「不登校」、「学歴なし」、「がき大将」・・・

錚々たる学歴もつ「学閥」たちの
弛まない「イジメ」をよそに
学問調査研究に励み、

そして、野生児のごとく
戦乱のアジアを
駆けめくった鳥居龍蔵

そんな彼の
破天荒的大胆さに
止まるところは なかった!

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日中戦争(1937年~)
中国全土が日本軍の占領下に
米領「燕京学園」だけ例外

日米開戦(1941年~)
米領「燕京学園」が やっと
日本軍占領下に

龍蔵家族が出歩いたり、
学園の知り合いとおしゃべりしても、

憲兵隊がすぐ、寄ってきて
「外国人と話してはいかん!」など
叱ってくる・・・怖い!

戦時中の日本が とうとう
この学園にも「上陸」しちまった!

・・・・・・・・・・・・・・・・・

貧窮に追い込まれた龍蔵
それでも、その学問研究を進めた。

日ごろ懇意にしていた学生たち
憲兵隊の目を避け
以前同様、
龍蔵宅にきてリラックスした

彼らはそもそも
中国全土からの「秀才」
田舎からの貧しい若者も多い

暖かい龍蔵家が 彼らに
ふるさとを感じさせていた!

飾らない龍蔵、
ほがらかなきみ子夫人

特にきみ子夫人の「ほ、ほ、ほ・・・」
という明るくきれいな笑え声が
若者たちのこころを慰めた!

日本軍の占領を受け
ふさぎこんだ こころが
日本人の家に来て
そのこころが 解放された!

という、とても皮肉な現実があった!

龍蔵一家と「学園」の皆さんとの
ほのぼの交流でした!そして、

彼らは生涯 龍蔵一家のことを
忘れることはなかった!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話を龍蔵に戻します:

※ 日本軍が燕京学園を占領
  すぐアメリカ人長 である
  レイトン・スチュワードさん を
  逮捕・投獄した!

こんな状況下 貧窮の中の龍蔵

それでも
龍蔵は、研究のスケジュールを
緩めることなく
日々仕事を続けた

赴任してからの調査などをまとめ
論文発表にたどりついた

この時点、龍蔵は
スチュワードさんの力が必要と思い

即、躊躇することなく
獄中のスチュワードさんに
「序文」を頼んだ。

その序文を載せ、
堂々と論文発表をした、

かつ、豪胆にも
「ハーバード燕京研究所」名 を

なんの恐れもなく、
当然という感じで
前面に出し、出版発表した!

日本軍獄中の スチュワードさん
のことも、もちろん
「ハーバード燕京研究所」 所長として・・・

時は、太平洋戦争の真っ最中でした!

なんとも 奇抜で、豪胆極まりない
日本人鳥居龍蔵だ!

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真珠湾から敗戦
太平洋戦争の何年間、

「野生児」鳥居龍蔵は
破天荒的豪胆な「暴れん坊将軍」
を務めてきたようだ?

その時代を思うと
龍蔵が 「 しでかしてきた 」 ことは
ことごとく、命を投げ出したかのようでは?

無事生き残っていられたことは
むしろ、奇跡ではないでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

多分、龍蔵は、国内にいた時から
一貫して、「学問の真実」 一筋

誰の言いなりにも なったことなし
もちろん 軍部のも ・・・

これはもう どうにもならない
筋金入りの「マイウェイ」人間

当時は学界内外 国内外、有名なこと!
「気骨な学者」 と称されることも・・・

これほども 一貫徹底した鳥居龍蔵
その上 世界的人類学者・・・

だから、軍部はもう諦めたのでは?
どっち道 どうにもならないから・・・?

「あの 世間知らず学者 放っておきましょう」
って 感じ か?

特に当時 日本の軍人の場合、
「貧乏学者」相手に 「相撲を取る」 のも
「かっこ悪い」という 「プライド」がある?

これは あくまでも あざらし の推測で~す・・・

いずれにして、鳥居龍蔵は、
太平洋戦争中でも
万難を排し、自分を通したのだ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・

この篇 と 前篇(「真珠湾 その後」) は
鳥居龍蔵の未完成の
『ある老学徒の手記 後編』 に
あたります。

かつ、この部分の出来事は
『後編』のクライマクス といえるかも?

