本篇では、龍蔵著書の「新版新書」を
ご紹介いたします。
(トクシマ・ドラゴン・ブック 出版)

 龍蔵著書 「満蒙を再び探る」

この本は、龍蔵が
そのモンゴル調査を
「旅行記」的にまとめた
非常に平易で
分かりやすい一冊です。(1930年代)

「学術書」を これっぽちも
感じさせない本です。

これが龍蔵著書の特徴です。

「学問は皆のもの」
「分かりやすく書く」のは
龍蔵の学問的ポリシー であります。

かっこつけること一切なく
一見「見聞録」「旅行記」であり、
写真も満載(その時代では稀です)

まして、写真に写っているのは
ごく普通な現地住民たち、可愛い鹿・羊・・・
美味しそうなスイカ まで、

学問関連写真ももちろんあるが、
これら生活密着なものどもが
読者のこころを癒し、
現地の情景がありあり、
身近に感じさせるのだ!

なんとなく
龍蔵の旅行に同行したかのような
うきうきした旅心地になりそうだ!

「満蒙」など、古い用語だが
手直しなどしたら きりがない・・・

本は「時代もの」だから、
一切触らず、元のままにしました。
むしろそのほうが自然かも?

詳しい内容につき、
書きすぎると
読む楽しみが減ってしまいますから・・・

モンゴルは、龍蔵夫人きみ子も
多く経験しており、だから
本書は、龍蔵・きみ子の共著であります。
(400ページ くらいで、ゆっくり読む楽しみありです)

 



 表紙を見ましょう

 「満蒙を再び探る」 表紙

本書の表紙 です
明るくやさしい色です。
ラメ加工されており、光沢あって汚れにくい。

(※ 実際表紙はより縦長で
人物も横広がっていません)



  



 文字サイズ 紙の色・質を見ましょう 
(ひとページを例にいたしました)



左側は 元本、
紙はきれいではなく、文字は小さい

右側は 新書
紙は白く、文字もかなり大きい。

(※ 新書が下のため、
カメラ レンズから遠いので、
映像では文字サイズが
さほど顕著でないが、
実際かなり違います。)



  

 新書のサイズ を見ましょう:



文字拡大など加工したため
新書のサイズもそれに応じて大きく、

上  グレイの小さいほうは、元本
下  明るい色のほうは、新書

これだけ大きくなったことがはっきり見られます。
文字も、余白も大きくなり、
とても読みやすい本になりました。




本篇では、本書新書の
主には「外見」「形態」から
ご紹介いたしました、

詳しい内容は、皆さんの読む楽しみとして
「さわり」程度にいたしました、

というより
こちらの「主観」を入れないほうが、

というより、
そういうレベルの「主観」には
自信がもてないから・・・

読者の皆様におまかせいたします!




井下清 さん
その生涯 最も辛い現場

関東大震災のあと処理
大震災犠牲者たちの悲惨さは、

とても言葉では言い尽くせない・・・


その重苦しい体験 
 から、彼は
人間の「生と死」につき
全心全霊を傾け
思案したのであろう・・・

日本の「霊園」?は 

死者の「集い」?
お墓参りをするとき、
「皆さん、お邪魔します」
という気持ちで入ってゆき
焼香などをしたらすぐ?引き上げる?

その場にはとてもゆっくり
リラックスする心情にはなれない・・・

・・・・・・・・

 ところが、欧米の「霊園」?は全く別風景!

欧米調査視察した井下さんは
深く感動したのだ!

それは「公園霊園」なのだ!
緑いっぱいの美しい「公園」に
旅立った方々が「眠る」?

彼らを訪問する方々は
公園を散策しながら、
訪ねてくる・・・

そこは、生きる人々と
旅立った人々との
交流の場なのだ!

「いかがお過ごしですか?」と
お互い挨拶し、
なごやかに交流できる雰囲気、

生も死も、一緒になって
美しい緑の中で語り合い、
癒され、明るく、爽やかな
前向きの気持ちになれる・・・?

そんな「公園霊園」に
深い感銘を受けた井下さん、

 そういう緑いっぱいの「交流の場」を
日本に持ち込もう、と決意したのだ! 

 彼は、そういう「公園霊園」をいくつか
日本で現実化させたのだ!

  

その中で規模最大のは「多摩公園霊園」
そこで 緑の木々は茂り
春はさくらが満開、花見もできる

爽やかな明るい気持ちで、
訪れることができる、
そんなすばらしい公園といえるのだ!

