学者・学問 と聞くと
何か難しい、分かりにくい
堅苦しいイメージで

「学問書」らしきものには
近づきたくない気持ちになる

しかし、鳥居龍蔵は別格だと思う
学校嫌いで、小学も「不登校」
「ガキ大将」を貫き、
好きなことだけした・・・

だから、楽しくない
分かりにくい「学問」は
どれほどいやな物か を
誰よりもよく分かっている

だから、龍蔵は生涯、
「学問は皆のもの」と言い、
皆に分かりやすい魅力的な講演会をし
誰が読んでも理解する本を書いた。

そのため、龍蔵の本は、時空を超え
現代に読んでも、なんら違和感はしないもの。

その学問調査記録の本は
通りいっぺんの「旅行記」の感じ
らくらく読んでいける、
気がつくと、内容が意外と深かった

でも退屈感はないし、疲れない、
わざとらしい吹聴も、かっこつけもない
さらさら自然につづってある・・・

「人類学」「考古学」の学術用語皆無?

生涯「マイ・ウェイ」の鳥居龍蔵の
「マイ・スタイル」がすべてにおいて
輝いている ・・・

龍蔵の理念からして、
「学問は皆のもの」 。
よって
これからの「学問の継承・発展」も 
同じく「皆のもの」 

なにも「高学歴」で、
教育研究機関の人々だけの
「専売特許」「特権」ではないはず、

ネットによって、かなりの範囲で
学問が「全民共有」に近づきつつある、
同時に、皆の関心と参入によって
更なる発展が期待できるのでは?

鳥居龍蔵が偉大と言われるゆえんは
その偉大なる業績はもちろんだが

並びに、「学問は皆のもの」と信じ
活動する全ての分野側面において
この信念を浸透させたことにもある?

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「学問は皆のもの」と信じ・実行した龍蔵
彼の本を読んでみましょう!

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ここで、先ずご紹介したいのは
『上代の東京と其周囲』

「上代」 とは、本書には東京の歴史紹介部分も
ありのためで、何も難しいものはありません。

内容は、主に年関東大震災前後の東京を
龍蔵が調査し、写真入りで紹介したもの。
なじみの浜松町・上野・浅草などなどの地名
が多く出てきます。
「東京散策」という軽い気持ちで読んでみると、
面白いでしょう。

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本書の古い版は上品だが、文字が小さく、読み辛い。
本もかなり傷んできている。

昨年新しい復刻版ができて、文字が大きく、余白も
大きい。表紙は一新したモダンな色。ラメ加工で光沢
あり、汚れにくい(トクシマ・ドラゴン・ブック出版)。
アマゾン にてもお求めになれます。
書名で検索したほうが早いかも?

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   アマゾン 本  『上代の東京と其周囲』      
    


本物は非常に明るい表紙できれい。
(この写真は暗く見えて ごめん!

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本篇は
龍の子の ひとり
末子の龍次郎について、

遺伝学 とは、
学問になっているか?

無学の僕は知らない、
信じてもいない。

天才の子息が凡人、
ぐうたらの子が天才 だったり
こういう例 いくらでもある、

天才龍蔵の子息で
彼の偉業を継ぐ頭脳を持ったのは
龍雄、ただ一人だと、
龍蔵は見ていた

天才的習得能力、
文理各分野オールマイティ、
鋭い学問的思考能力・・・
前途洋々に見えた・・・

龍雄はスポーツ万能だが
龍蔵の頑健な体質にならないうち
若く(21歳)パリで夭折したため、

龍蔵は「後継者」の夢を捨て
もっぱら自分の道を歩んだ・・・

同じ兄弟でも、素質はそれぞれ。

「後継者 はずれ」の末っ子龍次郎は
いつも「ドジっ子」

小学の運動会で「二人三脚」したら
「びり」の上、ころんで起きられない・・・

まん丸で可愛い坊やで、
皆に大事にされ育った お坊ちゃんだ?

龍雄のように 何をしても楽々トップ とは
対照的だったが、「技術屋的才覚」から
龍蔵海外調査の「カメラ・マン」、テント張りなど
技術的助手として、大活躍した。

本人も、その仕事に生きがいを感じたようだ。

そんな「どじっ子」龍次郎は
戦争に徴兵され、
確か北海道か東北?に送られた?

起床ラッパが鳴ると、
皆飛び起き、足に「包帯」?をくるくる巻き
すばやく外で集合した、

しかし、お坊ちゃん育ちで
全く訓練のない龍次郎は

うろうろ、包帯なんて巻けなく、
どうがんばっても、ぐじゃぐじゃ垂れてくる・・・
(あざらし は想像しても 難しそう!)