知られざる 1939年以降の鳥居龍蔵
皆で 接してみましょう!

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ここで、鳥居龍蔵名言:

「私のシンボルは 私のみである」

  『ある老学徒の手記 前篇』 

※ 本書は 下記にても ご購入いただけます。
 
 『 ある老学徒の手記 前編 』  鳥居龍蔵著書 

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   (同じ 前篇 です)

 (両方とも トクシマ・ドラゴン・ブック出版同一書籍)


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龍蔵ご一家に詳しい皆さん
本当にありがとうございます!
これからも どうぞよろしくお願いいたします!

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日本の真珠湾「奇襲」
対米宣戦!


ジャズに揺れ動く楽園「燕京」は
一挙に暗転!

日本軍兵士はあっという間に
「ハーバード燕京」に進駐!

本来、日本人同士ご対面
うれしいはずなのに、

「敵国」米国研究機構勤めの龍蔵は
苦々しい境地に追い込まれた!

長年戦乱をくくり抜いてきた龍蔵の
最大のピンチだった!

案の定、軍部のお偉さん(現地トップだって?)が
大変物々しく 龍蔵を訪ねてきた!

悪意も脅しも感じなかった、
じゃ~ なんのご用件かな~ と

一番?びくびくしたのはきみ子夫人?

お偉さんは大変丁寧に
龍蔵がきっと喜ぶであろう と
思う顔で、龍蔵に切り出した:

このハーバード燕京の地で、
ハーバードの研究所の代わりに
「日本綜合研究所」を立ち上げ(軍部主導?)

国内外人望の高い鳥居龍蔵に
その研究所長になってほしい と

「国威発揚」になるし
龍蔵にとっても誇らしいポスト だと

うれしそうに 軍部自らの立場から
お偉さんは 自信満々と
龍蔵に「ぜひ」 と薦めた、

お偉さんと 価値観が全く違う龍蔵
すごく憤慨していた:

「自分はアメリカ人のお世話になって
このハーバードの研究所で働いている、

お世話になった人たちの研究所を
乗っ取るような 裏切り は できません!」

と いう意味のことを 龍蔵は
丁寧な言い訳など 全くなしに
自分の考えを ありのまま
ストレートに お偉さんに言った・・・

「全てお国のため」と思っていた
職業軍人のお偉さん、

こんなにも
「お国のため」も
「ご自分のため」も 考えずの
「分からず屋学者」鳥居龍蔵には

さすが驚いたらしく、 
「使い勝手の悪い学者だ!」 と
きっと 思ったに違いなく、
がっかりし、怒った様子で帰って行った:

せっかく、
こんないい「出世話」を持ってきたのに!
と、理解できない様子だった!

それに、軍人が天下一偉い時代に
軍部トップにかかわらず、
貧乏学者が敢えて「断る」なんて・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし、龍蔵からして、
自分を理解・信頼し
最高な研究条件環境を提供した
ハーバード と スチュワードさんに対し

その恩をあだで返すことは
断じてできないのだ!

「敵国」になったアメリカのことを
平気で軍部トップお偉さんに
ありのまま 述べた龍蔵

その大胆きわまる振る舞いに
きみ子夫人は心配で
心配でしょうがなかった!

と同時に、龍蔵への敬愛が
増す一方だった:

どんな強権にも 恐れたり、
自分の信念を曲げたりしない龍蔵だ!

断ることは 常に正々堂々
相手の顔を直視して、
自分の考えを 一字一句
はっきり申す鳥居龍蔵!

侍の、「おてんば娘」 きみ子夫人
「龍蔵は本物の侍だ!」 と
皆に誇らしげに話したのだ!

・・・・・・・・・・・・・

鳥居龍蔵
天も、地も、何も 恐れることなく

どんな情況においても
自らが 真正面から受け
白黒はっきりした選択をする、

龍蔵には
「グレーゾン」
は存在しません!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

鳥居龍蔵が 
「研究所長」の話に乗らなかったため、

軍部の? 「日本綜合研究所」 構想は
水の泡になって
消えうせた のだった!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
同時に、龍蔵自身 無収入になり
一気に貧困の境地におちいった、

家族が、一般民間企業の仕事をし
辛うじて家計を支え

栄養失調で危うく命を落とすところ
の家族も・・・この困窮は
日本敗戦まで続いた・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

軍部の「出世話」を断った龍蔵
軍国当時では、これだけでも
「破天荒」的 大胆!