井下さんは、自らの手で
この「公園」(このほうが適切?)を開設し、

 開設と同時、先ずは公園内に
最大の親友鳥居龍蔵 の長男
龍雄さんの 胸像つき記念碑 を建て
「若き人類学者」と記したのだ。

 龍蔵帰国後、なくなったあと、
井下さんは、
龍蔵の記念碑も、龍雄碑の隣に建てたのだ。

        ※ (本サイト にある
          
「感動の友情物語
            鳥居龍蔵と井下清」 を
           どうぞご参照くださいませ
           本サイト内右上検索をご利用ください)


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それからかなりの時間が流れ
井下さんもなくなった。


彼もまた、同じこの「公園」に眠ったのだ。

 生涯の親友 鳥居龍蔵と井下清 は
この緑茂る美しい「公園」で
彼ら共通の夢・志を語り続けているのでは?


 彼らの周囲に、木々も子鳥たちも
集まってきている・・・

彼らは語らい、木々は揺れ、子鳥は歌う・・・ 

これらは 渾然一体になる・・・

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 「ハートの人」 
鳥居龍蔵と井下清

彼らの友情物語を
この公園自体が語り続けているのでは? 
 

    
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 「霊園」 という ことば は
正直、あまり触れたくないものだ、

しかし、こころを引き裂かれるような

辛い体験をした 井下さん は

自らの「職務」の一環として
敢えて、真正面から取り組み

 「公園霊園」という「斬新」な形態を
日本上陸させたのだ!

その「開拓力」は、さすが!
鳥居龍蔵とコンビを組めたその資質が
きらきらと輝くのだ!

これまで なかったもの を
日本に持ち込み、花を咲かせる、

これは
龍蔵と別分野ながら、
その情熱・気迫・勇気は 並々ならない!

正に 「類は友を呼ぶ」?

・・・・・・・・

「霊園」
これを突き詰めれば
紛れもなく、「文化」である。

井下さん は
「公園霊園」という「欧米文化」を
日本に「移植」したのだ。

これだけでも、りっぱな「文化的貢献」

龍蔵同様、
自らの功績などを
一切吹聴しない井下さんだが

「ハートの行政人・実務家」 として
僕らに大きな「財産」を残したのだ。

これらを継承し、
大事に「育て」てゆきましょう!


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鳥居龍蔵創設「武蔵野会」 
その会誌 『武蔵野』創刊号 で

「本会(武蔵野会)の設立と
雑誌発行の趣意」
というタイトルで

龍蔵は
以下のよう簡単に述べた:

「本会の目的は
もっぱら武蔵野に於ける
自然と人文と を学び
又武蔵野に於ける
趣味を養わんとする・・・」

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この「創刊号」に
創始者の一人 井下清も
文を寄せている。

その中からも
井下さんの武蔵野への、緑への
深い愛情
が溢れ出ている、

題名: 
「武蔵野の花」

「武蔵野の春を
最も力強く彩るものとしてー桜


玉川上水小金井の
桜並木
について述べる。


また武蔵野が上古の密林から、
焼き払われ、
伐り尽くされ、
掘りおこされて、
しだいにすすき野となり、
悲しみの野となりしこと。」


・・・・・・・・・・・

井下さんは、その時から、
武蔵野の木々の悲運に
こころを痛
めており:

「焼き払い」「伐採」「掘りおこし」

などなどで、痛めつけられ、
結果
「悲しみの野」になったことを
悲しみ嘆いている。

・・・・・・・・・・・

井下さんは
そのハート
を持ち続け、

生涯にわたり
「緑を守り」「緑を作る」などの
エコ諸活動を

千辛万苦もいとわず、
働き続けた、
「ハートの行政人として」。

・・・・・・・・・・・

今日の「大開発?」
に伴う 
 「乱伐採」を

もし、井下さんが見たら、
どれほどこころを痛め 

悲しまれるのだろうか・・・


「観光大国」?に化する日本
2020年までに
「悲しみの野」にならないよう

先人たちが作った豊かな緑・樹木を
大事に守り、そのエコを継承しましょう!




