、自分はどんなことを?


4年前の大震災のとき


ワタシは出産後2ヵ月しかたってなくて


すべてがいっぱいいっぱいだった。


でも、大事な宝物である息子を抱いていたからこそ


何かをせずにはいられなくて


絵本作家のとりごえ まりさんと一緒に


「まもってあげる」という絵本を作った。


このブログのトップページにもずっと置いてあります。


4年


あのときやっと首が座ろうとしてた赤ちゃんは


いまやワタシの頼もしい鉄活のパートナーであり


見事に言葉を操る4歳児になっている。


3歳半を過ぎたころから


「ニュース」というものに興味を持つようになったので


少しずついろんなことを伝え初めました。


阪神淡路大震災のことも、地下鉄サリン事件のことも、


もちろん東日本大震災のことも。


最初は三陸鉄道の話から始めたんだけどね、


あの日起こったこと、失われたもの


4歳児なりに少しは理解しているようです。



そんな今日


わが家にあたらしい仲間たちがやってきました。




ものすごく私的な話でごめんなさい。


実は先月、大家さんが亡くなりました。


98歳の元気なおじいちゃんでした。


ウチはお家賃を直接手渡しするようにしてもらって


毎月少なくとも一度は、少しは顔を合わせてお話をしていました。


いつもちび鉄たろうくんのことをかわいがってくれて


「大学生になるまで住んでてよ~」なんて


そんな風に言ってくれてました。


それと、昨年末、大家さんの息子さんも亡くなったの。


奥さんは、突然ご主人とお義父さんを続けて亡くされたんです。


その奥さんと今日少し話してたら


「これ、家を掃除してたら出てきたの
 ○○くんにもらってもらえたら喜ぶと思うから。」


そういって、ホコリを被ったこの子たちを


ちび鉄たろうくんにって、譲ってくれました。


どうやら旦那さん(大家さんの息子さん)が


美術品やいろんなものを集めてらしたそうで


なぜか鉄道ものも集めてたようだ、と。


ちび鉄たろうくんは、大家さんが亡くなったって聞いた日


「かなしい」と言って泣きました。


この子たちをもらったときはすごく喜んで飛び跳ねて


「ありがとうございます!!」って受け取ったんだけど


ウチに帰ってきて、ひとつずつキレイに拭いてあげたら


ひとしきり遊んでから自分でこうやって並べて


「これ、下のじいじとおじさんの?
 もういないからくれたの?
 ぼく、大事にするね。」


そう言いました。


いまもいくつかを抱いて寝ています。




なんでこの話を書いたのかというと


何かが起こって、突然家族や友達がいなくなる


あの大震災のことを話すとき、みんながそう表現します。


そのとおりだよね。


ある日、あるとき、突然いるはずのひとがいなくなる


あの津波がさらっていった、たくさんの命


いまもまだみつかっていない方だっている


そして


あのとき、突然持ち主をなくした多くの思い出の品たちが


多くのガレキと呼ばれるものに変えられてしまった。


必死でお金をためて買った宝物だったかもしれない


伝えたい言葉をつづった手紙だったかもしれない


一生忘れたくない瞬間の写真だったかもしれない


もしかしたら、親から子へ、孫へ、


受け継がれるはずのものだったかもしれない




全部が一瞬で奪われた。



怯えて暮せと言うワケではない


でも


恐れることを忘れてはいけないと思う。


何かを失うかもしれないことへの恐れではなく


自分も


何かを残して消えてしまうかもしれない、ということ。


物質なのか? 記憶なのか? 思いなのか?


どこかに、誰かに、なにかを置いて突然


自分が消えるかもしれない、と。


そして、だから、何をすべきか。



今日たくさんのひとたちが語ったこととは


少し違うかもしれません


うまく伝わってないかもしれません


だけど、ワタシはそう思います。



毎日同じ気持ちでいることはむずかしいよね


でも、いつまでも、毎年、たくさんのひとが


自分の思いを語り、誰かを思い、誰かのために祈る


そんな日であってほしい。



あしたも目が覚めたら「今日」を始めよう。






                   たま