2章 愛するということ
博美さんが困っているなら助けになりたいし、頼ってもらいたい。
でも、物理的にも身分的にも、それが適わない。
困っていることに対して解決策を持っているわけでもないし、参っているときに側にいてあげることもできない。
丁度、年末にかけてCHEMISTRYの「My gift to you」という曲が有線やCMを通して大量に流れていた。
凍てついてる小さな手を握り締めることしか
僕には与えられるものはないけれど
いつまでも いつまでも 側に居てあげよう
それが君への僕の贈り物
与えられるものが側にいるだけ、などと言うけれど、それすら出来ない私には何もあげることが出来ない。
与えるばかりがお付き合いではないけど、何も与えられないとなると、博美さんにとって私の存在価値とは何なのだろうと思ってしまう。
何の役にも立たない、私と連絡すら取ろうとも思わない状態で、私の存在など、邪魔でしかないのではなかろうか。
部屋で塞ぎこんでいると、携帯が震えた。
自宅に居るのにマナーモードを解除していなかったらしい。
着信ランプでメールではなく通話着信であることが分かった。
博美さんかもしれない、というほのかな期待をしながら携帯を開くと知らない番号からの着信だった。
「もしもし?」
「もしもし?スターバックスの野田です」
「あぁ、先日はありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました。今、お電話大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
「遅くなりましたが先日の面接の結果なんですけども、もしよろしければ私たちと一緒に働いてもらいたいな、ということでお電話差し上げました」
「本当ですか?ありがとうございます」
「それでですね、記入していただきたい書類がありますのでまたこちらに来ていただきたいのですけど」
面接の結果が合格だった。
あれから4、5日が経過していたので半分忘れかけていた。
否、考えられるだけの余裕がなかった。
これで博美さんに胸を張って自慢できる。
自作のカプチーノを飲んでもらえる日がくるかもしれない。
夢が膨らんだ。
早速博美さんにメールを送る。
返事がすぐに返ってくることは期待しないで、半分事務的に。
「ちょっとビックリな報告したいことがあります。手が空いたら連絡ください」
予想に反してすぐ返事が来た。
「ちょっとだけだったら大丈夫よ。どうしたん?」
すぐに私は電話をかけた。
「もしもし?」
「やっほ~」
「ちょっと聞いてよ!」
「どうしたん?」
「塾以外にバイトすることが決まってん!」
「そうなんや。どんなバイト?」
「絶対博美さんも知ってる店なんやけど」
「ひょっとしてマック?」
この頃、博美さんはマクドでバイトをしていた。
スタバというよりも、そっちの方が先に浮かんだらしい。
「いや、そうじゃないけど、でも、飲食っていう面では近い」
「モス?」
「ぶっぶー」
「じゃあロッテリア?」
「んっと、ハンバーガー系じゃない」
「ひょっとしてスタバ?」
「ぴんぽーん!よく通ってる店で面接してもらって、バイトで決まりました!」
「ふふっ、そうなんや。よかったね」
案外反応が薄かった。
それほど意外でもなかったのだろうか。
自分のことで手一杯でどうでもいい情報だったのだろうか。
もう少し驚いてくれてもよかったのに。
「うん、これで中からキャラメルマッキャートって言えるわ」
「嬉しそうやね」
「うん、何かしてみたかったことがいっぱいできそう」
「あ、ごめん、キャッチが入った。友達からやわ」
「あ、いつもの?」
「うん、ごめんね」
「じゃあ、また」
「うん、また連絡するね」
せっかく話の種に、と思って頑張ってみたのに。
バイトを増やすつもりじゃなくて、ほんのノリ程度だったのに面接して、合格したのに。
でも仕方ない。
いくら付き合っているからといってお互いが同じときに同じだけ相手を必要としているなどとは思えない。
所詮は他人だから。
所詮は別々の人間なのだから。
相手を束縛する権利なんて誰にもない。
それを理解できるまで「愛」なんて言葉を使えない。
確かに私は博美さんの存在を必要としている。
何とか役に立ちたいと考えるし、必要とされたいとも思う。
でも、それは私が博美さんに依存しているというだけであって、私が甘えるときに心置きなく甘えられるように恩を売っているにすぎない、きっと。
その証拠に、私は毎日メールを途切れさせることなく送っているが博美さんからの返事がないと不機嫌になる。
「愛」は与え続けて、何も期待しないこと。
何かを期待しているうちは愛しているとは言えない。
まだ、博美さんの存在そのものを必要としているのではなくて、博美さんがしてくれることを必要としている段階。
自分がまだまだお子様であることを非常に恥ずかしく思った。
どうすれば無条件で「愛」せるのだろう。
何を悟れば「愛」という言葉を使えるのだろう。
世間では「愛」という言葉があまりにも溢れている。
大人になればそれを使えるのだろうか。
それとも、ただ軽々しく甘美な響きにあこがれて濫用しているだけだろうか。
少なくとも、私にはまだまだ使えそうにもない。