本篇にある
「武蔵野」創刊号文面からも

鳥居龍蔵と井下清
2人は各自の分野を持ち

別分野ながら共に活動する
そんな非常に理想的な
協力関係にあることが
よく分かります。

彼らは別分野で大活躍し
生涯を通して
揺るぎない友情を保ち、

世のため、人のため という
共通した 大きな夢、こころざしを
貫き、生涯働き続けた。

彼らの生き様は、
今日の僕らの胸を熱くし、
こころを揺さぶるのだ・・・

「彼らは ハートの人たち」 なのだ、
と 僕は言いたい、

他のすべてをさておき として・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・

龍蔵学の特徴のひとつ、
または 学問的方法論は
その 
 「現場主義」

龍蔵は
 「学問は野にあり、山にある」といい
10代少年時代に始めた
日本国内調査も
国内専攻学者たちに負けていないが

龍蔵は 
 生涯 主に海外で 
空前絶後の人類学調査を行い

緻密な現場検証を行い
さまざまな「仮説」を建てた。

龍蔵の大なる親友 
ハートの行政人 井下清 も
徹底した現場主義。

エコ・緑化、公園造設のため、
先ずは 
「海外調査」
そのフランス調査は
正に龍蔵にたよったものでした。
(前篇 ご参照)

学者龍蔵の 
「現地調査・検証」
井下さんを大きく影響したそうだ。

龍蔵への敬愛
学問へのあこがれ、

これは後年 井下さんが
造園などを
学問的に昇華させた ことからも
見受けられる。

井下さんは その
 海外調査で得た知識を
東京、日本全土の緑化、公園造設に
生かし、偉大なる業績を建てた。

もちろん、 彼は
東京、地方を 
 駈けずり廻り
現場密着に工事を進めた。

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同時に、1923年関東大震災時も
その処理を一身に負い、

数日帰宅することなく
今で言う「3K」(きつい、汚い、危険)
の現場で率先して、 

泥まみれになって働いた。

大震災の犠牲者の遺体収集
から火葬まで、正直誰もが「怖がり」
気持ちが重苦しく 
 したくない作業も

彼は躊躇なく、最前線で指揮し、
作業を進め、震災後の復帰の道を
切り開いたのだ。

全東京の災後処理が、
井下さんの一身にかかっていたそうだ。

その痛ましい 
 作業の経験は
彼に防災の重要性、その方法を
深く考えさせた。

その経験が生かされたのは、正に
 彼の緑化・公園造設(霊園も)なのです。

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 大震災後、身を粉にして働き
その体験を後の緑化・公園などの
造設に生かした井下さん に
感謝し、忘れてはならない。


 「そのときの 
井下さんがあってこそ、
今の東京がある」 
といっても
言い過ぎではなさそうだ? 
  

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事務室内で
指示命令を出すだけ、
という「行政人」 とは正反対に、

龍蔵の人類学調査ではないが
正に 「野に、山に駆ける」 

「ハートの行政人」である。

このような「行政人」
今でさえ、何人いる?

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僕、仕事で一度偶然
霞ヶ関の「役所街」?を通りかけ
ちょうど、夕方5時くらい・・・

すると、あっという間に
退勤の高級?公務員の大群が
一気にりっぱな建物から
「洪水のごとく」溢れ出し、

各交通機関の駅に流れていった
りっぱなスーツで身を固めた男女は
かっこよく、早足で・・・
夕日
の中、絵  になるのだった!

?え、と、初めての風景 
 に  
僕は見惚れてしまった!
おのぼりさん だもの・・・

あ~、こういう幸せな世界 
 もあった?
時間とおり、ささっと、帰れる!
うらやましい、と思った

職業の選択を誤った?
  と後悔した?
夕日の中の
そういう気持ち 
 のひと時だった?

僕は、それから、仕事場に戻り
いろいろの処理があった・・・ 



  「働きても 働きても
    楽にならぬ、
      じっと手を見る?」  啄木 ?
           
 


・・・・・・・・

なにが言いたい?
それは、
行政の仕事に従事すると
一般よりはるか?「気楽」?

労働時間は短く収入も安定
だから、
そういう人生を選ぶ人も多いとか?

しかし、これらと関係なく
井下清さんには、「楽」はなかった。

 彼は精いっぱい働き、
常に現場に立ち 

生涯を 緑化・エコに捧げた。

東京の公園は ほとんどが
彼が手がけたもの、
そして、霊園の開設も・・・

その徹底した  現場主義は
龍蔵と共通である。
だからこそ、「親友」なのでは?
・・・・・・・・・・・・

 「ハートの行政人井下清」
行政に働く皆様の鏡かも?

役所の窓口に腰掛け
かっこよくスーツで身を固め
窓口に来る人の応対をする・・・

もちろん、これも必要不可欠だが、
井下さんのように
現場に駆けて行き、


 問題点を発見し、解決してゆく、
これもさらに「かっこよい」ことでは?

