【書くこと】は、気持ちを整える作業にもなっていると感じます。


自身の小学1~2年の担任先生は、100字くらいの作文をほぼ2年間、毎日、毎日宿題に出す先生でした。


2年の最後には、それをクラスの分厚い文集にし、6年生時の卒業文集より厚かったのが記憶に残っています。


今ならスパルタなのかもしれませんが。

でも、人生の最初に、コミュニケーションとしての文章や書く楽しさを教えてくれた先生だったと思っています。


教室などの大勢の中で、意見を言うのはとても苦手だったけれど、その分、書いて、感じた事を文字化すると、先生からは赤ペンで個別に返事が返ってくる。


クラスの数名の作文を先生が紹介し、クラスメイトの新たな一面を文から知ったり、自分の文が時々、読まれたり。


読まれるのは、恥ずかしさもあるけれど、目立たない生徒だったので、認めてもらえたような嬉しさもどこかにありました。


そんなやりとりが、子どもなりに好きだったんだと思います。





今、留学生との作文添削などで、集団の授業では見えない学生の感性や意外な一面を知ることができ、楽しめる作業になっています。


照れる学生たちにも、なるべく前に出て発表まで、させるようにしています。


ブログでは、日々の主に仕事からの出来事を綴っていますが、私にとって書く事は、自分の体をピアノに見立てると【調律】に近いです。


生活している限り、【書くこと】を、自然な行為として続けたいなと思っています。


継続は力なり、より、継続は自然なり、を目指して、肩の力を抜いて~気がついたら書いて調律~を、日々の目標にしています。


🍀🍀🍀