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それどころか、更に・・・!
・・・・・・・・・・・・・・・

しかし これは 次篇の驚き にしましょう!
すーと、涼しくなるほどのお話だ・・・?

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鳥居龍蔵
赴任滞在の「燕京学園」とは?

この地は北京郊外にあり
元は清王朝庭園の一つ

米国人がこの地が気に入り
かなりの金額を払い
清王朝から買い取り
この地だけが 米国領になった。

緑いっぱいで丘あり湖あり、広々
風光明媚、外は畑など

園内にレストラン、ショップあり
十分自給自足できる。

・・・・・・・・・・・・・・・・

米キリスト教系大學が最初ここに
後、ハーバードの姉妹校に変身
総合大學になった。
(正確には ハーバード燕京大學)

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※1. 当時の「北京大学」と無関係
    当時の「北京大学」は私立中国国文単科大学。

※2. 当時確か近 辺に同名「燕京大學」もあったが
     これも無関係。

※1.※2. ともに「学園」外にある、私立の中国の大学。

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○ 本「学園」にあるのは
   「ハーバード燕京研究所」(出先)  と
   「ハーバード燕京大學」(上記米国キリスト教系大學
                  から変身)
   レイトン・スチュアードは両組織の長。

○ 鳥居龍蔵は 「研究所」所属の 研究者 

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○ 共産党政権後の「北京大学」(今の)は 全く新しいもの。
   本篇では言及しない。混乱するから。


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   龍蔵の所属のみで話を進める。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   米国領であるため、
   周辺は全部日本軍占領

   この地だけ 「世外桃園」 で
   英語とジャズが鳴り響き
   のびのび、自由自在! 

   日本軍にとって、
   確かに 「目の上のたんこぶ」 だった!

   しかし、当時のアメリカは中立国
   日本の「敵国」ではない!

   「交戦国」は中国、
   
   よって、日本軍部は当時
   ハーバード燕京学園に
   いらだつが、打つ手はなかった!

   だから、唯一できたことは
   「日本人学者」の「推薦」だったが
   これも全員断られ

   「推薦」しなかった鳥居龍蔵だけが
   ハーバードから直接指名スカウトされた!

   このスカウト自体、軍部にとって
   当然、面白くなかった:

   「よりによって、
    あの使い勝手の悪い鳥居龍蔵 が!」
   と、怒っていたに間違いなし?
  

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  反面、龍蔵にとって、
  この地は 
  仕事 と プライベート両方
  正に楽園!ハッピー、ハピーだった!

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  余りぴったしの例でないが

  日本の中に
  「異文化」と言える「ディズニーランド」を
  想像してみると、

  多少のイメージ的 相似点があるでしょうか?
  (本質的に全く異なるが・・・)

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龍蔵一家、海外、アジア歴史などに詳しい方々
本当にありがとうございます!

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鳥居龍蔵
赴任後
研究所長のレイトン・スチュアードと
懇意になるに 時間は かからなかった、

スチュアードさんは
敬虔な宣教師で中国通
その学識は学者なみ!

長年布教・学校設立・教育に
心を込めて 努めてきた
大変真摯なお人柄だ!

彼が、龍蔵スカウトの背景を
龍蔵・きみ子に お話したようだ:

日中戦争最中、
「中立国のアメリカ」の
この海外領地だけに

日本軍は入れなく、
中の様子 大変気になり、
誰かを送り込もうとしたく

研究者スカウトのことを知り
数回にわたり、日本軍部から
推薦日本人「学者」リストが送付された、

が、実は アメリカの諜報機関は
当時も すごく発展しており
日本学界研究者の政治動向を
事細かに把握していた:

誰が軍部に協力して
どういう
「戦争加担」論文等活動をしたなど
全部こと細かな記録あり・・・
信じがたいほどだ!