① 国民が来るのを待ち、サービス提供する
② 国民の中に行き、その需要を聞き、
   問題解決を図り、すぐ行動を起こす。
この2つに、距離がある。

井下さんは いうまでもなく、②です。

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井下清さんの 

 「徹底した現場主義」  と
 「ハートの行政人」を考えた

そんな本篇です。 そして

 龍蔵さん同様
井下さんにも
現代に生かせるものは
数知れないほどあります。

 偉大なる先人たちを忘れることなく
彼らのハートも、夢も志も
受け継いでゆきましょう!

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武蔵野会創始者の一人に
井下清さんがいる、彼は

東京、さらに日本全土の緑化、

公園造設などに
尽くし、
 エコに不滅な功績を建てた

     

    井下 清 さん 

   (資料写真 拝借)


 エコの先人
「ハートの行政人」井下さんは

長く東京の公園課に務め
東京の各有名大公園は
ほとんど(すべて?)が井下さんが
手がけたもの

だからこそ
今の
緑豊かな東京がある

と言ってもよいくらいだ

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井下さんは鳥居龍蔵と
意気投合で、大なる親友

共に四国出身
井下さんは香川
龍蔵は徳島

二人とも 燃えるハート

世のため、人のため
一途に働き続けた

彼らは密に付き合い
夢を、志を語り合ったそうだ


(本サイト にある

     
「感動の友情物語

     鳥居龍蔵と井下清」 を

     どうぞご参照くださいませ
     本サイト内右上検索をご利用ください)



龍蔵が海外人類学調査

に勤しんで、手いっぱいになり、

そこで、武蔵野会を井下さんが
背負うことになった 。のち

その後輩の前島康彦さんも
武蔵野文化協会の重鎮として
エコにも多くの貢献をした、

今、武蔵野文化協会に
公園課関係の方が多いのは
そのあたりから起因しています。

すなわち、武蔵野会
その創設時点方から、
2大柱があった:

① 鳥居龍蔵の人類学・考古学
② 井下清 の緑化・公園

今でも似た構成をしているようだ?


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正に、この井下清さんが
生涯かけて、作り上げた
この「緑の東京」、そのエコが

今、危機に臨んでいる?

2020年オリンピックとも関連し
「開発」がブーム?

不動産投資に熱を上げ、
マンションなど住宅の新築、
駐車場作りで「資産運用」

高齢化による空家増、
その庭の立派な大樹が
次々伐採され、
マンションや駐車場に変わる

「防犯」?を理由にさらなる

大樹の伐採・・・

これらはどんどん進み、
コンクリに敷き詰められる
緑稀な、「コンクリ庭園」が

「展望」されそう?

それが、もしかしたら、
2020年の東京風景になる?

観光都市化、観光収入上げ
金儲け! 金(かね)、金(かね)!

その熱気で、
緑も、エコも、
忘れ去られそう?

・・・・・・・・・・・・・・

ここでも、行政が目を光らせ、
「乱伐採」を制止する必要あり?

伐採禁止木々、地域をいち早く
手を打たないと・・・あとの祭り?!
ルール作りから実行部門なども

いたる場所に注意を配らないと
エコの先人たちが築いた緑が
無残に破壊されてゆく・・・

現状は、進行中?


数十年かけて育った木々は
一日にして「復帰」できません
・・・・・・

今「無法地帯」かのように進む伐採
実に深刻な状況では?

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以下は井下さんが手がけた「元町公園」
緑化と防災をかねて、多く工夫したもの。

これを潰し、高層マンションを建て、
経済効果を狙う話もあって、激しい論争になった。

         

元町公園

    

      元町公園 (写真拝借)

所在  文京区 本郷1-1 

アクセス
「水道橋」駅 徒歩5分 JR総武線/都営三田線
「御茶ノ水」駅 徒歩7分 JR総武線/丸の内線

「震災復興公園」と言われる
1923年関東大震災の処理復興に奔走した井下さん
その経験で、防災も目的に手がけた公園であります。

この公園の案内に、井下さんの名前は出ない・・・

井下さんが 汗水流し、全心全霊こめて作った公園
にも かかわらず・・・?

エコの先人を忘れてはならない、
 きちんと「井下清」さんの名前を印すべきでは?

エコのハートを継承するために。

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「助けて!」 と 
声を上げられない樹木に代わって
書いた本篇です!

「あざらし」 という「動物の視点」から

「動物たちに快適でない環境は 
人間にとっても快適ではない」
という言葉があるようだ?

皆にとっての快適な環境を守りましょう!


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