やっと出てゆくと
軍曹(元漁師)にぶん殴られ
青あざとこぶで顔が派手に腫れた、

そんな不器用で「役立たず兵士」は 
鍛え甲斐がなく 努力しても進歩なし
とうとう諦められ、

軍曹の上司は
「可哀そうに思った」のか?

絵がまあまあ上手な龍次郎を
「大砲設計」?の仕事に回した、
龍次郎はやっと
殴られる毎日から「卒業」した?

戦争当時、
若者が生きてゆくのは大変だった?

ちなみに、大変熱心で有能な「軍曹」さんは
戦争の前線で早々戦死したようだ・・・

皆を追い立てるだけでなく、
本人は極めて勇猛で、
一番危ないところに赴き
自ら が最前列に飛び出すのだった・・・

お国のために、力いっぱい尽くした
若き漁師だった・・・
そう信じてなくなったので、
本人には悔いはなかったそうだ・・・

龍蔵一家、その漁師軍曹のことを聞き
とても切なく、涙をこぼした・・・

殴られたなど、
その漁師が悪いわけじゃないから・・・

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余りにも役立たずの龍次郎は
そのどうにもならない不器用さのため
命拾いした、と言ってよいようだ?

「優秀な兵士」になっていたら、
あの優秀な漁師軍曹さんと一緒に
「軍神」になったに間違いなし?

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天は、このように
龍蔵にのみ 役立つ、
龍次郎 という 息子を
龍蔵に「プレゼント」したのでは?

鳴門時代の『鳥居記念館』 館長を
勤めたのも、龍次郎の使命・天命だった?

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龍蔵一家に詳しい方々
貴重なお話の数々
本当にありがとうございます!

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あざらし の僕、

まっすぐに生きた
純粋な軍曹漁師のこと がとても切なく

真っ白と真っ赤な大きなバラが入った
野の花に囲まれ 大変きれいな花束を
捧げたい!

「お国のため」 と信じて疑わなく
犠牲になった当時の若者たちに捧げたい!

夕方、夜
僕が出かけると、
必ず藪蚊たちに「追っかけ」され
さんざん襲撃され
でこぼこになってしまう・・・

昨日も額と鼻が刺され
真っ赤に腫れあがったので、
お会いする方々に:
「あら!ころんで打ってしまったんだ!」
と、心配されたのだ!

思ったのは、僕のようなもの、
野に山に、生涯調査に奔走した龍蔵
のまねをしたい、と
心底思っていても、
実行はとてもムリだと分かった!

だって、蚊に刺されただけで
腫れ上がり、気分悪になる!

こんな僕、「野外調査」など
むしろ「命にかかわる」!

尊敬する龍蔵のまねを
すればするほど、
同じことをするのは とんでもない、
と、つくづく分かったのだ!

その業績に驚嘆しても、
実際その道はどれほど大変なものか、
具体的にまねしてみると、
やっと、身に滲みて分かる!

本物の業績の大きさは
その苦労の大きさに正比例?

苦労せずに、
業績だけ手に入れようとするならば
甘すぎないか?!

蚊にひどく刺されて、分かったことだ!

蚊さん、ありがとう?
かゆくて、痛くて、にくったらしくって、
なかなか いえないが・・・



陶芸大家の小山富士夫さん
その若き学生時代?
ほぼ毎日?龍蔵宅に通ったそうだ:

考古学・人類学における陶磁器も
鳥居龍蔵の専門一分野

龍蔵は理系出身、地質学にも詳しい
陶磁器の破片ひとつで
その時代を解析できる。

陶芸大家目指す小山さんは
この道の基礎習得は
鳥居龍蔵が一番だった

まして、龍蔵は
度重なる中国の学問調査から
陶磁器においてもトップ的

陶磁器の成分分析
歴史的時代判別など、

この部分を
龍蔵は特に力を入れて教えた

龍蔵は、熱心な学生に対し
惜しみなく指導を行った。

小山さんは、
龍蔵一家に暖かく迎えられ
勉強をし、食事も共に、

岡山から上京した小山さん、
ふるさと 家族を感じたようだ。

龍蔵から伝授された自然科学的手法
海外現地への学問調査は
小山さんの研究を大きく方向付けた。

中国陶磁器への傾倒
龍蔵流 現地調査も
太平洋戦争直前の中国陶磁器調査も
龍蔵の指導もあって、むだなく成功した。

龍蔵がハーバード燕京研究所勤務中
(1941年)
小山さんは 北京経由で河北に向え、
そこで「宋代窯」発見

順調に「中国陶磁器大家」の道を
登り詰めたそうだ。

他の陶芸家と異なり
小山さんは、人類学考古学の
学問手法を基盤に

「陶芸家」のみならず、
「学者」も兼ねた、スケールの大きな
存在として、学問会・陶芸界ともに
幅広く活躍した。

龍蔵は、科学者に限らず
小山さんのように、「芸術家」の道に
進むものに対しても
力いっぱい応援したのだ。

小山さんの現地調査成功は
龍蔵一家に喜ばれ、
きみ子夫人は大いに腕を振る舞い
美味しい料理で祝った!