龍蔵がトップ的学識能力、
人気はもちろんのこと、それに

九州調査 日向など
「天照大神」件、
軍部の言いなりにならず

朝鮮半島調査で、発掘墓は
漢文化の源流を引いている、という
「学問の真実」を譲らなかった・・・などなど

強い軍国潮流の中
龍蔵が豪胆にも流されず、
孤軍の戦いをしてきたことを

全部スチュアードさんから
話され、深い理解を示された

彼は 龍蔵の純粋な学者魂を見定め
尊敬と厚い信頼を寄せていた・・・

ハーバードが 龍蔵を選んだ理由は
学識 と 人間性の両方だった!

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「学問の真実」が通じない ふるさと、
しかし、赴任した異郷の地で

これほどもの理解者・知己 がいた!
龍蔵は深く感動し 感謝した・・・

このことは 辛かった龍蔵の心境に
爽やかな「命の泉」が
注がれたように、

純心な 龍蔵の
大きな 気持ちの安堵となり

龍蔵の学問への情熱が
更に燃え上がった!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記のような 米国側の
国家諜報機関による
緻密な調査の結果、

鳥居龍蔵のみが
人間的にも 学問的にも
「優れた学者」と判断され、

唯一スカウトされる日本人学者
となったわけであります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

軍部から推薦された日本人学者は
全員 ハーバードに断られた!

そして推薦学者リストに載ったことがない
鳥居龍蔵 のみが
スカウト 招聘されたのだ!

余談だが、
当時の アメリカ諜報機関 のすごさは
信じがたいほどのものだった?

※  だからこそ!
   終戦直後、GHQ がすぐ
   「戦争加担」「グレーゾーン」「学者」を
   投獄できたわけだ:
   「証拠」は十分以上あったから!


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龍蔵も、日本学界のこと
自分自身のことを
これほども 事細かに かつ
正確に把握されていたことに
驚嘆を禁じえなかったそうだ!

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このように、鳥居龍蔵は 赴任先で
これほども 魂が触れ合える 
スチュアードさんに出会い
自由で幸せな研究生活のをスタートさせたのだ!

ハッピー、ハッピーな 1939年でした!

これからは、鳥居龍蔵
未完成な 『ある老学徒の手記』 の

  『 ある老学徒の手記 前編 』  鳥居龍蔵著書
      ここにても お求めになれます 


『後編』 スタートであります!
(1939年以降は、龍蔵が『後編』に書く予定だった)

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龍蔵ご一家に詳しい方々
本当にありがとうございます!



鳥居龍蔵
軍国化して行く日本

その論文につき
軍部から「注文」がくる


龍蔵人類学調査の結果
漢文化の源流を引いたものを

「日本文化の源流を引いた」
という論文にしてほしい、と、

しかし、龍蔵は、学者として
学問の真実・科学の真実は
曲げてはいけないもの、という
信念で仕事をしてきたもの、

政治的目的のため、
真実を曲げるのは断じてできない、

だから、龍蔵ははっきり断った。

学界で、実力・人気ともにトップの
鳥居龍蔵 が、 これほども
「使い勝手」のきかない人間だと、
軍部も知り、

より「協調性のある」「学者」を動員し、
軍国の政治・軍事目的にあう論文を書かせ
「戦争加担」させた、

そういう学界の「中枢部」から、
龍蔵が当然ながら疎遠されてゆく

龍蔵側からも、「協力」の気が全くなしで
自らも遠ざかっていった・・・

学問研究の学界ではなく、
「戦争加担」「軍国化根拠作り」の
学界に化してしまったのだ!

※上記「戦争加担」「グレーゾン」「学者」は
  戦後すぐ、GHQにより投獄されたそうだ?


そんな時、龍蔵が、ハーバードから
研究所の研究者としての
スカウト招聘の連絡を受けた、

研究条件は極めてよく、
龍蔵任せの自由研究であり、

龍蔵のこれまでの研究を
このまま続けてよい、とのことでした。

屋敷の提供、生活の便・・・
往復引越しは欧米流のまま
全費用負担のスカウト・・・

1930年代、自由なアメリカ、
学問の自由は最高!

その自由を目がけて、
龍は再び、空に飛ぶことを決意した!

悲しいながら、
自由が期待できないふるさとを
離れるしかなかった!

「学問の自由」の夢を胸に
1939年、龍蔵は転勤赴任の旅に出た!

時に龍蔵は69歳
その胸に青春の炎が燃盛っていた!

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龍蔵一家に詳しい方々
お話ありがとうございます!

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