太平洋戦争勃発前夜の
北京における 「最後の晩餐」?だった!

小山さんは龍蔵とその一家に感謝し
ずっときみ子夫人と連絡をしていた

戦後も 小山さんは北京を訪れ
龍蔵とそのの業績を 中国学界と共に
偲んだそうだ!

龍蔵あっての自分と思った小山さん
入院中も龍蔵家族に連絡し、呼び出し

病院から抜き出し、
なじみのすし屋さんで、
皆にご馳走をした。

見た目すごく元気な小山さんは「酒豪」
病人なんかに見えなかった!

お酒を注ぎながら、
「鳥居先生には本当に
お世話になった」、と・・・

病院を抜きだして大丈夫か と訊くと
「心臓の病で
何時急に死ぬか分からない
だから、好きなお酒を飲んで
好きなお寿司を食べて
楽しくしたい」 と・・・

龍蔵家族に実感がなく
ただ ぼんやり聴いていた・・・

そのたった1、2ヵ月後 秋、 
小山さんはこの世を去った!
多分、楽しい酒ながら・・・?

これが、小山さんと龍蔵家族との
東京における
「最後の晩餐」だったそうだ!

その元気はつらつな顔は
いつまでも龍蔵家族の記憶に残った:
「なくなったとは 信じられない!」

世代を超えた永~いお付き合い、
しかし、分かれが必ずやってくる!
それは常に 
言い尽くせないほど切ない・・・

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地位も、名声も、財も手にした小山さんだが
貧乏学者鳥居龍蔵一家 と
生涯、付き合い続けたのだ・・・

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龍蔵一家に詳しい皆さん
本当にありがとうございます!

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あざらしも、なにか 切なくなっちまった!・・・

でも、でも 元気を出そう!


発掘で見つけた
破片の一つでも
龍蔵は大事にする

彼は教え子たちにこう言った:
破片の断面を見れば
その成分が分かる
よって、時代が分かる

だから、科学者は
陶磁器の破片ひとつでも 大事にし
重要な「研究資料」として保存する。

「完璧さ」を最大価値にしていない。

しかし、骨董屋さんは
「商品」という視点から 物を見る
完璧な、見た目きれいな物が
より価値が高い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

考古学者の場合、
間違えると、骨董屋さんになる

破片から完璧像を想像し作る
それを博物館に展示する

これはすでに科学者の域を超え
「芸術家」「骨董屋」さんになっている

更に骨董収集を始めると
もう「骨董屋」さんです:

偽物を作ったり、販売したり、
「お金」にどんどん流されてゆく

考古学者は、特に気をつけるべしだ、と。

現実に、骨董屋さんになった
考古学者はいる・・・

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龍蔵は、「骨董」に興味はなく
もっぱら、物の「研究資料」
としての価値を求めた、

この点、龍蔵収集の東大資料からも
はっきり分かります。

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龍蔵自宅の客間に飾るのは
調査現地田舎の農民手作りの
可愛い泥人形などだ!
色も塗ってある・・・

実に素朴で生き生きした
現地農民たちの暮らしが見える
すてきな作品なのだ!

龍蔵は家族へのお土産として
調査の先々、このような
異国の「土の香り」がする
小さな おもちゃを持ち帰った

地元の村民が道端で売っていた
二束三文しかかからないが
こころが温まる 愛らしい小物・・・

同時に、現地農民たちが
信じがたいほど機用で
古銭他の偽物も本物そっくりにし
おもちゃとして売っている

偽物だと知っているが
面白いから、龍蔵はこれも
お土産に買った・・・

安く可愛い、それに小さく軽い品を
龍蔵は調査の旅ついで買った。

これらは、一家に頗るよろこばれた!
無事戻った上 お土産まで!

龍蔵一家共通な趣味は
可愛いく 素朴なもののようだ!

龍蔵は優しい夫・父親だった!

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話を戻す。

上記のように、
龍蔵自身、骨董収集に興味はなく
家族へのお土産おもちゃには
大いに関心はあった!

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余談: 
あざらし も 
可愛いく素朴なおもちゃ が大好き!

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※ 他篇と重なる部分ありだが、追加もあった。

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龍蔵一家に詳しい方々
ありがとうございます!